【ヒーリングという名の暴力】〜錯覚のスピリチュアルvol.1 #001
技術的に難度が低いため、それまで縁のなかった人もできるようになるヒーリング。さまざまな種類と方法論が複数あるが、どれも基本として人を癒すという目的がある。
ヒーリングはやるといいもの、やれば良くなるなどと無条件に理解されている。されているが、本当にそれでいいのか?何がいいのか?なぜやるといいのか?については「通り一遍の教科書通りの答え」しかない。
ヒーリングという技術を扱う側に知恵がなく責任がない。その上理解がない。同じ医者がいれば即アウトになるような物事がなぜまかり通っている。
■ヒーリングが行うこと
話を上の方で維持するため、ヒーリングの技術は十分にあり効果が得られるとする。
ヒーリングの効果は主に2つに分かれる。
ともあれ簡単にまとめると「+への働きかけ」と「−を解消する働きかけ」がある。
■ヒーリング方法論の種類
スピリチュアルやエネルギーワークと呼ばれるものを省けば無数にある。
ここでは限定して大きく4つに分ける。
■癒しとは?
基礎は「精神に対して当事者の状態を好ましく稼働するように整える」ことの総称。精神と肉体が連動しているため、精神性への働きかけ(エネルギー)から肉体への働きかけ(物質)に転化することもある。
このため不調、病気、生理的な不具合に対してヒーリングを行うこともある。端的に言えば体を治す。
癒しが必要ということは、癒やされなければならない何かの不都合な状態に立たされているということになる。
この意味で癒しとヒーリングは主にマイナスの状態に対して適用され、効果を発揮する。特にマイナスがない場合は、良い状態を保つことや持続性を高めるために作用する。
基本としてヒーリングはエネルギーが溢れる状態にはできない。ヒーリングの技術がそのようにできている。
■誰を癒していいか、いけないか?
ここを何も考えていないヒーラーが大半を占めることに失望している。
またそういうヒーラーからヒーリングを喜んで受ける占い感覚の人が多いことは、軽蔑するべき現実が生み出されていると理解することだ。
■たかだか力が使えるぐらいで偽善するな
「ヒーリングは良いことだ」
「みんなにしてあげたい」
「自分が苦しんだから人には同じ思いをしてほしくない」
この時点で100%間違っている。
ヒーリングはその他の技術、和紙を漉くことができるとか、フォークリフトを運転できるということと変わらない。
他の人にはできないことができる、だからやってあげたいという「人としての基本ができていない人」はヒーリングやエネルギーワークに限らず、和紙もフォークリフトもするべきではない。
それはお前の偽善の押し付けであって、自分と人生を欺瞞で飾り立てることだ。なぜそのために役立ってあげないといけないんだ?
「困っている人を助け、苦しんでいる人に癒しを提供して何が悪いんだ?」
悪いに決まっている。
独善のためにそういう理由を持ち出すことがもう全然ダメ。
エネルギーを扱っていながら自己中心的な振る舞いを軸にする。
そのエネルギーが綺麗なわけないだろ。飲み水に困っている人がいるからといってお手製の泥水を飲まそうとするな。
ヒーリングの効果は術者の人格と比例する。
(一歩譲っていうなら、特に感情を持たずに行う人の効果も高いことがわかっている。相手のことをなんとも想わない術者だ。それはそれで問題があるが、ヒーリング効果ということだけで話を進めると、そういう人のワークも一定の効果がある)
ただ人間的に未熟な者のヒーリング効果は「ない」。
受けた人が良くなっただとか、改善したとフィードバックしても、それは勘違いでしかない。
事実エネルギーの流れに変化がある場合ですら同じことが言える。効果は出ない。
逆に言えば人格が優れている人で、ヒーリングなど技術的にできないが、よりどころを必要としている人の側にいるというだけで、効果高い癒しが生まれることがある。
順番を正すことだ。ヒーリング技術は3番目か4番目にしか重要ではない。
■痛い苦しいはダメなのか?
ヒーリングを乱発する者はもちろん、ごく一般的な人も実のところ「痛いこと」「苦しいこと」はさっさと避けるべき災いだと信じている。
はっきりと違う。
必要な痛み、必要な苦しみがある。
上に書いた「ゆらぎ」がわかりやすい。その期間を経なければ次に移行できない。
不要な痛み、不要な苦しみもある。
「ゆらぎ」でいうなら、必要な痛み100%を超えた分は不要な痛みだ。
そこはヒーリングしていい対象になる。
人格の次に大切なことは、
痛みとは何か、苦しみとは何か、必要と不要を分けているものは何かを知っており、適切に区別できることにある。
さらに「癒し」とは本来何か。どのような力学があるのか。
それを適用していい相手、適用してはいけない相手は誰なのか。
適用していいなら、ヒーリングでそれを行うべきか、別の手段で行うべきか。
そういうことを知っているからこそ、ヒーリング行為に信用が、ヒーラーに信頼が作られる。そのエネルギーは美しくある。
それができないならヒーラー、ヒーリング行為はやるべきではない。
絶対に、だ。
人の精神や肉体に関係することを、ただの技術でやるなどもっての外だと術者も受ける側も妥協せず知らなければならない。
もし体の不調を感じ病院に行ったとする。
検査の結果「あーこれはステージ3のガンですね。このままだと死にます」と言う人格の医者が、「切りましょう。それ以外の方法できないんで」と言ったら、その医者を信じることができるのか?
未熟者がやるヒーリングはそういうことだ。
そしてそれははっきりと暴力であり、しかも独善による暴力だ。
これがわからないようなら、もう一度未熟児からやり直してくるといい。
【ヒーリングという名の暴力】~錯覚のスピリチュアルvol.1→この記事
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