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いい大学に入っても「優等生」にはなれなかったな・・・・・・。

「エストくんはいいなぁ。有名大学卒で」

「高学歴!!エリートですね!!」

こんな言葉はこれまで100回以上言われた。

学歴社会は無くなってるとはもう既に言われてるけど、未だに学歴信仰が高いのも事実。

自分より高い学歴の人に劣等感を持つ人が世の中思ったより多いと実感し、学歴コンプレックスは根が深いものがあると思う。

確かに僕は上位10%の有名大学を卒業している。僕より上の学歴の人はザラにいるので謙虚にしているつもりだ。

他者から見れば「高学歴」なのが僕のキャラクター付けになっているようだが、全く嬉しくはない。

出身大学をおだてられるのは、僕の「学歴」と「人物像」に大きな乖離があるからだと考えている。

「高学歴」→「優等生」→「人間性が優れている」と判断されてしまうのだ。

20代半ばまでは社会経験が乏しいため、学歴から人間性を見定められてしまうのかもしれない。

高学歴であることは遊びたい盛りの年齢で学問分野を努力した指標として判断される。おおむねこれは間違ってないと思う。

ただ「優等生」であることを期待されると、僕には完全に力不足である。

僕の同じ大学にも生徒会長や学級委員長、部活のキャプテンなどクラスや学校の政治に携わっていた人が多かった。

組織の指導者の傀儡になることも自然と身についていて、さらには自分が上位の役職に就いたときには自分のワガママをなるべく多くの人に納得させて動かす力(世間ではこれを美しく「リーダーシップ」と呼ぶ)を持ち合わせている。

僕はこれらの経験が全くなかった。

優等生からは「こいつはおかしいやつだ」と敬遠され距離を置かれてた。いつも遊んでいたのは失礼ながら劣等生側の友達だった。

会社の忘年会で幹事をやるといういかにも優等生ポジションの役割を与えられたが、忘年会の進行はグダグダ・・・。「幹事しっかりしてくださいよ」と僕が叱られる側だった。

学業面だったら確かに同じ大学の優等生とは並べたけど、優等生として期待される人間性は身についてこなかった。

優等生として札を貼られると評価が減点方式になっていくような気がしてならない。

「高学歴なのにこんな常識もわからないのか」とかいう、学歴が高ければ知ってて当たり前だと勝手に思われてしまう。

そして期待値が高い分、その期待を外すとがっかりされるのである。

もちろん僕もその期待を外さないよう努力はするが、20年くらい優等生として生きてきた人には自然とできることが僕にはできない。限界を感じる。

小学校の頃ちょっとしたトラブルを起こして転校となり、高校でも停学を受けた劣等生の中の劣等生だった。親や先生の話も全く聞かず、自分のやりたい遊びに夢中になってたと思う。

偏差値も高校3年の時点で40切っていて、その状態から1年浪人して偏差値60の大学に合格した。浪人期間だけは勉強した。浪人期間「だけ」は。

高校の成績は本当は留年するところだったんだけど、学校側はとにかく僕を弾き出したくて卒業させたようである。

僕と同じかそれ以上の学力の人でFラン大学や高卒就職した人も多いだろうが、身の丈にあった進路を選べて素直に羨ましいと思う。

学歴にコンプレックスを持っていても、隣の芝は青いのかな、高学歴には高学歴なりの悩みがある。

僕は学歴の檻に囚われず、僕らしい人生を自分で開拓していきたい。

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