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#15 類は友を呼ぶ

「類は友を呼ぶ」
気の合った者や似通った者は自然に寄り集まる
(Google検索)
という意味である。
日本ではどちらかと言うと、悪い意味で使われることの方が多い気がする。


今回はそれに関して、カナダでの経験に基づく考え及び愚痴を書く。




うちの学校は日本人割合が高い。多分40%か50%近くは日本人である。
うちは基本的に午前は「TOEIC対策」「IELTS対策」「PMM(スピーキングやプレゼン)」「ESL(英語の全スキルを統合して学ぶ)」の授業別れている。

午後は、各個人がスキルアップしたい授業をとる感じだ。Career Englishという仕事に就きたい人用の授業もある。

ESLはレベルが1・2・3・4・4.5という感じで別れており、ウチでは開講されていないレベル5はネイティブレベルである。


基本的に日本人はレベル3(intermediate:中級)かレベル2(Pre-intermediate:中級の下)から始めることが多く、少しできる人はレベル4(upper intermediate:中級の上)からスタートだ。私もレベル4から始まった。


直近6週間のテストで平均80%以上、もしくはアドバイザーの推薦でレベルアップする仕組みになっているんだとか。
レベル4には日本人が6人、レベル4.5には0人である。

日本人の1/3はTOEIC対策を受ける。海外ではTOEICの点数は、就職に影響しないことがほとんどらしい。そのためその授業は日本人しかいないんだとか。結構重視されるしね。

Career Englishも同様に、短期間しか学校に居ない日本人が履歴書の書き方を学ぶだけが多いらしく。日本人しかいないらしい。


正直、私はTOEIC対策とCareer Englishの授業は意味ないと思っている。

だってTOEICは日本で勉強できるし、正直トレーニング次第でどうにでもなるからである。
そしてもちろん、TOEICに行ってる日本人はそこで仲良くなる。あまりほかのクラスの外国人とは仲良くなっているようには見えない。

Career Englishもまた同様に日本人同士で絡むのである。履歴書の添削なんて、放課後講師にして貰えるし、Extra lessonを開講しているまであるのだから、そこで事足りる。


せっかくの海外留学、日本人で絡まないでESLに行き、外国人と話して英語を使用する機会を増やした方が絶対に良い。会話してればスピーキング力もリスニング力も伸びるしね。


これがウチの学校の現状である。
そして正直に言おう、日本人のレベルが低いと。


なんと言うか話のレベルが合わないのである。
ESLの講師が嫌いだからTOEIC対策行ったとか、レベル4のESLの先生の授業について行けないからレベル下げる〜とか。

食らいついて勉強しろよ。
何のために海外来てんだよ。


これにはSOTAも入っている。
彼はレベル4の講師が嫌いなのだが、態度が酷い。授業をまともに受けていないのだ。
なんか体調悪そうにしてると思えば、心配して声をかけたら、
「そういうの余計に辛いから辞めて」と。


正直ガキじゃねえんだから自分の機嫌くらい自分でとれよ、表に出すなよソレとは思った。ASAもSOTAに結構ガチでキレていた。

結局SOTAはESLの授業ではほとんど話さないため、クラスの人と仲良くは無い。

彼は午後はCareer Englishの授業をとっていて、そこの日本人としか関わらないのである。学校でもめっちゃ日本語で話している。
Career Englishを受講している日本人は、ESLを受講している人より英語を話せない。つまりSOTAはほぼ英語を話せないのだ。


自慢のようになるのだが、色んな外国人が私の英語力がウチの日本人で一番高いと言ってくれるのだ。
レベル4.5に来るべきだと言ってくれる。

なんと言うか、日本人より外国人の方が話してて楽しい。別に自分の英語力を高いとは思ってない。日本人のレベルと私のレベルが合ってないとか言うわけじゃない。


だが日本人の困難から逃避し、傷を舐め合う考え方より、褒めてくれて一緒に頑張ろうと言ってくれる外国人の方が良いと感じた。




「類は友を呼ぶ」

英語を話せない日本人はそれ同士で固まる。
もちろん外国人と楽しそうに話す日本人もいるが、大体が日本人で固まる。

逆に、英語を話したいと強く思う人間はそこで固まる。ASAは今週レベル4にレベルアップしてきて、授業に着いていけないからと家で勉強を頑張っているし、語彙力が足りないと自己分析もできている。
KYOも話せるようになりたいからと、家での勉強や授業での発言を頑張っている。
KYOやASAなんかは外国人の友達が多いし、彼らもレベル4.5に来てよと良く言われている。


向上心もそうだが、考え方の根本というのは深く根付いていて簡単には変えようがない。
だからこそ雰囲気でこの人は合う合わないが分かるし、人はそうしてグループ化していくのだろう。


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