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メイキング・オブ・『ゴシック・カルチャー入門』①――配管工としての文学者
発売して半年以上経ったし、拙著について自己切開(アナトミー)したくなった。自分でいうのもなんだが伝説のデビュー作だと思っている。というのも開始一行目に誤植があり、あとがきで実の母の名前を間違えている本など前代未聞であるからだ。
そうしたボケや校正へのあてこすりはさておき、この本に寄せられた感想に多かったのが「文体がヤバい」とか「文章のドライヴ感」とかそういうもの。さぞや「エクリチュール」なのでしょうねとお思いかもしれないが、全然そんなことはないのでサンプルとして第一章がどのように書かれたのか暴露しよう。
後藤護『ゴシック・カルチャー入門』、ゴシック=耽美からゴス=パンクへという論旨はもちろん、次々と新たな第三項を導入して弁証法を駆け上がっていく感じの文体が気持ちいい。1時間で一息に読了できるグルーヴ感と、関連文献まで読み込めば1年ではとても足りないという射程の広さを兼ね備えた本。
— 片倉 (@kwatakura) January 5, 2020
課題がひと段落ついたので、『ゴシックカルチャー入門』。五章から読み始めたが、「田吾作ゴシック」という概念がクリティカル過ぎて、色々ひらけてくる感じがする。一章の、啓蒙主義の前提には常に闇があるとの指摘も同じく。そして何よりも文体が”ガチ”。一通りタスクが済んだら一気に読みます。
— に気づくコンピュータ (@atarashii_ne) January 19, 2020
後藤護氏より処女作『ゴシックカルチャー入門』をご恵贈いただいた。同書に改稿を経て所収された『オンリー・ラヴァーズ〜』論は私と後藤氏の初仕事でもある。膨大な固有名をスピンさせ、ときに蛇行しながら地下世界の思考のドライヴへと誘う本書の手つきは『OLLA』論から一切ブレていない。 pic.twitter.com/RoUXjcZhcZ
— Yoshitaka Sakuma (@YoshitakaSakuma) January 3, 2020
まずヴァ―マ『ゴシックの炎』やパンター『恐怖の文学』、それからジャクスン『幻想文学』といった名著群のキラーフレーズを抜き出して、ワードにカタカタ打ち込む。これがまず「引用の弾薬庫」になる。
引用は私にとって弾薬のようなものだ。不思議なことに、撃つほどに溜まっていく弾薬庫だ。その弾薬を使うのは無論、私だけではない。この弾薬庫でもって私も、「もっと有力な徒党をつくるだろう」(パスカル)。
— 澤直哉 (@ttlrawi) June 17, 2019
それから似たような引用文ごとにまとめて簡単な小見出しをつけ、グループ化する(この際どこにも収まらないものは「予備の弾薬」として最後にまとめておく)
次いで小見出しの順序を並べ替えて「それっぽい」流れを作ってみる。ここまで来たらほぼ完成したようなもので、あとはこの引用パーツをいかに不自然に見えないようにつなげるかということになる――いわば継ぎ接ぎだらけの「フランケンシュタインの怪物」をエステに通わせて美形にする。
読者が僕の「文体」と呼ぶものの正体は実はこのコラージュのテクニックであり、「ドライヴ感」なるものの正体は継ぎ目を隠す溶接工としてのテクニックなのである。
リテラシーのある読者なら気づいたかもしれないが、『ゴシックカルチャー入門』は章ごとに文体が違う。というのも引用文に合わせて地の文をなじませているからで(くれぐれも逆ではない)、いわばカメレオン的に書く主体は後ろに引っ込んでいる。
マイメン郡淳一郎が編集した『日蝕狩り ブリクサ・バーゲルト飛廻双六』で、ノイバウテンのブリクサが音楽づくりは「配管工のようなものだ」と答えていた、と記憶する。パイプとパイプを接合するような仕事だと。それは批評においてもほとんど変わらない。結局アルス・コンビナトリアの世界である。というわけでそういう夢のない地味な配管工的作業から生まれたのが第一章「読む/見るゴシック」なのでした。
図:高山えい子による拙著広告。60年代アングラの香り立ち込める。
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