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風に吹かれて 2O24.O6.O2 essay

夕日が差し込む南海電車に揺られて、これを書いている。堺東で乗り換えて、急行電車に乗り換えようとしたら人でぱんぱん。くるりと向きを変えて1番線の各駅停車へ。書き物をするときは各停がいい。あたまとこころが落ち着く。

今日は、"こんな日になるとは思わなかった日"だった。
まだなにが起こるか知るよしもないわたしが行きの電車のなかで書いた文章はこんなだった。

今日は午後から電車にのって四天王寺のわつか市へ。平安蚤の市以来Instagramでつながってるnobbyさんのお店に行こうと思う。知ってる出店情報それのみだけど、"古い"ものたちが集ってるらしく、色々探すのたのしみ。終わってから元気だったら玉造のiloiloさんにも行こうかな。ファッションブランドfutatsukukuriのキッズ服飾が販売されるらしく、興味しんしん。

ノビーさん読んでますか。今日は蚤の市出店の裏側をあれこれ見せてくださりありがとうございました。
そう、今日は新しい出会いがあり、とてもたのしかったのだ。一年前に別の蚤の市で会っていたのだけど、今日はじめて会った気がする。と同時にずっと前から会っていたようなきもする。いまふと思えば、ノビーさんは何歳なんだろう。多分今日の会話のなかで話してくれてたはずなんだけど、覚えてない。すみません……。年上であればあるほど人の年齢は特段気にならないので、きれいに左から右に流れてったんだと思います。

四天王寺の境内で行われた蚤の市、ごんごんと鐘がひびく端っこのエリアで出店されていたノビーさんのとなりで、どれくらいだろう?1時間すこしくらい、革製折りたたみ椅子にすわって、いろんな話をした。

ノビーさんは、蚤の市やネットで骨董品を売っている。歌をつくってギターを弾いている。絵を描いて出展している。小説を書いている。革製品を手作りして販売している。写真をとって雑誌をつくっていたこともある。そしていろんなことを知っている。
いわゆる就職という形ではなく色んなことをやっている人というのは、わたしの周りにはあんまりいなくて、お勤めしているおとなや同級生たちばかり。わたし自身、中学卒業してからずっとアルバイトで大学卒業後も就職せず引き続きアルバイト。創作活動に興味があって、アルバイトしながら文章を書いてみたり絵を描いてみたり編み物したり音楽したり……
どうやったらこの先を切り開いていけるだろうか。実際に表現活動や個人でなにかしている人に会って話をしてみたいな。そんな気持ちがずっとあった。したいことをして生きている人の言葉を聞きたかった。
だからInstagramでノビーさんがあれこれ幅広いコンテンツをのせてるのを、たのしそうに生きてる人だなあと日々興味深くみていたら、今回の出店情報を教えてくれて、行ってみよう!ということになったのだ。
そして今日実際に会って話してみると、まあ話の弾むこと弾むこと!もう5日分くらい喋った気がする。それくらい楽しかったし、言葉がとまらなかったし、好きなものの共通がいっぱいあった。
村上春樹の本はおそろいで、好きな小説や音楽もあれこれ似てて、なによりお互いに探求心がとてもつよい。だから知ってることも知らないことも気にせずいっぱい話せられた。充実とはこのこと。刺激的で豊かな時間だった。

普段生活しているなかで、友だちがいないわけじゃないし、家族とも暮らしてるからひとりじゃないし、支えてくれているパートナーもいるからさびしくなんかない。でも、心のどこかでなんだか、"会いたいひと"というのはぼんやりいる。それは、自分でもわからないくらいに自分が生き生きしてしまう人。
人っていうか、"言葉"に反応しているのかな。恭平さんの本を読んでるときも同じ気持ちになるもん。やばいたのしい!ってなる感じ。

専門学校とかに通ってたらきっと、好きなことを語り合える存在はわりかしできやすいと思うけど、そういう場を持っていないわたしは、これまでネットのなかでそういったソウルメイト?的存在を探していた。Instagramにあげている絵に反応してくれた人としばらくチャットしたのちに、
「あなたも気の合う人を探してるんですか?」
と聞いてしまったこともある。
わたしはけっこう真剣に探していた。だから今日はすごくいい日。めったにない日。
"からだのなかに風を吹かせてくれる、素直にさせてくれる言葉を放つ人"
そういう人のことを、なんて呼べばいいのだろう。先生?師匠?仲間?わからない。
いっそ"風"とよびたい。風の人。この先もたくさん出会っていきたい。何人出会えるかな?

そんな風に吹かれた今日は、なにかがまたちょっと動いた気がした。最後に、きらきらしてるもんね、って言われてうれしかった。そんなこといわれるのいつぶりだろう。目が死んでるとはよく言われるけど(←わるい意味だとはもう思わなくなった、ただの顔つき)、今日は自分でもきらきらしてるのがわかる。そしてさめないうちにこの文章が書けてよかった。やっぱり人生は"be すなお"であるに尽きると思いました。

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