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今思えば、まるでイカゲームのような体験だったのかもしれない。

≪読み終わるまで約15~20分ほど≫

父が死んでから、一年。
今振り返れば、早かったな。

でも、その一年という時間の中にいる間はとても長く感じ、何度も何度も激しく涙を流した。

今思えば、きっと、私の化けの皮を剥がしてくれていたのだろう。

白黒の皮。
固定概念の皮。
ギョーザの皮。#いらんてそういうの

傷ついてるのに笑って誤魔化したり、辛くても笑顔でいたり‥。

そういうの、心のどこかで、もう疲れてたんだね。

10年に渡って何層にも何層にも積み重ねられたピエロの皮をようやく剥がすタイミングが来たみたいだった。

何重にも重なっている層は、掘るのにも時間がかかるし、剥がすのにも、それ相応の痛みが伴われた。

何度、発狂しそうになっただろうか‥。

ミノムシが蝶になるときは、こんな痛い想いをしているのか?

実は、ぅわあああああ!とか言いながら蝶になっているのか?

もしそうだとしたら、これから見る目を改めるよ。

ミノムシさんには、これから頑張ってね、というエールを送るし、

蝶さんには、こんなにキレイなのは、あの試練のお陰なんだね。と思うよ。

#ただの妄想の可能性大  
#蝶やミノムシがそんなこと思っているかは謎

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私は去年の2月まで職業訓練校に通っていた。

その間、毎月10万円の補助金をもらい、住居確保給付金で家賃の補助もしてもらい、プラス母の年金で2人分の生活を賄っていた。

そして、2月に辞めた後、本来なら、すぐにでも資金調達をしなければならなかった。

「次の月の生活費、どうする?」と母と話ながら、今までの私なら、すぐにでも働き口を見つけ、何かしら、すぐお金に繋がる方法を考えていた。

でも、今回は、思うようにいかない。

身体が不調を訴え、思うように動けず、まるで大きな力で抑えられているような感覚に、「そんなハズない」と抵抗する自分が戦っていた。

「こんなこと、他の人に言っても、きっと理解してもらえない。」その時の私は、そう思っていた。

なぜなら、今までの私がそうだったから。

それと同時に、きっと殻に閉じこもりたかったのだろう。

サナギから蝶に変化するときには、外敵にも弱くなっている。

だから、きっと、3月の訓練校の人たちとの遊ぶ約束をドタキャンしたり、
#関係ある  ?

「高く飛ぶために、一旦、消えよう。」と、急に思っては、LINEの情報を全て消したりしていたのだろう。
#ホント申し訳ないね  

そんなある日、父は死んだ。

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私のLINEは消えても、母のほうから家族の情報は入ってくる。

