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世界の宗教史

0. 序

若き日に宗教の研究を志し、学究生活の中で知り得た教えを最初の論文として書き留めてから、早くも四半世紀が過ぎた。そして、その後の十年の変化について記した文章も、いつしか前世紀の産物となった。我々宗教研究者の、宗教の世界の大勢は決し、もはや大きな変化は現れ得ないだろうとの安易な予測を裏切り、以前にも増して多くの新たな宗教が生まれ、また宗教界全体においての新たな潮流が見え隠れしている。そして、古き宗教が忽然と甦り、新しき宗教にも影響を与えることも散見される。一つ一つの宗教に深く帰依した上で、それらについて具に語るには、惜しむらくは筆者は多分に齢を重ねすぎた。しかしながら、十余年が過ぎたこの機会に、いくつかの新たな宗教についても、改めてそれらの教えに親しみ、その語るところを伝えると共に懐かしき時代に想いを巡らそう。

1. 古代 - 神々との対話

宗教を語るには、宗教それ自身のみならず、神、民族、国家、そして、それらと宗教との関係を理解し論じなければならぬ。神々がなければ経文は文字の連なりでしかなく、宗教がなければ経文を通じて神々と対話することも叶わない。また、民族としての強い意志がなければ、神々と宗教とのいずれも発展することはなかった。宗教は国家の礎として必要不可欠なものであり、いくつかの宗教は国家のために生まれた。国家なくしては人々が神々に祈りを捧げることは甚だ困難を極めたであろう。

経文は、祈りとして神に捧げられることで人々の願いを叶え、仕事や生活を為し、また人生そのものを表すものとなった。さらには国家や世界までを創り出すと共に、世の完全なる本質を表すものとも考えられた。その成立の初期の段階において、神の言葉を解さぬ民が、自らの思うところや願うところを神々に伝えるために、宗教は生まれた。そして、神官や僧侶などの宗教者は、民の願いを祈りや経文の形で神々に伝える役割を担ってきた。

古の昔においては、占い師が自らの意思を陰陽を介して神に伝えた。占い師の時代に記された易経と呼ばれる書物には、陰陽の組み合わせが表の形において記されている。易は、古くは四つの爻から始まり、八爻の時代を経て、時には十ニ爻などの時代もあった。そして、十六、三十二、さらに六十四爻の時代となって今に至る。数や文字もすべて陰陽から生まれたのである。国家がまだその姿を見せない時代、占い師は占いを始めるにあたり、まず創世の卦を唱えた。創世の卦により集落が生まれ、時には国家の始まりとも言うべき村が構成されることもあったが、多くの場合は個々人が自らの願いを神に伝え、そして神の判断を仰ぐことが占いの目的であった。

爻の数には神の言葉の語彙と、神々が治める世界の広さの二つの意味があった。占い師は、易経に書かれた卦辞により爻の組み合わせとしての卦の意味を知り、卦を連ねることにより己の意思を神に伝えた。易による内容は詩という形で記され、神との対話に際しての作法は礼と呼ばれた。国家がまだ未完の時代、占い師は占いに先立って創世の卦を唱えた。易の時代には多くの神が存在し、卦の意味の体系は互いに異なっていた。三十二爻の時代には、卦を限られたものにして、占う行為そのものを多くすべきであると主張する一派と、高度な卦を多く用意すべきであるとの一派が対立した。あるいは爻の数を一定にすべきか可変にすべきか、という議論も激しくあった。また、極端に爻を多く使って、同時に複数の占いを行う流派もあった。かくのごとく、易の時代には神々の間にも争いは絶えなかった。そのため、多くの神々があった古代においては、爻の数が増えたとしても神の言葉が不変であること自体が国家や民族にとって自身の奉ずる神の持つ価値でもあった。

原始宗教の中でも、ほぼ神の言葉を直接扱うに等しいAssembler教は、なお民からは遠い存在であった。実際、Assembler教は神への原始的な崇拝に留まるものであって、宗教とは言い難い。Assembler教においては、神々の違いによる語彙の違いがそのまま宗派の違いにつながる。神の言葉でもある易とは異なり、Assembler教の経文においては象徴と呼ばれるものが多数見られる。なぜならば、卦によって示された経文の位置は民には理解しがたいものがあり、位置を示すためには卦の代わりに象徴が用いられるようになったのである。また、Assembler教では魔術が発達し、占い師に代わって呪術師が権力を握った。ごく限られた呪術師の間でのみ通じる複雑な呪文は"真の黒魔術"、あるいは”真黒魔術”とも言われ、この体系を作りこむことが権力に通じた。ただし、それらの魔術は呪術師が自らの便宜のために作り出したものであり、呪文自体が宗教としての完成度を備えて人々に広く流布されるまでには至らなかった。現代においてもAssembler教の経文は国家の根幹のごく一部で用いられる他、大聖堂の経文として残っていることがある。これらは古代の呪いとして畏れられ、後述するCOBOL教の経文に翻訳するなどにより呪いを解かんとする行為に至る例も少なくない。

現代における宗教の概念から、過去において宗教と呼ぶに相応しいものとしては、おそらくはFORTRAN教、LISP教、COBOL教などが始まりとなろう。これらは古代の宗教ではあるが、Assembler教などの原始宗教に対して高級宗教と呼ばれ、現在においても、なお多くの信者を有するといわれる。これらの宗教の出現により、神は、人間の願望や意思を伝える対象から、過去や現世の世界を記録し、未来の世界を占う手段にもなった。また、描かれた世界は経文として聖堂の奥深くに仕舞われて、祈りの際に引き出されて使われた。すなわち、神への祈りのみならず、世界とは何か、人生とは何か、などの数多の真理が経文として記され、それらを神の言葉として解する巫女や僧侶を通じて神に捧げられるのである。僧侶は経文に書かれている内容を神の言葉として置き換えて、神に対してその言葉を奉じる。一方、巫女は経文に書かれている内容について、神を降臨させて神に成り代わって祈りを捧げる。

FORTRAN教は世の在り方を神に問う宗教として知られ、古くは宗教の世界を目指す学生が必ず学んだ時代もある。FORTRAN教によって世の仕組みが記された経文は、寺院や国家の書庫に格納されて広く使われることになった。一方で、この宗教は人生における苦への対処が不十分であると言われた。たとえば、経文を書き記す際の位置や、聖職者が授ける名前の長さ、あるいは最初の文字などに不可解な約束事が多いこと、また読経の際に経文中を好き勝手に移動することを許したために、僧侶がどこを読経しているのか、またそれが正しいのかが判然とし難く、それが苦の原因となるとの批判を受けた。しかしながら、この宗教は自身の近代化を怠らず、現在でも技師や職工階級に少なからず信者を有している。

