成人式での挨拶

実は、先だって地元で開催された成人式(20歳を祝う会)で挨拶していたので、記念にその原稿を投稿します。
個人的にはなかなか気に入っていたりします。
とても短いので最後までお付き合い下さい。


皆さん、こんにちは。
「令和五年 〇〇○市 二十歳を祝う会」実行委員長の M.S. と申します。
本日は、〇〇○市 ××市長様 をはじめ、ご来賓の皆様方にご臨席を賜りまして、誠にありがとうございます。

本日このように、大きな人生の節目を迎えることができましたのは、家族をはじめ 多くの方々に、これまでの20年間、常に支えて頂いたおかげであり、 このことに心から感謝申し上げます。ありがとうございます。「ハタチ」を迎えた今、改めて 成人としての自覚と責任を持ち、社会の、そして〇〇○市の、今後一層の発展のため 力を尽くして参ります。

本日は、新成人の皆さん一人ひとりが主役です。今日この会が 皆さんにとって思い出深いものとなるよう、二十歳を祝う会実行委員十五名は、心を尽くして準備して参りました。この会の成功のため、皆さんのご協力をよろしくお願い致します。


さて、今年の「二十歳を祝う会」は、成人年齢の18歳への引き下げによって、従来の「成人式」から名称を変更して行われる、初めての晴れの会となります。新型コロナウイルス感染症の影響も懸念されましたが、こうして皆さんにお集まりいただき、ともに二十歳の節目を祝うことができることを大変嬉しく思います。

長らく日本では、「子ども」から「大人」になる 節目、それが二十歳であると されてきました。「子ども」と「大人」の違いについては 様々あります。これまでの私たちは、作家、米澤穂信の言葉を借りますと、「こちらに考え違い があった時、無償で 叱ってくれるのは 家族か 学校の先生ぐらいのものだ。それ以外の人間は ほとんどの場合、ただ 怒りをぶつけてくるか、何も言わずに 以降の関係を断つかに留まる。」と。私たちは既に、あるいは間も無く、精神的にも、そして経済的にも、学校の先生や家族から自立した「責任ある大人」となります。その時、ついに私たちは、誰にも 守ってもらえない、社会という 厳しい 大海原へ 漕ぎ出していかなければならないのです。

しかし一方で、それは裏を返すと 次のようにも考えることが できます。私たちが「考え違い」をしている とほかの「大人」に思われた時、その私たちを止める人はいない。より一層、私たちを縛る制約条件から自由になる、ということです。そして、「大人」の持つ 常識 というのは、主に若者の、その自由な発想と挑戦によって、しばしば 簡単にくつがえるものです。私たちが生まれた20年前、誰がスマートフォンなどという万能の機器の登場と、それによって引き起こされる社会の変容を予想できたでしょうか。

私たちは今日、確かに、社会的には「大人」になります。しかし、その考え方まで 大人びて しまわないよう、何事へも 挑戦する 気持ちを忘れず、この社会を より良いものへと変えていける 柔軟性を 持ち続けるために、良い意味で「未熟」であり続けたいものです。


結びになりますが、ご参列の皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げまして、わたくしの挨拶といたします。

令和5年1月3日 二十歳を祝う会 実行委員長 M.S.


大人びること=何かを諦めていくことなんじゃないか、という危機感が自分の中にずっと存在する中で、今回成人したといっても"大人"になろうと過剰に意識して自らの可能性を狭まる必要はないんじゃないか、これからも子供の時の気持ちを忘れず、自らのしたいことに恐れずチャレンジしていこうじゃないか!というメッセージが聞き手、読み手の皆さんに伝わっていれば嬉しいです。
そしてこのメッセージは同時に、昔から「大人びてるね」と言われることの多かった自分自身へのメッセージでもあります。子供に対して大人びてるって表現は、決して褒め言葉ではないですよ…
母からは、B'zに影響を受けすぎじゃないかなどと言われたりしましたが()、とても満足できるスピーチでした。


あとがき(?)
ちなみにこれが、私の座右の曲かつ、今回のスピーチを考える上でも影響を受けまくっている曲です。興味あれば聴いてみて下さい。
https://open.spotify.com/track/32C0bouSk5dHwFlp77S2FT?si=c4bca7af0d4b44e8