処分

下書きがよく溜まる。
あとから書き足したり校正したりしたいと思って残す。
数週間、日常のふとした時に書きかけを思い出して、考えをめぐらす。
そろそろ煮詰まっただろうか、また続きが書けるだろうかとまた読み直す。

何も変わってない。

大抵何も変わってない。
ので、もう公開しちゃおう。ぼくの不完全な考え。
下書きのままぼくが死んでしまったら、この言葉たち無かったことになるものね。それは避けたいし。なんでか分からないけど、ネットに生きた証あればいつか誰か見つけてくれそう、とか、思う。
歪みに気づいてしまえば、そして治らないと知って仕舞えば、道は見えなくなるし弱ってしまう。治っては復活して何がしたいかわからないしどうでもいいや、なのにまだ理解されたくて悪あがきしてる、誰かを救えるぼくじゃないけど勝手に書くことはゆるされたいな、て思う。

本題、私がずっと答えが出せずにいることのうちの、一つ。

何が楽しいのか?
ということ。

わたし、最近ずっと分からない。ずっと悩んでる。ずっと考えてる。
ロボットみたいでわたしも苦しい。どうやったら見つけられる?どうやったら、楽しいことを想像して、探して歩けるようになる?
ついでに幸せも分からないなって最近思う。
感じることはあるけど、それに向かって生きることはできないくらい、不安定で一時的で自己中なものしか見つけられてない。そういうもの?それとももともとは知っていたはずなのに、見えなくなってしまったもの?見えなくしてしまった、もの?

もともと壊れてるのか、壊されてしまったのか、作り忘れたのか、こんな話前にも書いた気がしてきたけど、どうやって生きればいいのか、さっぱり見つからない、から、生きてる感じがしない。生きるために何かをすることなく、生きることが出来てしまう。だから、楽しく生きたいとかオプションをつける余裕が出来て、できないのならこんな生き方に意味は無い、死ぬっていう選択肢が見えるようになってしまって。恵まれすぎてしまったみたいだ。

ついでに、自分の利益もよくわからない。
全部余生だと思って生きているから、だれかのためにわたしが使われるなら嬉しいと思う。でも、やりたいことをやって、っていわれると、わからなくなってしまう。やりたいことなんてない、今日をだれかにあげたいくらいだ、今日の意味をわたしが意味づけることが出来ず漂うように生きてる。あなたが幸せだったら、なんでもいい。そこにわたしが居られるなら、とても嬉しい。でも、そうじゃなくても、いい。重いか。誰かの為に生きたいだけだから、だれか、拾ってくれないかな、て生きてる。

みんな何が楽しくて生きてるんだ。帰り道にでも死んでしまいそうで怖くなった、今ならいけると自信が湧いてきてなにもこわくなかった。黄色い線を越えて電車に警笛を鳴らされてはじめて、あくまで自分がこわくなって、泣いてしまった。また思わせぶりなんて言われるし秘密だけどね、死にたいって言葉は道具になるっていったあの人、わたしは忘れてないよ。もう嘘はつかないし全部信じるって決めたから、わたしのすべては台詞じゃ無い、本当のこと、だからどうか信じていて、嘘じゃない。

わたしが死ぬことで迷惑をかけることに薄々気づいてた、いつのまにか、だからそれだけは避けたくて、思い切って、どうして生きていると思うか、同輩の子にきいても、困って眉を顰めるだけだった。そういうのは吐き出した方がいいよって言ってくれたあの子、その目は曇ってた。本当は彼女も分からなかったのかも、でも、気づかないようにうまく生きてたのかも。私は彼女をひきずりこみたくなくて、ありがとうっていって切り上げた。よくわからないなと思いながら思考をやめた。使い果たすとだめになってしまう気がしていた。本当のわたしの弱さは相手を壊してしまうから。そうやって話さなくなっていったひとたち、いまどこでなにをしてるかな、ぼくが言ったことは忘れてくれてたらいい、ぼくの弱さの分身が歩き回ってるなんて想像したくないから。

わたしはどうして今日も目が覚めたのか、どうしてここにいるのか、どうして。
楽になりたい。みんなそうかも。わたしはそう。何も考えなくてもよくなりたい。死ぬ以外に道はあるってまだ信じてしまってる。たぶんある、そんな感じはしてる。でも道中はなかなかに厳しい。もう長く続けたくない、わたしの命がわたしのものであり続けるのなら、もういい。

また同じ結論にきた。
また夜が来て、朝が来て、いつか身体が尽きる。
人間それでいいの?私は求めすぎなのかも。死の直前、恐怖じゃなくて満足だといい、解放だといい。

また暗いこと書いちゃったけど、作家でも無いし、作家だとしても、人間だし。
歪んでる中の美を信じてたい。悲しいことも無くなる、多分。

今日の思考の処分、終わり。

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