訓練校の人たちとの約束をドタキャンした2日後、「父の様子がおかしい」と、心配した姉が父の住むマンションに行ってくるとの連絡が入ってきた。

その前から、LINEの返事をすぐ返さなくなっていた父の様子に「おかしいかも‥」と母は少しざわざわしていた。

その胸騒ぎは当たっていた。

姉がマンションに入った瞬間、父は倒れていた。

父はガリガリに痩せこけた状態で、部屋のあちこちには糞便の跡があり、父の隣には杖が置かれ、周囲の壁には、大量の鏡が置いてあった。

姉は、すぐさま救急車を呼び、父は病院へと搬送された。

ストレッチャーに乗る直後、すでに意識が朦朧としているはずの父が「うわあ!」と暴れ、最後の抵抗を見せた。

と、この話を姉から聞いたのは、救急車に搬送された次の日。

倒れていた父の姿を見てショックを受けたのだろう。姉は、何もできず、放心状態のまま、床に座り込んでいた。

母、兄、私が、駆け付けると、姉は、安心したのか、「ふえ~ん」と、泣き出した。

こんな姉の姿、過去に見たことがあっただろうか‥。しっかりしなきゃ!が強い姉が‥。相当、ショックだったのだろう。

とりあえず、姉には、ゆっくりしといてもらい、母と兄と私で、家の中の片づけを開始した。#ウンチの中には住めないからね 

片付けをしていると、父がどういう生活をしていたのかが見て取れた。

引きっぱなしの布団はキレイなままで、ずっと、廊下で寝ていたことが伺える。窓には、防止のシートがキッチリ貼られており、「意外と几帳面だったんだね~」と、母。

たしかに。昔、大工さんをしていた名残だろうか。

父の横に置いてあった杖は、トイレに行く際に使っていたのだろう。ガリガリの体でトイレに行くのも、やっとだったのか‥。

壁一面の鏡は、未だ謎のまま。

そして相変わらず、大量のボールが床に散らばっていた。父は、ボールを使って筋トレをするのが、日課だった。

そうやって、父のことを想いながら掃除をすること、3時間。

生活できる空間になった。

久しぶりの家族団欒。

「こんな形で会うとはね~」と言いながら、姉から父の様子を聞いたりしながら、これからの怒涛になるであろう日々に備えた。

次の日、病院へ行き、父の状態を聞いた。

結果は、末期のすい臓がん。

「こんな末期になるまで、置いとくのは、恐らくしんどかったと思いますよ。搔きむしった後などもありますしね‥。」

お医者さんのその言葉に、吐きそうになった。

「どれだけ忍耐力があるんだ?」

「そんなに家族に迷惑をかけたくなかったのか‥」

「そんなに病院のお世話になりたくなかったのか‥」

「私の全身もかゆくなったのも、何か関係あるのか?」

「いつだかの「死にたい」という言葉が飛んできたのは、あれは、お父さんの言葉だったのか‥???」

頭がパンクしておかしくなりそうだったので、一旦、考えるのをやめた。


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何日間か、病院に通い、父にとって、どういう死を迎えるのがいいのか家族皆で考えあぐね、ついに、家で看取ることを決意した。

もしかしたら、傍から見たら、とても冷たい家族と思われるかもしれないが、搬送される前に父のとった態度、末期になるまで耐えた父の意志の事を考えると、それが一番だという考えに至った。

そして、ちょうどタイミングよく、家で看取ってくれるお医者さんも見つかり、病院から家に搬送されるまでは、早かった。

家に無事ついてから、亡くなるまでも、そう時間はかからなかった。

家に着いてから、3日目の夜。

母と兄と私とで、父のベットの回りをコの字に囲って寝ていた。(姉は姉の家族のこともあるので、一旦、姉の家に帰っていた。)

二人がすやすやと寝ている中、私は、夜中に目を覚ました。

すると、心なしか、父の呼吸が弱くなっているような気がした。

耳を近づけてみると、やっぱりそうだ。

私は、母と兄を起こした。

「息、弱くなっているかも。」

二人はバッと飛び起きて、父の呼吸を確認した。

「ほんとだ。」

横に備え付けてあった心電図も、ほとんど動いていない。

「これ止まったら、お医者さん来てくれるんやったっけ?」

などと話している間に、父は静かに息を引き取った。

3/20。
宇宙元旦と言われる日に、父は亡くなった。

「3/20だよ!宇宙元旦っていうんだって!すごいね!やっぱりお父さんって、宇宙人だったんかな?笑」

「うーん、でも、もしそうやったとしたら、ホンマに生き辛い時代を生きてきたんやねえ」

と、お父さんがどんな人生を送ってきたのか、みんなで想いを馳せていると、
#意外と能天気  

お医者さんが駆けつけてくれた。「OO:OO ご臨終です。」と言い、今後のスケジュールについても少しだけお話してくれた。
#夜中にご苦労様です

翌朝、葬儀社の方が見え、火葬場へと運んでくれた。

そして、次の日、姉と合流し、焼き終わった父の骨を納め、父の肉体が無くなったことを実感した。

父は、宇宙の彼方へと、飛んでいった。

今頃、どんなことをしているだろうか。

今までよりも生きやすかったら、いいなあ。

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この父の死は、タイミングの奇跡を信じさせてくれるキッカケになった。

3/20に亡くなったことだけではない。金銭的な現実においても。

私と母は、父がなくなる直前、次の月のやりくりに困窮していた。

それにも関わらず、父がかけてくれていた保険で、その時住んでいた東京から大阪に行くことが出来た。

それだけでなく、父が住んでいたマンションが売れ、親族に1000万円が入ってきた。

タイミングの神様というのは、本当に、いじわるだ。

どう喜んだらいいか、分からないじゃない。

一旦、マンションが売れることを聞いた私達は、飛んで大喜びしたものの、すぐに、

「父はマンションが売れるということを知っていたのか?」
「死ぬタイミングも見計らっていた、とか‥?」

そんなことが頭の中を、ぐるぐるぐるぐる。

お金が入ってきた嬉しさと、過去に父にとった態度への後悔と‥、いろんな感情で押しつぶされそうになった。

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小さい頃から、私は父のことをあまり知らない。

当時の父の仕事は、タクシーの運ちゃんで、夜勤だったため、父以外の家族との生活スタイルは真逆だった。

日中はずっと寝ていて、私たち家族が寝るときには、仕事に行く。家の中では、ほとんど会話をしたことがなかった。

家族でどこか行くのも、しぶしぶで、行ったとしても、普段会話していない人と何を話したらいいか分からなかった。

でも、今思うと、沈黙が気にならない人って、そうそう居ないのよね。

私の場合、相手の口数が多すぎても、うるさいなあと思うし、沈黙かまして、あたふたされるのもめんどくさいなあと思うし。

結局、私のような、わがままなタイプには、丁度よかったのかもしれない。笑


でも、いつだったかな。
久しぶりに父の住んでいる大阪のマンションに一年間住まわせてもらった時、父のダラダラしているように見えるスタイルの変化のなさに、私は、無性に腹が立ち、あからさまな態度を出してしまっていた。

