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地続きじゃない日々 でもやってみたいこと 2O24.O6.O1 essay

6月に入った。今年も半分まで来た。時の経つのはあっという間、と世間的には言われるけど、わたしの中で今年の元旦の記憶はちゃんと遠い遠いところに位置してるって感じがする。今年もちゃんと半年が過ぎたという時間感覚。わたしの中で「最近」と口にするときは昨日~今日のことを指す。一日がちゃんと一日分の質量を持っているし、そうであってほしいと願って生きている。
びゅんびゅんと味わえないままに日々が過ぎていかないように、ここにできるだけ毎日のことを書き続けたいのだ。

今日は昨日のじめじめとうって変わって、乾いた空気と肌に強い日差し。すでに半そで半ずぼんの格好の人を電車で見かける。頭の先に小さな白い花を咲かせている背高草は止まることなくぐんぐん天に向かって成長している。この植物の正式名称はなんだろう。また知らないうちに季節が過ぎていくんだろうな。

今日も書店バイト。今月は遅番が多めなので午前中にゆっくりとやりたいことができるので嬉しい。今日は借りていたDVDを返すついでに近所の散歩コースをぐるりとして過ごした。

今の職場に来て3ヶ月が経ったけど、ほんとにいい環境に恵まれていると感じる。4時間半と休憩挟まずの短い勤務時間も各駅停車に揺られて通勤できるのもからだに合っていてとても健康的。スタッフさんも驚くほど優しい人たちばかりで、気持ちに余裕を持って働くことができている。出勤前の電車で、Amazonや楽天の書籍売り上げランキングをチェックする。どんな本が売れているのか需要確認。最近は発注業務も任されるようになったので前よりもやることが色々とあって楽しい。わたしは実用書担当だけど、そのほかの分野もちょこちょこ触らせてもらえるので動き回れて楽しい。次は先輩スタッフと千葉雅也などの現代哲学者の書籍コーナーを立ち上げたいねと話していて、それもわくわくしている。今日何か一つ実現に向けて行動したい。

昨日の出勤ではその先輩スタッフとたくさん話すことができた。勤務中だったのだけど話し出すともう止まらなくて、お互いに関心のあることや読んでいる本、著者のことなんかを溢れ出すように話してたら、並んでいたお客さんに気づかず「レジお願いします」と言われちゃった。すみません。でもそれくらい話に夢中で、気持ちが熱くなっちゃって、わたしはこういう時に普段は言おうとしてもなかなか出にくい本音を相手にぽろっとこぼしてしまう。
「わたし坂口恭平さんを尊敬してて、明確に何がやりたいというわけではないけれど熊本のアカデミーに行きたくて……」
そしたら先輩は明るい表情のまんまで、
「いいやん、若いうちに行っといでよ、実はわたしも〜歳の時に〜がしたくて学校に入って……」
話してる間ずっと胸がどきどきしていた。ほんとの気持ちを話しているときは幸せで苦しい感じ、体がうずうずしてしまう。相手が素直な雰囲気でうれしそうに身の上話してくれてるのもじんわりと熱くうれしい。もっと話し続けたかったけどさすがに仕事に戻った方がいいと思い、レジに向かう先輩の背中に「また喋りましょう」と声をかけて終わった。わたしはその後も興奮冷めやらずで、その日は頭も手もよく動き、仕事がばんばんはかどった。

多分ちょっと軽い躁だったのかもしれない。昨夜は脚の芯あたりがじんじんと痛むので明け方の4時まで寝付けなかった。でも頭はしゃきっとしていたし目もらんらんだったので、noteを書いたりnetflixでテラスハウスを観たりして過ごした。前回の2月の鬱明けも、その翌日にこんなふうにらんらんと眠れない日があった。その後は気分にかなり波があったので、今回もきっと……。
(関係ないけれど、テラスハウスは今観直してみると前は気づかなかったことに色々気づく。スタジオの人たちの発言や"お肉事件"みたいに簡単にネーミングされたものを視聴者は鵜呑みにしてはいけなかったと思う。スタジオの人たちが見よう見ようとしている側面とは違う側面をいくつも視聴者は各々しっかりと考えて見出すべきだった。そしたら見ている側にもかなり学びの多い良い番組だったと思う)

