初代アイマスとデレマス、歌の雰囲気が違うので歌詞を比べてみよう


1.初代アイマスとデレマスの曲、なんか違う

 Spotify で昔はまった初代アイマス・デレマスの曲を聴きなおして「え…やっぱりエモ…」と感傷に浸っているときに、当時からふんわりと認識していたことが頭に浮かびました:
「アイマスとデレマス、明らかに歌の雰囲気が違くね」

誰も見ていないに等しい鍵垢でのツイート

 こういうこと考えるのは好きなので、ちょっと考えてみることにしました。

2. 歌詞を比べてみよう

 メロディラインも明らかに両者の違いにかかわっている(そしてそれは、おそらくその当時の音楽の流行なんかが背景にある)と思うんですが、音楽の知識がないので、分析のとっかかりもつかめないような有様です。
 そういうわけで、とりあえず歌詞を比べてみたいと思います。初代アイマスとデレマス、それぞれの方針をはっきり表わしていて、かつ両プロジェクトの(おそらく)最初の曲であろう「THE IDOLM@STER」と「お願い!シンデレラ」をとりあえず取り上げてみます。

2.1. 両者の共通点――大枠の構造

 二つの曲に共通しているのは、大枠でみれば「アイドルが頑張る姿を描いて、その姿に聞き手を自己投影させることで、聞き手を頑張ろうという気にさせる」というつくりになっていることです。
 加えて、歌う側(765プロ・346プロのアイドル)が、アイドルにどんなイメージを投影しているのか、アイドルを軸にどのような自己像を形成しているのかということも二つの曲では表現されていて、それが「頑張るアイドルの姿」に深みを与えていると思います。そして、この点に両者の違いははっきりと表れています。

2.2. 両者の相違点――アイドルの描き方

 「THE IDOLM@STER」の方は、女性として強く生き抜くことを主題にしているという面があって、これが確かに強烈なインパクトを与える曲だと思います(そして、さっき調べていて知ったのですが、そういう理由で一部の男性ファンの神経を "逆撫で" する曲でもあるようです)。
 ただ、この曲はそれと同時に、とてもサラリーマン的な曲だと思います。特に2番では、「金は欲しいし、人気者にはなりたいし、プライベートが制約されるのはきつい」というメッセージがかなり前面に出てきます(特に「ろくに寝られずに朝の満員電車に乗る」というエピソードのつらさは、共感する人の多いエピソードではないかと想像します)。「人気者になりたい」を、「仕事で成功したい」に置き換えれば、世の勤め人が思っていることを直接的に代弁しているのではないでしょうか。
 加えて、「プライベートの制約」がとても具体的(学校での疎外の経験、遊べない、ろくに寝られずに朝の満員電車)なので、アイドルの具体的なエピソードがまずあって、聞き手はそのエピソードに自分との共通点を見いだすようなつくりになっていると思います。

 一方で、「お願い!シンデレラ」の方はどうでしょうか?一言で言えば、間接的な仕方でアイドルの大変さを描いていると思います。魔法とか星のようなモチーフが出てきたり、ゲームに出てくるようなカタカナ語の連続で、歌詞それ自体が何か特定のエピソードを具体的に想起させるようなつくりにはなっていないからです(アニメを見ている人は歌詞から何か特定の場面を思い浮かべるかもしれませんが、それはいったん脇に置きます)。実態が伴わないイメージの羅列からなっているといえるかもしれません。

 しかし、この歌が実態を伴わない空虚なものだと言いたいのではありません。それは、歌う側がそのイメージの羅列に自分の生活を投影していて、そのことによって確かな現実味が感じられるからです。ぽろっと出てくる「オーディションに受からない、チャンスがつかめない」という意味の一節からもそのことが分かります。ただ、そこが前面に出されることはない、という点で「THE IDOLM@STER」とは異なっています。

 つまり、ここでは、ある物語化されたイメージの集合 A がまず提示されて、歌う側も聞く側もそれに自分の姿を投影する(より正確には、まず歌う側が A に自分の経験を投影して A' が生まれ、それに聞き手が自分の経験を投影する感じかも)、ということが起こっている、ということになります。
 この対比は、初代アイマス、デレマスのそれぞれの曲が与える印象の違いを説明できる気がしているのですが、いかんせん書いている本人がにわかなので、反例とかが死ぬほど見つかる可能性があります。

2.2.1. (余談)サラリーマンから声優へ?

