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わたしの編み物のこと 2O24.O6.11 essay

今日は久しぶりに、やりかけのまま止まっていたセーターの続きを編んでいる。
コーラルピンクの糸と5号の輪針。今は後ろ身ごろの肩甲骨ちょっと上あたりまで進んでて、あと少ししたら減らし目をして襟ぐりに差し掛かる。肩をつなげたらひとまずベストの形になるので、そこから袖に入っていく。

編み物は2O22年5月12日木曜日、赤い糸でマフラーなのかなんなのかわからない長方形を編んだのが最初だ。(カメラフォルダを見返したので日付が正確です)

最初は糸が生地になっていくのがただただ嬉しくて、何を作るのかさえ決めずにかぎ針でひたすら編んだ。めんどくさがりのせっかちなので、編み図とは仲良くなれない。いつも、まず編む。作り目をして、考えるよりも先に手を動かし、編んで編んでしばらく経ったらできたものを目の前にかざして見つめる。
「嘘みたい、いけてる!奇跡!」となるときと、「……だから編み物はいやや!」となるときがある。もちろんたいていが後者。失敗続きのあまり編み図と仲良くなろうとしてみた時もあったけど、編み図が指定している糸の号数を守らないといけないのがネックで、やっぱり好きな糸で好きなように編もうと決めた。失敗は減らないけど、たまに起こる奇跡を信じてる。

失敗しても失敗しても、2年間編み続けてこられた。編み物で不思議なのはまさに、いくら失敗してもまた編もうという気持ちになること。失敗がトラウマになりにくいというか、かわいいものを作りたい!っていう気持ちが強すぎるというか。"かわいい"への尽きない憧れは、人の頭から失敗を忘れ去らせるほどのパワーがあるのだと思ってる。だから失敗した直後はショックで泣きそうにもなるけど、翌日にはケロッとしてSNSで参考写真を探していたりする。

もう一つある編み物の不思議は、完成よりも妄想の方が楽しいこと。どういうことかというと、完成したものを身につけるときよりも、まだ何にも取りかかってない状態で「何作ろう?これ作りたいな」ってぼんやり考えてるときの方が心がワクワクするということ。もちろん身につけて出かけるのも楽しいには楽しいけど、妄想してる時間には負ける、ということだ。
なので一つの帽子が完成しても、「完成したし糸の始末も終わったし、これ被ってどこ行こう?」ではない。行く先は糸屋さん一択なのだ。

作ったら作りっぱなしで見向きもせず、なんていう作品も少なくない。見た目が綺麗で丈夫に編めたものはBASEにもあげてるけど、絶対に売れて欲しいという気持ちともまた違う。アプリを開くのも週に一回くらい。
編み物をしてることを人に話すと、販売しないの?という話になったりする。そういうときは「いつかは売りたい」と答えているけれど、それが本心というよりかは、それをずっと口にしてたら自分の中で本気で売りたい時が来るかな、なんて思って言うことにしている。

もし身近な人から自分の作ったものを「欲しい!」と言われたらすごく嬉しい。逆にもらってくれるの?というありがたい気持ちになる。実際に大学時代に学内の手作り市に参加したときは、ほぼタダ売りだった。人にプレゼントするのが好きだ。でもかといってお金が欲しくない、というわけでもない。お金は欲しい。額もわりとしっかり目に決まっている。2,OOO円〜3,OOO円くらいもらえたらちょうどよく嬉しい。なぜなら次に作りたいものが決まった時に、すぐに糸屋さんに飛んでいくことができるからだ。これだけあれば安い糸でセーター1着編めるし、帽なら上質な糸で2つ編めちゃう。なのでもし作品で欲しいのがあればすぐに譲るけど、糸屋さんに行けるだけのお小遣いもそっと握らせてくれたら、なんかめちゃくちゃ嬉しいです、といった感じ。

でも今作っているセーターが完成したら、自分の中で何かが変わりそうな予感もしている。もしかしたら売ろう!と思うかもしれない。でもまずは自分の着る分を完成させて、そのあとは別の色でも作って、それからたけとにもかわいいセーターを編んでプレゼントしたい。売れるようになるまでは、まだまだ遠い道のりだ。

それに、わたしにとって編み物は編むだけの時間ではない。編み物をしている間は、いつも何かしら学習というかインプットをしていて、主にyoutubeで人の話を聴いてることが多い。逆に終始じっと座って見るのがしんどいので、ながら〇〇で視聴するのがわたしにはあっていて、その〇〇にセーターはちょうど良いのだ。セーター単体と向き合ってる時より音がある方がリズムが手に伝わってスイスイ編み進められる感じもある。

編み物の不思議をもう一つ思い出した。それは編み物は伝染するということ。わたしは完成したものを自分で眺めて満足するっていうのができないので、人に見てもらうためにインスタのストーリーにあげるのだけれど、それを見てくれている友人の中に「わたしも編んだよ」と報告してくれる人が、ひとりだけじゃなく、ふたり3人4人…とどんどん出てきたのだ。わたしはギターや絵も好きでアップしているけど、そのときは優しい人たちが褒めてくれて嬉しかったという記憶だけで、「自分もこれ作ったよ」と見せてくれる人はいなかった。なのでこれは編み物特有の現象なのだと思っている。
わたし自身も、SNSで他の人が編んでいる写真を見て、例えばアラン模様なんて絶対今すぐできるわけないのに「やりたいな〜」なんて気軽に思っていたりする。もしかしたら編み物は他の創作に比べて始めやすい趣味なのかもしれない。

セーターが完成する頃はきっと太陽燦々汗だらだらの季節だろう。でも季節なんて気にせず、好きなものを好きな時にどんどん作り続けていこう。ということで、また編む。

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