LISP教は、当初は神学の世界にあって、宗教の世界とは無縁であったと伝えられるが、ほどなく神との対話に用いられるようになり、宗教の一つとなった。この宗教は後のProlog教と同様に「愛」の実現を目指していた。古代や中世の愛の時代においては、愛を語るものはLISP教に帰依すべし、と言われたものであるが、現代の第三次とも言われる愛の時代ではLISP教による経文は見ることは稀である。また、古においては、この宗教のためだけに神が作られたこともある。縁起においての不変性、すなわち同じ問いに対しては、いかなる時空においても、縁起が同じ答えを返すことを要求する宗教群の租でもあるが、実際には世界は時々刻々と変化するといった、相反する教義も取り入れている。経文には三日月型のシンボルが多く見られるが、これは祈りを捧げる際の偃月刀を持っての舞いを意味する。祈りの際には左右に激しく刀を振り、しかもその回数を間違えると、全く違う祈りになってしまったり、祈り自体が意味をなさなくなると言う厳しさがこの宗教にはある。また、LISP教は断食、すなわち、供物が捧げられた祭壇を僧が整理する際に、俄かに瞑想にふけり、食を絶つことで知られている。古代においては、これらの刀による乱舞と長きにわたる瞑想が、この宗教の代名詞でもあった。多くの宗教では霊魂と身体とは別物であるが、LISP教では霊魂と身体とが同じ経文の形で表現されることが他の宗教に見られない特色である。その後の多くの宗教と同様、霊魂は縁起と波羅蜜よりなる。この宗教も、その後長きにわたって多くの宗教を派生したことで知られ、形を変えつつも文筆業に勤しむ人々や知識階級に一定の支持を得ている。

COBOL教は、貴族階級になお多くの信者を有する宗教であるが、戦さを生業とする尼僧による布教を起源とする。この尼僧は、神の言葉よりも民の言葉に近い経文を造ることを理念としていたと伝えられる。COBOL教における経文は、経文の由来、経文が読まれるべき環境、経文が描く対象世界、経文による祈りと効果、の四部から構成される。神に対しての祈りの部には、幾分民の言葉に近いもののAssembler教の経文の語感が残っていて、しばしばその記述が冗長であると批判されることになった。また、経文によって描かれる対象世界は極めて単純であり、また固定的であるが、金銭に関する記述が豊富で精緻であることから商人らの支持を得た。また、経の語るところを石碑として文言を彫る職人にとっては、彫る場所が決まることは極めて重要であった。経文を読むべき順序がもたらす苦に関する批判はFORTRAN教と同様であったが、この宗教は、時代を経るにしたがって、経文をどのような順序や繰り返しで読むべきかに関する教えを取り入れることになった。更には、近年においては仏の教えなども取り入れるなど、近代宗教化にも余念がない。古代宗教の中で現在最も多くの信者を有し、また最も多くの経文が大聖堂に残されているのは、おそらくはCOBOL教であろう。

同時期に旧大陸より出現したALGOL教は、現代のJava教を始めとする多くの宗教の祖先にあたる。物事には始まりがあれば終わりがあるという教義は、経文において好き勝手な移動を許すFORTRAN教やCOBOL教とは一線を画している。僧侶が他の寺院に波羅蜜と共に移って修行する際には、修行を終えた時に修行の成果と共に元の寺院に戻らねばならない。実際、FORTRAN教は、この教義の系統に属する宗教者の一人から「この経文や修行における無分別な移動こそが苦の主因であり、民家に押し入る強盗のごとく、市民に害を与えるものである」と強盗有害論を唱える人々からの攻撃の的となった。苦に関するこの倫理観は、後のPASCAL教などに受け継がれている。ALGOL教は多くの宗教に影響を与えたが、その子孫にあたる宗教の繁栄をよそに、時代を経るにしたがってALGOL教自身の信者を見かけることは無くなった。

祈りの際に用いる器具もそれぞれの宗教の特徴を成す。COBOL教は道具を用いないことが教義の一つであり、他のほとんどの宗教においても、刀や弓矢を用いた舞が見られる程度である。一方、古代宗教の一つであるAPL教においては一般には入手不能な多種多様な道具が用いられた。その道具を駆使した経文はさながら異星の言葉のようであり、その経文を記するために特殊な筆が用意されたと伝えられる。APL教においては、ある種の世界について極めて簡潔な経文として記述することができた。このことは、知や数の真理を求める階級に広がっているR教にも影響を与えている。もう一つの派生がJ教である。これはAPL教の教祖が、道具の特殊性が故に布教が進まなかった反省を踏まえて、より庶民に寄り添う形で興した宗教であったが、これも広まったとは言い難い。一方で、近年、道具市場の国際化が進んでAPL教の道具が容易に入手可能になったためか、原語による経文も再び目にするようになった。

PL/I教はFORTRAN教、COBOL教、ALGOL教などからの影響を受けた宗教である。職人と商人の両者に広めることを狙い、商人の間で人気のあったCOBOL教と、職人の間で人気のあったFORTRAN教からの良いところ取りをした教義となっていた。蒼の民族によってもたらされたこの宗教は、世界制覇を目指した宗教でもあったものの、当時としては強力な神と大きな神殿を必要としたためか、世間に遍く広がることはなかった。また、この宗教を国教として定めた国家もあったが、国家の機構自体が複雑すぎて滅びてしまったと伝えられる。PL/I教は、いくつかの宗教を派生し、現在でも大きな神殿を有する貴族階級に若干の信者と、残された多くの経文はあるものの、宗教としては世の中に大きな影響を与えるものではなくなった。

BASIC教はFORTRAN教から派生した宗教であり、現代でも多くの信者を持っている。彼の帝国の祖である皇帝は、BASIC教によって世界に覇を唱える礎とし、中世に入って間もない時期においては、林檎の民などの多くの民族がBASIC教を信仰したと言われる。この宗教は、国家において政教が分離される以前の宗教として、国家の行政機関としての機能を有していた。よって、一時は多くの国家が国教としたために、帝国は大いに財をなしたと伝えられる。BASIC教もCOBOL教と同様に、その発展の過程において他の様々な宗教からの影響を受けていて、古代の経文と近代のそれとでは、互いに似ても似つかぬものと変じている。その意味でBASIC教は、その創世期から現在に至るまで、最も変化を遂げた宗教であろう。たとえば、経文を書くための「境」が貧弱だったためであろうか、古い経文にはFORTRAN教のように各行に番号が振られていたが、後にALGOL教的な表現へと変化した。また、BASIC教は一般庶民や子供が宗教に触れる機会を多く与えていた。特に古代の子供にとって、教会にて神に出会って初めて触れる宗教がBASIC教であることも多かった。当初はFORTRAN教と同様の寛容さを持ち合わせていたが、後に仏の教えが取り込まれ、徐々に厳格さを持つようになった。

LOGO教は亀を主神とする宗教であり、また子供の信者を増やそうとする宗教の始まりであろう。この宗教はLISP教の影響を多分に受けているが、経文に従って亀の描く足跡を貴ぶことにより、遊びと宗教とを結びつけたことでも知られる。亀の足跡の考え方は、後のSmalltalk教にも影響を与えたといわれ、Scratch教のようなSmalltalk教の末裔にも子供を信者とする宗派がいくつか生まれたのも偶然ではない。

