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棚から牡丹餅

私は中学校が高知県 明徳義塾の野球部であり(高校は地元神戸へ戻った)当時、中学野球部の監督は現 明石商業高校野球部監督の狭間先生だった。狭間先生が明徳を退職され明石へ戻られる最後の3年生だ。

私にとって人生の師である狭間先生が、高校野球部監督である馬淵先生が仰った〝棚から牡丹餅〟理論の話をよくされていた事が印象深い。

「棚からの牡丹餅を手に入れられるのは幸運の持ち主ではなく、棚の一番近くで手を挙げ続ける努力をした者」

はじめて聞いた時は面白い事を言うなぁ。と思った覚えがあるが、その言葉の深みというのが今になってみればよく分かる。

チャンスと言うのは案外そこら辺に転がっている物だ。ただ、その時がいつ来るかは分からない。本当に来るかもわからない。一生来ないかもしれないし気付いていないだけなのかもしれない。
それを掴めるか掴めないかはいかに準備をしてきたかによる。言うまでも無くその機会が与えられた時に結果を残しチャンスを掴む事もそうだし、そもそも準備が出来ていなければチャンスの声すら掛からず知らぬ間に過ぎて行ってしまうだろう。

ある経営者は言う。〝成功に因果関係なんて物は無くて自己啓発本なんて物は全て後付けだ。大切なのは然るべきタイミングでそこにいる事。そしてそこで結果を残す事。成功した人物が自分の苦労話をあたかも成功と絶対的な因果関係があるかのように美談として書いているだけだ〟(因果関係の概念はという話は一旦置いておく)

・大切なのはそこにいる事
・そしてそのチャンスをものにする事

祈祷をする立場からすれば、その運を掴む為の〝ご祈祷〟であり、努力をしなくてもご祈祷を受ければ受験に受かるなんて話は無いわけだ。だからこそ日頃から考え、努力し、準備をするのだ。チャンスに気がついてから努力をする事は誰でも出来る。けどそれでは遅いのだ。

何かの拍子で棚の上にある牡丹餅が落ちてくるその時に、誰よりも棚の近くで、誰よりも高く手を伸ばし続けたいと私は思う。

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