話は戻るけれど、そして今朝起きて、やっぱりいつものことだけれど、昨日の意思や発言が今日の自分と結びつかない何かに感じる。
「なんで昨日あんなこと思ったり言ったりしたんだろう」
要は、もうすでに気持ちの温度が冷め始めている、ということなのだけど……このあたりの熱しやすさ冷めやすさ、飽きやすさが『躁鬱大学』を読んでわたしも躁鬱なのかな、と思ったひとつの要素であり、自分がちょっと嫌になるというか、この先が心配になる部分。毎日思っていることがころころ変わってしまうのだ。

でも、スマホの写真フォルダを見るとすでにお気に入り登録した熊本の物件写真が保存されているし、これまで書いてきた意思ある文章たちもあちらこちらに保管されている。アカデミーの映像もyoutubeで全部観た。いいないいなって言いながら観てた。はっきりとはしていないけれど、憧れの人に会いに行きたいし、そこに集まっている他の人たちとも触れ合いたいし、自分も創作をやりたいし、自分の表現を模索してみたいし、という思いは日々の中でどうしても現れてくる。ただ、夜目覚めた時やこうして朝起きてすぐはいつも不安に駆られて「なんでそんなことしようとしちゃってるんだろう」って、昨日までの意思が自分のものとは全く思えない感覚がある。自分や日々が地続きではいかない。わくわく、らんらん、それが急に消失して、昨日とは話し方や出てくる言葉さえも、まるっきり違ってしまう。

昨日のことを書いていると、今がどこだかわからなくなる。そうだ、今日のバイトでの出来事を書こうと思ったんだ。まず、今日の出勤も楽しかった。ここで働けてほんとにうれしいという気持ちを、直接店長に伝えることができた。いつも書棚の整理をしていることに店長が気づいてくれて、店長の方からも直接その感謝を伝えてもらえたのもすごくうれしかったし、うれしいですと素直に伝えることもできた。今日は素直だった。素直でいようと思えたし、実際素直でいられるコンディションでもあったし、その上で一つ実行に移すこともできた。専門書を担当している先輩スタッフに、『生きのびるための事務』を推したいこと、坂口恭平さんの存在や活動のこと、わたしが彼の本で救われたことを話してみた。話すのは勇気がいったけど、なんとその方も店長も恭平さんのことをかなりご存知でびっくり。
「全然いいよ、じゃあマガジンハウスに週明けに電話して自店用に〜冊欲しいですと伝えてもらって……」
優しく流れを教えてもらい、わたしはまた胸がどきどきしてきて体の奥から素直になる感覚がして、
「わたしここの書店のことは想ってるんですけど、でも一回熊本に行ってみたくて物件見たりしててもしかしたら…」
そしたら昨日の先輩スタッフと同様二人とも
「いいやん、行っといで。後悔しないように、若いうちに!しかも地方移住って、向こうは若い子に来てもらうことしか望んでないからね…行ってがっかりすることもあるかもやけどとりあえず行ってみたら?」
と冷静な意見も交えつつ、背中を押してくれた。お二人は閉店作業の合間にしゃべってくれていたので、本気でしゃべって盛り上がっていたのはわたしだけだったと思うけど、うれしかったしびっくりしたし、ほんとに行ってしまうかもしれない、行く気になってもいいんだと思った。
何かが動いた、と思った。

そして今日もまたこうやって文章が書けた。やっぱり書けることに関しては、しんどさを感じず、すらすらと書けてしまうから不思議。やり方があっているってこういうことなんだと感じる。最近は詩も書いている。一日ひとつずつ。文章も一つずつ続けていこう。こうやって日々のことを記せるだけで、毎日をちゃんと味わって大切にできているという充実した感覚があるから、人の評価は気にせずどんどんやっていこう。そしていつかエッセイ本や詩集を出してみたい。熊本に行ってみて自分がどうなるかも、観察・執筆してみたい。出版社を作ることにも興味がある。今は夏葉社の島田潤一郎さんの『長い読書』を読んでいる。彼はひとり出版社なのだ。
どんどん書きたいことが出てくる。ひとまずこのくらいにして、夜また別のことを書こう。また書こうと思えることがほんとにうれしい。





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