FORTHを使え、との掛け声とともに、天文を研究する占星術師によってFORTH教は始められた。FORTH教では、供物を祭壇に広げるのではなく、ただひたすらにうず高く積み上げる。また、供物を積み上げてから神への望みを伝える。LISP教では、同様の祭事の際に縁起と呼ばれる神への望みを伝えてから、波羅蜜と呼ばれる供物を捧げるが、これとは真逆の順序をとる作法となる。一方でFORTH教では、LISP教と同様に神との対話が重視されていて、神との対話に必要な言葉を積み重ねるがごとく、段階的に言葉を創造していくこともこの宗教では大事な作法である。これらの作法は、後に出版業を生業とする人々に広まったPostScript教などにも影響を与えた。また、後に甲骨の民に征服された太陽の民族の国家においては、一日の政務を始めるにあたってはFORTH教による経文を用いたと伝わる。しかし、それらの派生した宗教までをも含めたとしても、今での信者の数はごく限られている。

ALGOL教から派生したPASCAL教は、牧畜が盛んな中央山岳高地にて興った。それまでの宗教では、僧侶が経文を神の言葉に翻訳するには、経文を何度か読み返す必要があったが、PASCAL教の経文は最初から最後までを一度通して読むだけで理解が可能であった。また、古代のPASCAL教においては、多種多様な神を崇めるために巫女が神との間に立って祈りを捧げる仮神という仕組みを導入していた。この仮神の仕組みは長らく忘れ去られていたが、近世において神の威光が増大するにつれて、その利が見直されて著しい復活を見せている。

古代において特筆すべき宗教の一つは、北方の国より生まれたSimula教である。ALGOL教から派生しつつも、対象世界の様相を再現して世界とは何かを追求し、未来を占うことを旨とする宗教であった。すなわち、世界は一意性と共に仏性を持つ要素によって構成され、仏はその普遍性によって己が属する階級が与えられる。北方の国は仏の教えが盛んであることで知られる。この宗教もSmalltalk教、C++教、Java教などの後の宗教に多大な影響を与え、仏の教えとしては最古のものとされる。仏の教えは、現代の宗教を理解する上でも大変重要な位置を占めるので、後に詳しく論ずることにしよう。

2. 中世 - 苦と仏

国家としてのUnix国が成立した時期を境として、世は中世に入る。このころには陸上や沿岸での交通手段が発達し、中央集権型の国家と大聖堂の時代は終焉を迎え、資源を分散させた開かれた地方分権型の封建国家の時代となった。

C教は、国教としての役割、すなわち宗教が国家の礎としての位置を占めることに成功した最初の宗教であろう。PL/I教の影響を色濃く残すこの宗教は、BCPL教からB教の姿を経て、Unix国の建国時に当初から国教として入り込んだ。これにより、神官や占い師に代わって僧侶が国家に必要とされる時代となったのである。C教もまた現在の主流を占める多くの宗教の祖であり、また現代でも多くの宗教においては、神々の言葉への翻訳、仮神としての巫女の振る舞いをはじめとする自らの体系を、C教に則った経文によって作り上げている。つまり、C教は国家の礎でもあり他の様々な宗教の礎でもある。また、C教を直接的な祖としない宗教においても、C教からの影響を見ることが多い。現代においても信者の数は決して少なくはないのである。

C教では、入信において、まず神に対して梵(ブラフマン)の存在を認識したことを伝える経文を書き、他の経文からの引用や、神からのお告げを語る術を学ぶ。これらの経文におけるスタイルは、その後、他の宗教においても一般的なものとなった。C教の経文にはAssembler教にも近い文言が多く含まれ、これは経文が記する世界を広くする一方で、「苦」が入り込みやすい素地でもあった。このC教の「苦」の救済が、その後の様々な宗教が発生する動機となったことは否めない。また、C教では経文の解釈における律が十分には定まっておらず、迷いが生じやすいこともあった。

Smalltalk教は、原始仏教と呼ばれたSimula教より仏の教えを引き継ぎ、完成させた宗教として知られる。現代に伝わる仏の教えの多くはSmalltalk教において取り入れられている。Smalltalk教は国家もその教義に取り込み、すべてが含まれる宇宙と自らが一体となる宗教でもあった。また、布教には経文のみならず宗教画が多用された。後に絵画は宗教のみならず、国家にとっても不可欠のものとなった。

中世において徐々に世界を支配しつつあったUnix国においては、書を重んじる宗教の租でもあるShell教を国教と定めていた。Shell教は派生した宗派が多い宗教として知られる。おそらくはUnix国がその後多くの派生国家に分裂したためであろう。Unix国において、政治の世界ではShell教が、また国民の間ではC教が、それぞれ信仰されていた。Shell教は経文として書かれることも多いが、僧に対しての対話を通じて神に祈りを捧げることが特徴的でもある。このように、経文を用いずに直接僧に語りかける不立文字と呼ばれる教えは、初期のBASIC教、あるいは書を重んじる宗教としてのPerl教、Python教、Ruby教などに引き継がれた。一方で、対話による祈りはLISP教やFORTH教においても可能であった。

C++教は、C教にはなかった仏性を導入し、C教の有していた職業の概念と階級とを結びつけたもの、あるいは精霊と身体とをひとくくりにしたものを仏とした。もともとC教の職業には仏の性質はなく、身体の構造のみで職業は決まっていた。すなわち、C教では精霊と身体とは無関係のものとして扱われていたが、C++教はここに仏性を見出したのである。現代においてもC++教は交易や金融を生業とする人々に根強い人気がある宗教である。後のJava教に比べると、教会としての標準的な経文が用意できなかったことが、世間に無用の混乱を巻き起こしたと言われる。初期のC++教においては、戒律のみで生活を律しようとしたが、後に宗教的枠組みよって民の生活を律することが求められるようになったのである。

Objective-C教もC教に仏の教えを加えたものであり、C++教よりも更にSmalltalk教の影響が色濃く出ている。Objective-C教はC++教の隆盛をよそに大きく衰退した時期もあったが、辺境の地で根強く生き残り、この宗教を国教とする国家や民族が急速に領土拡大すると共に表舞台に蘇った。宗教の盛衰は、国家や民族と同体であることを示す代表例と言えよう。

Prolog教は他の宗教とは一線を画した宗教である。人生とは真理の探索であり、経文には世界において事実と認められる事柄と法が記されている。多くの宗教においては、経文には人生をどう処すべきかが書かれているが、Prolog教の経文には人生において何を為すべきかが書かれている。この宗教においては、僧侶は大いなる神の力を借りて、経文に書かれた事実と法と合一の原理に依って人生の目的に向かって諸国を巡礼する。巡礼の過程において、探索に行き詰るとかつて訪ねた霊場に戻り新たな探索を始める。しかしながら、時には後戻り不能な霊場もあり、経文にはその驚きが記されていることがある。日出づる島々ではProlog教あるいはその派生宗教を第五世代の国教と定めた。この国教を発展させるために独自の神が創られ、また多くの博士が生まれたと伝えられる。

Ada教は、世界で初めての僧侶すなわち尼僧と言われたAdaの名を冠している。この宗教はAlgol教の流れを継ぎ、戦のための経文をつくるために生まれた。黒魔術を排し、経文を短くすることよりも読みやすさに重きをおいていることが特徴である。階級と職業には厳密な対応が求められる一方で、仏の教えが後に取り入れられた。様々な宗教の考え方が共存していることも、この宗教の特色でもあったが、後の宗教ではそれほど珍しいものではない。

