![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32308204/rectangle_large_type_2_b366e0de3b0f68f71f98d0eecb8adb4e.jpg?width=1200)
「切株映画」の詩学――四肢切断はメッセージ
「切株映画」のファンとして、原因と結果のみを示す四肢切断シーンに不満を感じる。いわば「チェーンソーを振り下ろす」(原因)→「手足がぶった切られる」(結果)という二つの〈カット〉を繋ぐというもので、肝心のシーンが省略されているケース。チェーンソーが手足を切断する瞬間の――いわば切株が〈生成〉する過程の――映像の「テクスチャー」を味わいたい身としては、これは悲しい。
切株が生成する「プロセス」こそ眺めたいのだ。いわば四肢切断(mutilation)の変容(mutation)を観察し、骨や血管や神経が切断されるありさまを(植物の発芽ビデオのように)超スローモーションで観察し、その断面からゆっくりと血が吹き出るところをじっくり見ていたい。
ジョン・マカーティはかつて「四肢切断はメッセージである」と、マーシャル・マクルーハンをもじって言ってのけた。切株を事後的に見せつけるのでなく、切株が〈生成〉するプロセスにこそ「メッセージ」を、もっと言えば「詩」を封じ込める感性が求められる。
目玉を引き裂くプロセスに「切断の詩学」を見出した『アンダルシアの犬』の純粋精神の美しさを、切株キッズたちは忘れてはならない。
おまけ:四肢切断をアップデートするための映画書
対象をズタズタに「引き裂く」スラッシャー映画を、オノ・ヨーコの自らの服を切り裂かせるレイプアートや、W・バロウズのカットアップ、ゴダールのジャンプカットの前衛アート史に位置付けて見せたジョアン・ホーキンズの『Cutting Edge: Art-Horror and the Horrific Avant-Garde』以来のヒット作か pic.twitter.com/JFFnAlyLVO
— 後藤護 Ꮆø✞ℍ-ø ℳДℳøЯυ (♨︎ちゃーめん) (@pantryboy) July 13, 2020
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?