金を貰って責任を持つのと、金を貰わず責任も取らないのとどっちが健全か言ってみろ。

今年の第一四半期、話題になったアニメがある。
NHKで放送された『映像研には手を出すな!』だ。

タイトルは、この原作漫画、第2巻で金森氏が言うセリフだ。
ロボ研から映像制作を引き受けることになった映像研。対価を受け取ると言った金森氏に、主人公の浅草氏は「金の!亡者め!」と反発する。
そんな浅草氏に対して、金森氏が放った言葉がタイトルのそれ。
一連のセリフは次のとおり。

「仕事に責任を持つために、金を受け取るんだ!
 金は依頼した仕事の出来を保証させるためにあるんです。
 金をもらう以上、我々には仕事のできを保証する義務が生じます。
 金を貰って責任を持つのと、金を貰わず責任も取らないのとどっちが健全か言ってみろ。」
 (大童澄瞳『映像研には手を出すな!』(小学館) 第2巻 p.19)

ちなみに話は次のように続く。
水崎氏「でもさ、お金貰わないだけで好き勝手アニメ描けるなんて最高じゃない?」
浅草氏「わしもそれ思った。」
金森氏「それはだめだ!」

この場面を初めて読んだ時、私は衝撃を受けた。
それまでの私は、金銭的報酬と仕事の責任を結びつける発想に乏しかった。
仕事は仕事であるがために責任が生じるもの、と思っていた。

いや、少し見栄をはってしまった。
本当のところは、水崎氏の言うように「金を貰わずに好き勝手できるのが最高」という思いもなくはなかった。
そして、こうした自分の価値観に無自覚だった。
我ながら、なんとも「おめでたい」奴である。

『映像研』の一幕はこうしたものを一撃で打ち破ったのだ。
自分がそれまで、金銭的報酬と責任を結びつけていなかったことに気づかせ、その上で「それは甘い!」とパンチを喰らわせてきた。
私にとって、学びの多いシーンだった。


さて、新型コロナの感染拡大が、依然として止まらない。いやむしろ、3月下旬以降、拡大のペースが一段速くなってきている。

そんななかで、(主に公的部門を中心に)金銭的報酬と仕事の議論がみられる。
一つが国会議員歳費の議論だ。

4月14日、国会議員の歳費削減で、与野党が合意した。
(日経新聞の記事: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58017580U0A410C2PP8000/ )

このこと自体は、とても尊い行いだと思う。
国会議員が、自発的に、自分達の身を切ったのである。なかなかできることではない。自分の給料が減ると言われたら、私は嫌だ。

ただ、世の中には、こうした収入削減を、他者の側から要求するということがある。「議員報酬は高い!減らせ!」という主張である。

こうした主張が全て悪いとは思わない。
状況次第では、本当に報酬を減らした方が良いということはあるだろう。

ただ、である。
先ほどの金森氏の言葉に引き寄せて考えると、「報酬は増やしてもいいから責任を果たせ」という議論もあって良いのではないだろうか。
(注:国会議員の皆さんが今責任を果たしていないと言うつもりはない)
自主的ではない、外部から強いる報酬削減が横行して良いのだろうか(今、実際に横行しているかどうかは別途検討すべき問題だが)。

国会議員でも、公務員でも、会社員でも、自営業者でも、そして医療従事者でも、あらゆる働く人に対して、仕事と責任に見合う対価を払う。
そのために、正当な対価を払えるだけの儲けを確保できる仕組みを作る。
そうして、一人一人が、期待され、責任を果たしながらいきいきと働ける環境を作る。
そんなふうにできれば、人の生活も、社会や国も、豊かになるのではないだろうか。
裏を返せば、不当に給与の削減を要請し、人やモノ、サービスに正当な対価を支払わない社会は、縮小均衡に向かってしまうだろう。

もちろん、高額な報酬を引き換えにその人が負えないほどの責任を負わせたら本末転倒だろうし、世の中そううまくは行かないという反論もあるだろう。

ただ、正当な対価が支払われる社会の方が健全だと思う。


何はともあれ、『映像研』は面白い(interestingな)作品である。
アニメ作りに邁進する高校生の青春劇でありながら、ものづくりの素晴らしさ、クリエイターの誇り、さらには「働くとはなんぞや」まで教えてくれる。
この作品はある種の経済漫画だとさえ思う。
時間があったら、是非読んでみてください。