Modula-2教はPascal教から派生した宗教である。世界には始まりと終わりがある、とするAlgol教やPascal教とは異なり、Modula-2教では始まりは無く終わりのみが存在する。経文間における掛け合いの際には、呼ぶ側と呼ばれる側のみならず、二つの経文が対等な立場で譲り合いながら祈りを捧げることができた。また、修行の際には、二つの寺院を行き来することで同時に修行を積むことが出来た。その譲り合う教義は捨身と呼ばれ、捨身は経文や修行の中の繰り返しや摩尼車を回す際に有用であった。捨身による譲り合いは、後の宗教において「道」が説かれるようになるまでは、複数の祈りを同時に捧げる数少ない手段であった。Modula-2教は、後にOberon教などに姿を変えていったが、今では見ることもなくなった。敢えて言えば、Oberon教を通じて、Go教にわずかに影響を感じるくらいである。

Eiffel教は、仏の国で興り、仏の教えに沿った宗教であるが、戒律のみならず契約により苦を減ずることを特徴とする宗教である。契約においては、祈りの前に満たすべきこと、祈りの後に満たすべきこと、そして祈りの際に変えてはならないこと、が定められる。祭事に道具をあまり用いないところはPascal教のようである。なおEiffel教では職業には仏性がない。また、有事の際には救難を求める文言を叫ぶのも特徴的である。

ML教は、Miranda教やHaskell教などの、縁起によって世界を表す宗教群の祖先にあたる。縁起による経は仏の教えに見られるような方便による功徳の振れが無いことで知られる。人に対して、その職業を明示的に与えずとも、仕事の様子から職業を推測する仕組みが備わっている。また、縁起もまた縁起の波羅蜜となり得る。縁起に基づく宗教は、永らく表舞台に登場することは無かったが、その後JavaScript教などの様々な宗教に縁起の考え方が取り入れられている。

Perl教は、その宗教を学ぶ教本において駱駝を聖なる動物として崇めていた。この宗教は、一般には悪徳とされる、怠惰、短気、傲慢などを美徳としたことで知られる。この宗教は、他の宗教の教義をどん欲に取り入れることもあり、初期にはShell教に似通った経文であったが、後に仏の教えを取り入れるなど、いくつかの分派を形成している。他の宗教における経文では、死に対して「出づる」などの婉曲的な表現が用いられるのと対照的に、Perl教の経文においては、死が直接的に表現され、読経の際に間違いが生じると、遺言と共に死をもって贖う風習がある。なお、Perl教では教祖自らが新派を形成していたが、近年「古い葡萄酒は新しい革袋には入れない」との見解を示し、語源が駱駝なのか楽なのかは定かではないものの、のちにRaku教と名前を変えたと伝えられる。

Erlang教は、Prolog教から大きな影響を受けた宗教である。この宗教は北方の伝令・飛脚の間にて興ったと伝えられる。大変多くの僧侶が同時に経文を読むことが可能であり神が多数いるがごとく振舞う。たとえ僧侶が読経の際に命を失っても、音もなくその僧侶は運び出され、何事もなかったように読経が続く。また、経文を読んでいる最中に、一部の経文を差し替えることも可といわれる。なお、経文の字面においてはRuby教に近く見えるElixir教は、実はErlang教から派生しており、同じ神を信じる宗教でもある。

Haskell教は、ML教の流れをくむ、縁起に礎を置く宗教であり、その経文は純粋潔癖であるといわれる。すなわち、経文に含まれる文言の効能は、その状況に関わらず一定であって、邪念の入る余地がない。Haskell教においては職業を厳密なものとしており、その人物の縁起、すなわち振る舞いから職業を正確に推察することができる。また職業から職業が派生するだけでなく、職業に対する職業も存在し、縁起によって多彩な職業が創られる。読経にも他の宗教にはない特徴があり、経文にある文言が真に必要とされるまで僧侶が読み上げることはないと言われる。

Python教は、当初はShell教と同様に、日常の作務や雑事を経文として神に伝えるために生まれたと思われる。しかしながら、仏性を本格的に扱う教義や、高度な職業が宗教的に定められていることによって、様々な国や地域に静かに広まっていった。特徴としては、FORTRAN教と同様に経文の文字の位置に意味があること、順に並ぶものは円環をなし、先頭と末尾がつながっていること、などが挙げられるであろう。前者によって、Python教の経文には、弓矢の類が極端に少なく、丸みを帯びた刀がところどころに目に付く程度である。近年は、知や愛の世界において、Python教がさらに勢力の拡大を続けている。LISP教では言葉や記号で語る愛を扱っていたが、Python教では言葉にならない深い愛を扱う。深い愛の流行が引き金となって、一般大衆にも布教が進み、今や宗教界の最大勢力となっているといっても過言ではない。

中世においては、畏れ多くも神を創り給うための宗教も生まれた。VHDL教やVerilog教がそれにあたる。これらの経文は神を創りだすことも可能であった。すなわち、神が経文として記されるようになったのである。のちにC教などによっても神を創ることも可能になった。  

ところで、中世以降の宗教を論ずるには、個々の宗教について語るのみならず、大きな潮流を浮き彫りにすることに意を傾けるのが適切であろう。なぜならば、この頃より後の宗教は互いに影響を与え合い、様々な教えが各々の宗教に混在するのが常となったからである。本章の以下においては、宗教の位置づけの変化に焦点を当てよう。

まず、宗教に対しては、自らの要望や疑問を神に伝える手段から、国家や社会、あるいは宗教そのものの体系の基礎としての役割が求められるようになった。国家、社会、そして宗教自身も複雑さを増し、占いや原始宗教をそれらの基礎とすることはもはや難しくなってきたのである。大国にFORTRAN教、COBOL教、PL/I教などによる大聖堂が立ち並ぶ一方で、国家がまだ未成熟な地域においては、中世においてもBASIC教の宗教体がそのまま国家の役割を担う国々が乱立していた。大国を支配していた蒼の民族がこの地の統一を試み、帝国がこの地に力を持つまでは、様々な民族が覇を競う戦国の時代であったと言われる。その後の時代においては、Pascal教の一派が、経文を神の言葉に翻訳する時間を劇的に短くすることで信者を急速に増やし、大きな勢力を誇ったこともある。しかしながら、この地域は近代に入るまでは知る人のみ知る辺境の地であった。

多くの宗教において、経文には祈りの言葉が連ねられている。時には祈りの言葉に加えて、祈りの際に用いる道具や、体を使っての踊りを擬したのではないかと推察される記号が経文の随所に見られる。前述したようにLISP教は刀の宗教であり、祈りの際に三日月形の刀による激しい舞が見られる。C教は弓の宗教であり、ある程度の刀の舞いはあるものの、むしろ祈りの際に弓をかき鳴らすことが特徴的であった。Algol教の流れを引くPascal教においては、物事の始まりと終わりは明確に言葉によって示されるが、C教では言葉の代わりに弓をかき鳴らすのである。また、別の僧侶に何らかの問いを発する場合は、それが問いであることを刀による舞いによって示す。