 さっき軽く触れたのですが、アイドルの大変さとして具体的に描かれているのが「ろくに寝られずに満員電車に乗る」みたいな具体例で表現されるような「忙しくてしんどい」系の話から、「オーディションに落ちる」という「仕事がなくてしんどい」系の話に移っているのもちょっと面白いですね。サラリーマン的な大変さから声優的な大変さに変わっている感じがします。

 社会的に共有された「悩み/不安」の世代ごとの型(もっと上の世代は「仕事が忙しすぎること」が悩みの種だったが、今は「仕事がなくなってしまう」という不安がある)を反映しているんですかね?この辺はよくわかりません。

2.2.3. (余談その2)本田未央ちゃんのエピソード

 デレマスでは、アイドルもある与えられたイメージ(まさに「シンデレラ」のようなキラキラしたアイドル像)に自己投影を行っていることを指摘しましたが、本田未央ちゃんのエピソード(初ライブが期待したものとかけ離れていて、"恥をかいた"、つまり理想のアイドル像と自己像の同一化に失敗した件)が、まさにこのことを象徴していると思います。(アニメ版)初代アイマスで問題になることとは焦点が当たっている場所が違うという感覚が何となくあります。

2.3. こういう違いがあるのは何で?

 前項では、
「THE IDOLM@STER」→自分の生活を生で提示して、聞き手はそれに自分との共通点を見いだす
「お願い!シンデレラ」→あるキラキラしたイメージを提示して、聞き手も歌う側もそれに自己像を投影する
という作りになっているのではないかということを指摘しました。

 そうすると、次に「何でこのような違いがあるのか」という問いが立てられます。その原因かどうかまではわかりませんが、歌の作りが変わったことによって生まれた効果が一つあるとすれば、

自己投影できるエピソードの範囲が広がった

ことだと思います。「THE IDOLM@STER」の方は、サラリーマン的なエピソードに共感できる人か、男性と対決する女性としての自己認識に共感できる人のどちらかに当てはまらなければこの曲の「応援する」効果の対象外になってしまうということになりますが、「お願い!シンデレラ」の方は、聞き手が自己投影する対象を具体的なエピソードに特定しないことで、その適応範囲がより広くなった気がします。

3. おわりに

 このくらいの話なら、Evernote に書きなぐってまた気になったときに個人的に調べてみるのでもいいと思ったのですが、他の人に見られると思って書いた方が考えが整理されるかもと思ったのと、もしこの記事を読んでくれる人がいたら、その人は(アニメ1-2周見て歌聞いてるだけで、ライブも行ったことがなければゲームもまともに触っていない)私よりも絶対にいい感じの直感があるはずで、万に一つの確率でコメントがもらえたら嬉しいなという気持ちもあってこの記事を書きました。

 これ以上掘るなら、分析の対象はアイマス/デレマスの他の曲か、音楽か、バンダイの経営戦略(アイマスシリーズのターゲットセグメントがどこなのか)か、初代アイマスとデレマスのリリース時の日本社会か、みたいな感じになってくるんですかね?誰かやってほしい、そしてそれをまとめたのを読みたい(他力本願)

(そして、クソにわかでミリオンライブとかシャニマスとかは全く詳しくないので自然と議論の対象からは外れる流れとなってしまいました。すぐにとはいきませんけどそちらもきちんと履修したい気持ちがあります)

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