だが、父は、なぜ私がそんなに腹を立てているのか理由が分からない。

他の家族と比較すると、ウチの父は全く何も悪いことはしていない。

ギャンブルも、女遊びもしていない。お酒には浸っていたが、周りに迷惑はかけていない。ただ酔い、ただ眠りに落ちていく。それだけ。

なのに私はなんであんなに腹を立てていたのか‥。

‥いや、答えはわかっている。

才能を開花させる努力をしていないように見えたから。

ただそれだけだった。

なぜ、父に対して、そんなことを思ったのか、当時の私にも分からなかった。しかし、いつからか、私は、父のその姿に嫌気がさしていたようだった。

「時代のせい」という言葉が頭をよぎっても、「なにそれ?」とはねのけていた。

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父が亡くなって3か月経ったある日、私は新国立美術館で開催されていたファッション展がどうしても気になり、自然と足を運んでいた。

戦後まもなくから現代までのファッションの傾向をパネルやマネキンで展示されてあるものだった。

それを見たとき、「あ、そういえば、お父さんって、戦後4年後に産まれた人だったんや。」

そう思った。

戦後から、激動の時代へ。

その文字が書かれたパネルの中にヒッピー集団の姿を見て、お父さんを投影してしまった。

「そういえば、お父さんもヒッピーやった、ってお母さんが言うてたな。」

「ちょうど時代の転換期を経験した人だったんだ」

と、改めて思った。

そういえば、母から

「その時代の人は、学生運動に参加した人達でね。お母さんが学生だった時代よりも、もっと凄かったんじゃないかな?」

という話を聞いたことがあった。

学生運動。
革マル派、中核派といって、派閥をつくり、政治闘争をするものだった。「安保反対!」などとデモを起こしていたのだとか。派閥の中にいる人たちは、とても過激で、お互いの意見を一向に曲げようとしない。

そんな中、父はというと、

無政府主義を謳っていた。
政府をもたない、無政府主義。

しかし、そんな時代に、そんな曖昧な立場にいる父親は、周りの人から、良く思われていなかったらしい。

そして、これは想像だが、そういう派閥をもつ人たちに対して、父は、「まあ、なるようになりますわ」などと言い、きっと周囲の人を腹を立たせていたことだろう。

そんな父の時代のことを想像していた時に、「バトンタッチ」という言葉が頭に浮かんだ。

バトンタッチ‥。

これからの激動の時代に亡くなっていった父。
そして、これからの激動を体験しようとする私。

自分の身を削って家族を守ってきた父。
父が亡くなった後、私に流れ込んできた意志。
「家族や身の回りの人を守る。」

そこで、ようやく、いつだか頭によぎってきた「時代のせい」という言葉の意味が分かった。

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地の時代。
物質や目に見えるものを信じる時代。

お金がなければ、夢も語れない。
会社に属していないと、何もしていないように見られる。
何もしていないように見える人は、まるで、社会のクズのような扱い。

そういう時代の大きな流れに、お父さんはついていけなかったんじゃないか。というか、ついていくだけで精一杯だったのかな。

そんな中で、家族を守ることに邁進し、身を削ってくれたお父さんに、才能を開花させろ!なんて、お門違いな想いだったな。

そら、私が腹を立てていた理由、分からなくて当然だよ。お父さんは悪くないもの。単純に、私自身の問題。私が、自分の人生に悩んでいたから。

自分の才能というのが、全くわからなかったから。

自分を棚に上げて、目の前のお父さんに投影される自分の姿を見て嫌気が指していただけだった。

死んでからじゃ、遅いのにね。後悔するの。
お父さんは、家族のために必死に生きてたのにね。
私ときたら…。本当に自分のことしか考えてなかったよ。

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父の存在のお陰で、いろんなものをもらった。

「才能」について考える機会や、人の死ってこんなにも影響が大きいんだって事、そして、お金についての有難さ。

そして、これからは、風の時代。

タイミングというのは、時に残酷で、父がこれからの時代に生きていたら、どんな人生を歩むことができたのだろうか?

と思う瞬間がある。

72年の人生、愉しむことは出来たのだろうか。私の目には、とても疲れているように見えてたけど、実際のところは、どう感じて生きてたんだろうか。

でも、だからこそ、この時代を30代で迎える私は、自分の才能を使って、これからを楽しく生きていかないと勿体ないよね。

10年もの間、ピエロにならざるを得なかった経験も踏みにじることにもなるよね。

高く飛ぶと決めてLINEまで消した想いが結ばれないよね。

反面教師の役を演じてくれたお父さんの魂も、ね。

だからさ、
ありがとね。
お父さん。

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まずは、少し身を削る想いで、この文章、書いてみたよ。

お父さんも、物書きになろうかなとぼんやり思ってた時、あったよね?

そんなお父さんに、この文章はどう映ってるかな。

#まイマイチか  

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