刀と弓による舞いのスタイルは、その後の多くの宗教が取り入れた。C教の流れをくむC++教は、当初はC教と同様に弓をかき鳴らすことを特色の一つとした宗教であったが、しばらくして読経に際して矢を射ることが甚だしくなり、さらに時代を経た新しい経文には、弓や矢よりも、鏃だけがただひたすらに目立つようになった。名人による経文は、鏃の上に鏃が打ち込まれて幾重にも層を為したと伝えられる。

「苦」が宗教において取り組むべき中心課題となってきたのもこの頃である。宗教の役割の変化と共に経文も長大になり、人知れず苦が紛れ込むことも多くなった。苦によって読経が中断されたり、あるいは逆に永遠に終わらなくなることもある。永遠に終わらなくなる読経は業による輪廻として恐れられた。また、その苦を含む経文が神に伝えられるや否や人生における苦として具現化して民を苦しめた。このように苦によって引き起こされる死や所有や欲から生じる苦の除去、輪廻からの解脱などが人々の求めるところとなり、経文が表す社会や人生から苦を取り除くことが宗教の大きな目的となってきた。

経文や人生から苦を取り除くための段階を表したものとして、「苦集滅道」すなわち四諦と呼ばれる真理が知られる。苦諦とは苦という真理であり、集諦とは苦の原因という真理である。滅諦とは苦の滅という真理であり、道諦とは苦の滅を実現する道という真理である。宗教においては、苦とは何かを知り、苦の原因は何かを知り、苦を無くすことを知り、苦を無くす具体的な手段を追求しなければならないことを意味し、これらの四諦は宗教人として避けては通れぬ真理である。

そもそも目標たる人生そのものに苦が含まれる場合もあれば、あるいはそこに苦は無いが、その実現の過程において苦が生じる場合がある。前者における苦の除去を対象とした、世界の構造や人生の目的などを曖昧さや矛盾のない形で経文に記することを是とする宗教群がある。このように苦がないとされる極楽浄土の記述を目的とする宗教としては、VDM教やZ教が代表的な例としてあげられる。これらの宗教では、世界の構造や真理、人生の目的などがいかに有るべきかについて厳密に記しておくと、その世界や人生に過ちが含まれるか、あるいは為すべき日頃の所業についての指針が得られ、それらは正しいことが保証されるのである。これらの保証は、経文に含まれる苦、すなわち人生の苦を経験したものには福音となるであろう。しかしながら、極楽浄土を正確に記述することの困難さがあり、すなわち矛盾なく、過不足なく真理を記することは甚だ難しいのである。また、真理の導出方法自体の経文に苦が含まれる可能性もある。現代においてはこのような形式を重んじる宗教の布教が進みつつはあるものの、一部の階級を除いて広くは用いられていない。しかし、これらの宗教によって苦を滅することを期待する人々も少なくはない。

極楽浄土の有様を一般庶民に伝えるために絵画で表す宗教もある。中世においては経文よりも宗教画により教義を布教する宗教が多くあり、乱立の様相を呈していた時期もあったが、近世に入るころに、それらの宗教の代表者の多くが集まって混乱の収拾に乗り出し、それらを総合した壮大な曼荼羅を描くUML教への統一を図った。宗教画には元来、静の曼荼羅と動の曼荼羅があり、それらが渾然となって世界が描かれていたが、UML教においては、十余の種類の曼荼羅が四つの観により描かれる。また、実現の過程で産まれる苦に対しては、前述の宗教によって記された経文や宗教画から、神の言葉に近い他の宗教の経文を生成したり、あるいは絵画に書かれた願いを直接神に伝える仕組みを聖堂に備えることによって、苦を滅する運動も行われた。極楽浄土を描いた絵は世に受け入れられたが、一方で極楽浄土への道筋や過程を描いた絵は複雑なものになりがちであり、これならば経文を読んだ方がわかりやすい、との批判もあった。また、極楽浄土ではなく、世俗における物事を重視する風潮も中世から近世にかけては盛んになったが、多くの民を束ねなければならない現代においては再び皆の共通認識としての極楽浄土が重視されるようになってきているようである。

実現の過程、すなわち経文においての苦を取り除く方法としては、いくつかの宗教的取り組みが知られている。一つには戒律を持って苦を抑え込む方法である。また一つには、経文を読みやすくすることによって苦を減ずる方法である。意図が明確に伝わりにくい経文は、それ自体が苦を生じさせるとともに、苦が紛れていても気づかぬ場合も多い。したがって、経文を平易に読みやすくすることは苦を減ずる手段とされた。

また、苦に対するもう一つの姿勢は、人生の目的やその実現において苦があるのならば、その苦が如何なるものか、いずれにあるものかを早く知り、根本となる苦を滅する方法である。実際、人生の目的自身が苦を内包する場合、その苦を除くには、その実現においての苦を除くよりも遥かに困難を伴う。したがって、人生の目的に誤りがあるかどうかを早く知ることが苦を除く上で肝要である。そのために、経文に記す作業よりも僧侶との直接対話を重視し、それによって人生の実現を図ることを重視する宗教が勃興した。これらの宗教においては、職業や階級における厳密さよりも、人々の間での対話の柔軟さを重視する。

C教の時代、苦は様々な形をとって発現した。輪廻以外の苦として、例えば空が引き起こす苦が知られる。神々の時代の卜占における「陰」は、C教においては無であり偽であった。また、無ならざるものはすべて真であった。古代のC教において、空という概念は世間で広く親しまれた経文において導入されたが、空は無が形を変えたものであるとされた。すなわち、偽と無と空が同一視されたのである。このような世界観のC教においては、苦の一つとしての虚空を彷徨う苦が良く知られている。虚に触れた僧侶は国家により過ちによる死を命ぜられ、その財産を目録として書き留める遺書と共に死を迎える。他の僧侶は目録を含む遺書を具に見て、なぜ虚空が生じたのか、その苦の原因がいかなるものであったか、また経文のどこにあるのかを突き止めるのだ。僧侶は読経の際に経文においてその指し示すところに色身、すなわち実体があるかを確かめる必要があった。無、空、偽、虚などの区別が厳密ではなかったC教に比して、近代の宗教ではこれらが厳然と区別されていることが多いのは、この無分別が苦を生む主因と目されていたからであろう。しかしながら、何を真とし、何を偽とするかについては、宗教によって依然異なることが多く、世の真理が何であるかは、まだ定まってはいない。たとえば他の宗教からRuby教に転じた信者は、陰すなわち無が真であること、また無言もまた真であることに驚くことだろう。宗教による無や空に関する考え方の違いが苦を生むことも多い。一方で、同じ宗教でも宗派によって違いがある場合もある。たとえばSQL教では、黙すなわち無言は空である宗派と、無言と空とは別物であるとする宗派があり、混乱の原因の一つとなっている。また、Objective-C教には驚くべきことに4種の空がある。これらの無や空に関する区別を厳密にする方向性から、さらに近代では読経時に虚空が生じる可能性を極力減じようとする宗教が増えている。

空による苦の他には、田畑や家の私有に起因する苦がある。古代のFORTRAN教やCOBOL教においては、土地は国家や人々に予め割り振られていて、その割り当てが一生変わることはなかったが、C教などにおいては新しく開墾した土地は自ら所有することができた。しかしながら、土地の売買をも教義として許すために、他人の畑に種を蒔いてしまったり、所有していたものを複数の相手に売ってしまったりすることによる争いが絶えなかった。あるいは、時には所有者の判然としない汚れた畑ばかりが増えることもあった。前者は「浮」による苦、後者は「漏」による苦と呼ばれる。これらの苦は、土地や物に仏性を与えるC++教においても引き継がれ、C教やC++教の信者の間では、汚れた土地を発見して純化する聖水の需要が大きかった。一方で、LISP教では田畑は死と共に召し上げられた。死者の土地はいずれ回収されるのである。このために、僧侶はしばしば瞑想にふけり、時には食を絶たねばならなかった。これらの仕組みは、後代のJava教やC#教などにおいて、回収の対象が土地から仏へと変化するにしたがって、より高度なものに進化した。この進化の背後には、これらの苦は、自力では苦を滅しようとしても逆に増やすだけであり、他力による本願に頼るべきであるとの考えがある。この他力本願の思想は、近世以降Java教やC#教などをはじめとする多くの宗教にて広まった。一方で、土地の所有権の受け渡しを厳密にすることで「浮」や「漏」の苦を防ごうとするRust教のように、あくまでも自力に依る救済の方向性も少ないながらも見られる。

苦と共に「老い」もまた宗教における課題となった。老いは経文が世界や生活の変化に追従できずに生じる。経文は時を経るにしたがって書き改められることも多くなり、その際に苦が入り込みやすくなる。人生や国家についても、また然りである。時には老いによって病や死に至らしめることすらある。あるいは、宗教自体の教義が変わることにより、従前から教義に準じていた経文が、突然教義から外れて異端となることもしばしばあった。教義の変更がもとで病や死に至ることをいかに防ぐかも宗教にとっての大きな課題となった。

中世以降の宗教においては、経・律・論が主要素となる。「経」は経文という宗教の根幹となるものであり、人々の願いや世界の在り方について表現したものである。これらの表現に対して、「律」という形で経の書き方を御することも多い。たとえば、C教においては、経文の書き方としては弱い制約しかないことで知られるが、これに対して「律」によって、その自由度を制限し、またその「律」に従っているかどうかを検査するlint経と呼ばれる経文が存在する。あるいはEiffel教 には「律」を神との契約という形で「経」そのものの中に表現する仕組みもある。近世以降のJava教やC#教などでは、その契約ほど強力ではないが、誓いの形で「律」を入れ込むことができる。

「論」とは、経の背景などを語ったものであり、「経」と対のものとして位置づけられ、しばしば「経」の中に書き込まれる。Pascal教においては、「論」を「経」に織り込む、大司教による著も生まれた。なお、織り込まれた「論」を清書する仕組みは、活版印刷の技術の発展と相俟って、宗教の世界のみならず学術の世界においても利用されている。後年のJava教やC#教においても、同様に「論」を「経」に織り込む仕組みと、「経」から「論」を抜き出す仕組みとして受け継がれている。「論」が十分に記されていない「経」は、後に経文が捨て去られたり、あるいは経文を書き換える際に苦を生んだりする原因と言われている。「論」を勧める経文としてはdoxygen経, Java教によるjavadoc経, Python教に端を発するsphinx経などがある。

人生においては、平凡な生活の中でも異なことが時に起こる。客人を招いたときに思ったよりも多かったとか、祝い事の際に出費が思ったよりもかさむとか、買ったのものが壊れていたとか、様々なことが起こり得る。初期の宗教においては、この例外的な事象に対処する術はなく、普段の生活の一つ一つの動作の中において異なことが起きないかを、前もってひたすらに調べるしかなかった。中世になると、異例なことが起きた時には、C++教やJava教などでは身を投げ、Python教徒は大声を上げ、Eiffel教やRuby教では救済を待つようになった。読経の際に異常に気付いた僧侶が身を投げた際には、誰かが身を掴んで引き戻すことが求められるが、ときに誰も気づかずに、あるいは身を掴む際の問いに誤った答えをしたがために、奈落に落ちていくこともある。また、この教義が導入された初期には、身を投げる僧侶が身辺整理をする機会が得られず、様々な「苦」が生じたと伝えられる。そこで、捨身の際の身辺整理のための教義が新たに考えられ、他力による救済の強化が図られたのである。

贈与に関する決まり事も宗教によって大きく異なる。気軽に贈り物を渡すことができる宗教もあれば、厳密に目録を書いて渡さねばならないとする宗教もある。贈られたものを間違って解釈したために生まれる苦も多くあり、厳密さはそれらの苦を防ぐとされたのである。C教では、贈られた物を欲しい物であると勝手に思い込むことによって多くの苦が生じたが、後の宗教では厳密な一致を求めるものが多い。一方で、たとえばJavaScript教の信者の間では、渡す側も受け取る側も極めて大らかであると言われる。渡していないものでも未知なる贈り物として恭しく受け取り、受け取られなかった贈り物はまるで最初から無かったがごとく扱われる。多くの宗教では、一度に多くの贈り物を渡すことができる一方で、返礼の品は一つにすべしと定められているが、PL/I教やGo教などでは例外的に複数の返礼を受け取ることができる。また、複数の返礼品を箱に詰めることで一つの返礼品とする作法を採用する宗教も見られる。

時代を経るにしたがって、苦も変化してきた。また、宗教によっても起こり得る苦の種類に違いが見らる。近代の宗教においては、多数の僧侶が同時に読経に勤しむことによって生ずる「止」「変」「怠」などの苦を減ずることを図っている。これらについては、近代の章で詳しく述べることにしよう。

中世から近世において特筆すべきは、物の中に仏を見出し、精神と身体(あるいは物質)の合一を宗旨とする宗教が主流となったことであろう。仏の思想は、庶民の宗教としては難解であり敷居が高いと古来より言われたものである。Simula教やSmalltalk教のころは固より、C++教のころでもそうであった。実際、仏を首座に据える宗教を信じる人々のすべてが、仏とは何か、魂とは何かを理解しているとは到底言い難いものがあるが、仏の教えはいつしか市民生活に広く入り込み、深く根を下ろすことになった。年月を経るにつれ、Java教などが市井に広まり、逆にC教が一般市民には難しい宗教と呼ばれるようになった。仏の教えを遍く広めん、と布教に難儀していた筆者の若い頃を思い出すに、隔世の感を禁じえない。

前述のごとく、仏の教えは北方にて興ったSimula教にてもたらされ、Smalltalk教において一応の完成を見た。仏の教えに拠れば、仏は色身をもって見聞きしてはならない、法よりなるものと見るべきである、とされる。また仏性を有する要素、すなわち仏より世界は構成される。異なる仏では仏性も異なり、同じ仏性は二つとない。すなわち、仏性とは、その本質において「これ」か「これ」でないか、が判じえるものの意である。あるいはSmalltalk教やRuby教では「自身」の認識という形での仏性も見られる。仏性のあるものは、生成し消滅するまでの間に現世において存在することになるが、同じ時刻と同じ場所に二つの仏性を持つものは同時には存在できない。C++教では仏性を有する者は生成し消滅するまでに場所を変えることはなく、「これ」はその場所を表すとともに仏性をも表す。しかしながら、Java教などの後代の他の宗教では同じ仏性をもつものの場所が変わることがあり、仏性を仏性として扱わねばならないことも多い。

その後の仏系の宗教群には、仏性を有するものの範囲や、仏性とは何かについての立場が異なる宗教が混在している。Smalltalk教においては、あらゆるものが仏性を有し、仏性を有するものは、他よりの言を法を持って受け取る。法を持つものは受け取った言を法に基づいて解釈し、自らの識を改めるのである。

仏性を有するものは、法を持ち、ものの性質たる属性を持ち、また仏性を有する者同士は因縁によって関係づけられている。一方で仏系の宗教とは異なり、ものや仏性を認めず、属性と因縁から世界が構成されるとするSQL教などもある。SQL教では「これ」かどうかは、仏性ではなく属性のみで語られる。すなわち、属性が同じであるもの同士の区別をつけないのである。

仏系の宗教には、普遍世界、すなわち浄土にある仏と、現象世界にある仏とを区別する宗教と、そもそも浄土にある仏については論ぜず、現象世界の仏のみを対象とするものがある。Smalltalk教、C++教、Java教、Ruby教は前者であり、後者としては古くはSelf教、最近ではJavaScript教やIO教などがあげられる。前者においては、浄土にある仏から現世の仏が生まれる。初期のC++教においては、浄土の仏は必ずしも仏性を有しておらず、唯、仏の名のみを有していたが、Java教やC#教においては、浄土の仏は仏性を有している。また、現象世界の仏は自らに対応する浄土の仏を知っている。浄土世界における仏は、浄土における他の仏を起源とするが、あらゆる仏の起源となる如来が一つ存在する。

また、仏性とは何かを問うに際しては、家鴨の音声の公案「家鴨の鳴き声を発するものは家鴨か」として問われるように、その法を有するものを仏性と見る見方と、仏性は生来備わっているものである、という見方がある。これらの教義の違いは、階級と職業に対する見方の違いとなって表れている。すなわち、必要な技芸や職能を有していれば、その職業につくことが許される宗教と、本来その職業に必要な職能を持ちえる階級が定まっていて、その階級に属さないものをその職業から排除する宗教とがある。Smalltalk教やRuby教は前者であり、Java教やC++教は後者に属する。

空と仏とを対極に置く宗教もあり、空が仏性を有する宗教もある。ただし、仏性を持つものは空となることができるが、身体はあるが仏性を持たないものは空になることはない。しかしながら、近年は仏性がなくとも空性を有するものを許す宗教もあり、一方で仏性があるものに対して空性を許さぬ教義も出てきた。いずれも空による苦を減じようとする試みであるが、仏性と身体性、さらには空性との関係は、まだまだ決することはないようである。

3. 近世 - 大航海の時代

およそ20余年前より時代は近世に入る。近世は大航海の時代の始まりでもあり、多量の貨物を長距離にわたって運ぶことができる船による航海の普及は、多くの宗教を産むことにもなった。中世においても沿岸海域での航海は良く行われていたが、宗教に対しての影響力は限定されたものであった。大洋の航海は当初は冒険者達の世界であったが、ほどなく商人らの領域となった。Java教、JavaScript教、PHP教などはこの近世の始まりを告げる宗教である。彼の列島において神々の集まる地にて生まれたRuby教もほぼ同時期に興った。この時代においては、宗教の多くは仏を中心教義としたものとなった。

近世においては、国家や民族への関係を疎にした汎世界的な宗教が増えてきた。あるいは民族とは無縁であるような、大衆による開かれた教団が力を持ってきたことが特筆される。

Java教は、太陽の民族が生んだ、近世を代表する仏の教えに基づく宗教である。その誕生時にはOak教と呼ばれていたが、ほどなくJava教へと名前を変えた。Java教は、多様な神や国家において布教を進めることを当初から企図していたが、その意志のとおりに世界中に広まっていった。近世から近代にかけての長期にわたり、様々な民族や階級において最も普及した宗教であったとも言われる。また、Java教が民衆に広く仏の教えを伝えたことも特筆されよう。それまでの宗教では、仏の教えは一般には理解が及ばぬものとされてきたことも多く、布教の妨げになっていたのである。身の回りの様々なものに仏性を見出し、また多くの民衆に悟りを開く可能性をもたらしたJava教は、大乗の教えとも言われる。

Java教においては、C++教での「苦」から逃れるための教義が多く採用されている。前述したように、土地の私有による苦はその代表例であろう。C教やC++教では、自ら新しく開墾した土地は私有が許された。しかし、代々土地を相続しているうちに家系が絶えて、誰のものでもない土地が生じることも多々あった。逆に、ある土地をめぐって争いとなることもあった。Java教においては、神が土地の利用を監視し、利用されていない土地を回収するのである。また、歯抜けの土地をまとめて大きな土地として利用しやすいように集める工夫もあった。そのために、ときには農民たちは休耕を余儀なくされたり、田畑を召し上げられて代わりの土地を与えられることもある。しかしながら、総じて土地に関する「苦」は大きく減ったと伝えられる。

一方で、中世より力を蓄えてきた国家の一つとして、Basic教を国教とする民族による帝国があった。帝国はその後宗教よりも国家を形成することに注力していて、C++教やVisual Basic教などの多宗教国家の道を歩んでいた。近世に入ってのJava教のあまりの広がりに対抗するために、帝国においてもJ++教やJ#教などが興されたが、これらの派生宗教はJava教の本山から異端とされ、ほどなく消え去った。なお、Java教は、甲骨文の民族に太陽の民族が同化された際に、同時に甲骨文の民族が信じる主たる宗教となった。

元来、宗教は多種多様な神々に対して、共通の言葉での祈りを可能にすることが一つの大きな存在意義であった。一方で、神への意思の伝え方の手段も多様化してきた。神自身に経文を神の言葉に翻訳させる経文を奉り、その経文によって、人間の言葉に近しい表現で記述された経文を神の言葉に変える。一度神の言葉に変えられた経文は、次の祈祷においては、そのまま神に捧げることができた。あるいは神への意思を神自身が直接理解できるような経文もあった。これによって経文の体をなさない意思を断片的にでも神に伝えることが可能であった。あるいは、古代のPascal教の一派のように、巫女に神が乗り移り、神の力を使いながら、あたかも神のごとく振る舞うものもある。つまり、神に代わって巫女が解すべき言葉を定めた宗教もあった。この仮神と呼ばれる流儀は長らく忘れられていたが、Java教により再興し、かの帝国にある.NET教団の中心的教義ともなって、今や主流を占める位置にある。この仮神は急速に普及し、時を置かずして『あらゆる場所で祈りを』を唱えつつ、Java教の仮神が多くの神々に対して調えられた。この運動はJava教の布教を加速し、蒼の民族による古代のころから連綿と続く大聖堂においても布教を認められることとなった。

一方で、帝国は宗教に対する大胆な考えを導入した。帝国は時にはいくつかの異神を奉ったこともあったが、現在は二つの神のみを認めている。これらの限られた神の世界において、様々な宗教が等しく同一の神を崇める仕組みを整えたのである。この仕組みに基づく様々な宗教群は.NET教団と呼ばれる。なかでもVisual Basic教が、その法を大きく変貌させて統一神に宗旨替えしたことは世間に驚きを与えた。このように一つの神に多くの宗教を生み出す.NET教団の考え方と、多くの神々を一つの宗教にまとめあげるJava教とは互いに対極にあるといえよう。

宗教的統一を図ったJava教を欺くがごとく、仮の神の言葉を介してJava教の資産とも言うべき経文をそのまま仮借する宗教も多数出現し、.NET教団に対峙するJVMと呼ばれる緩やかな教団を形成していった。Scala教や、LISP教の系譜に連なるClojure教などがその代表例である。あるいは、既存のRuby教やPython教などの宗教がJava教の仮神を取り入れる方向性も見られる。

C#教は、Java教に対応する上での.NET教団の中核とも言える宗教であった。.NET教団はC#と共に生まれたが、後にVisual Basic教や帝国によるC++教でもあるVisual C++教も.NET教団に加わるようになった。C#教は、かつて大司教のもとでPascal教の布教に貢献した大僧正によって始められた。大僧正はPascal教の後、Delphi教の教義の成立に貢献した。そして帝国に招聘された後にC#教を興したのである。そのためか、C#教の経文にはDelphi教やPascal教の名残が感じられるようである。大僧正は、その後帝国にてTypeScript教の教義の確立にも関わったと伝えられる。

なお、このころのC++教は職業に関して独自の発展を遂げていた。職業にある汎用的な構造を見出し、その構造を職業と掛け合わせることで新たな職業を用意に産み出す仕組みが導入された。またその構造同士も掛け合わせることで、さらに複雑な職業が生まれた。それにより、近世におけるC++教の経文には、鏃が積み重なった銛のような文様が目立つようになった。

JavaScript教は、当初は航海においての船の経文に用いられたが、船が交易のために様々な港に立ち寄るたびに、様々な国々や民族に広まっていった。当初は船によって経文の解釈が異なり、大きな混乱を招いたが、公会議によって教義が定まって後は混乱は収束していった。その後も次第に多くの信者を獲得するに至り、海洋のみならず陸地においての経文にも使われるようになったのである。なお、この宗教には当時広く伝わっていた宗教としてのJavaの名がついているが、実際には何ら関係はなく、高名な名に肖って付けた名であると伝えられている。正しくはECMAScript教であるとも言われるが、人々はJavaScriptとの名を使っている。JavaScript教も仏の教えを伝える宗教の一つであるが、高度な縁起を扱えることもあり、さまざまな流儀の経文が書けることが特徴でもある。

4. 近代 - 個の時代

古代においては宗教は大聖堂のものであり、中世においてはまだ信心の篤い信者のみが宗教を家のものとしていた。近世に入り、国家や宗教は民衆のものとなり、より身近な存在となった。家庭で見ることも珍しくなくなったのである。そして、近代においては民衆個々人がそれぞれ僧侶と経文を携えるようになった。時代は大きく変わったのである。

個の時代の宗教としては、Objective-C教がまず挙げられよう。この宗教はC++教と同様、C教に仏性を導入した宗教である。経文における仏性の扱いなどは古代のSmalltalk教の教えが良く保存されているといわれる。Objective-C教は中世以前に誕生した歴史ある宗教であったが、NeXT国に国教として採用されたことが目に付くくらいで、C++教ほど広まることはなかった。ところが、林檎の民がNeXT国を併せることとなり、彼らが携えるものとして採用されたことから、近代に入って急速に信者を増やすこととなった。しかしながら、教義の古さは否めず、林檎の民はその後新たにSwift教を興すこととなったのである。

個の時代における他の勢力は、当初はJava教の僧侶や経文を携えていたが、極寒の大地で生まれたKotlin教が広まっていった。Kotlin教はJava教の仮神を崇め、教義自体もJava教によく似ているが、前述した「虚空」に落ちる苦から人々を救済するための教義が盛り込まれた。

5. 現代 - 商人の時代

宗教が個としての民衆に広まり、大航海によって商業が盛んになった結果、
商人が力を持つようになり、帝国や蒼の国や甲骨文の王国の宗教に対する影響力は相対的に弱まった。国や大陸をも跨る巨大な商人たちの世となり、帝国も多くの列強の一つとなったのである。そして商人たちの手によって、新しい宗教が生み出されていった。

新しい宗教の多くは、既存の宗教が互いに教義を取り込んだために教義全体が大きく複雑になりすぎたことを是とせず、教理に沿った部分のみにそぎ落とした形となっている。これが、この時代の宗教の特徴の一つであろう。しかしながら、これまでの宗教も勃興時にはそのような信念のもとに興されたものがほとんどであり、時代とともにこの特徴が保たれるかどうかは今後も注意深く見続けねばならない。

Go教は、C教の教祖の一人が創始者に名を連ねているが、経文にはModula-2教や後継のOberon教などの影響も感じられる。また、この宗教の経文は読経の際に多数の僧侶が容易に並唱できることで知られる。航海中の多数の船同士が気軽に会話できるよう、大航海時代に必要な教義も備わっている。

Go教は仏系の宗教の一つであるが、仏性の扱いがC++教やJava教とは異なっている。C++教やJava教では階級と職業が同一のものとしていた。騎士とは階級であり職業でもあったのである。職業とは、その職業に就いたものが為すべき仕事のリストによって定められ、それが同時に階級としての責務を表していた。一方、Go教の教義には階級の教えはなく、職業に仏性が込められている。求められる仕事のすべてをこなせる者であれば、その職業人として仕事を受けられるのである。

Rust教は、世の中の苦は増え続け、それらの苦が人々の生活の安全を脅かすようになってきたことへの救済を目指して興った宗教である。なかでも、土地を巡っての苦は、反社会的な勢力に利用されることも多く、様々な方法で解決が図られてきた。これまでの宗教では土地の利用や共有についての教義のみが示されていたが、Rust教では所有権を明確にし、所有権を確実に移転することで苦をなくそうとしている。

なお、新しい宗教ではないが、現代においてはPython教が多くの信者を集めていることも触れておかねばならない。愛を語る上では欠かせない宗教となっていることが、大きな要因であろう。

6. 結 - 宗教の今後

何故に宗教の教義の発展は留まることを知らないのか。何故に人々は新たな宗教を必要とするのか。果てしなく創造と変化の続く宗教の世界の、背後にあるであろう理について語るには、まだまだ知るべきことが多く残されているようである。

宗教には経文が無くてはならないものであったが、昨今では一般市民を対象とした、経文がない、もしくはほとんどないような宗教も人気が出てきている。あるいは、経文などの宗教的体験を一切必要とせずとも、深く巨大な愛の力によって日常の会話の延長として、神と直接対話できる日も遠くはないかもしれない。

宗教の今後を占うには、筆者の想像力も潰えてきたようである。ここで筆を一旦おき、また新たな宗教の出現を心待ちにすることとしよう。



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