佐野亨編『映画の巨人たち スタンリー・キューブリック』(辰巳出版)の読みどころ
2020年5月28日に発売されたこのキューブリック論考集に「道化・音楽・諷刺――『時計じかけのオレンジ』のキメラ的世界」と題した文章をぼくも書いてるのですが、さっそく読み終わったので寄稿者というより一読者として、感想(場合によっては補足)をまとめてみます。以下ページ順。
さっそく感想をいただきました! (というわけで拙論の解説はこれに代えさせていただきます)
吉田広明「スタンリーは初めからキューブリックだった」
煽情的なフォトジャーナリストのウィージー(Weegee)とキューブリックの関係についてなど、生い立ちから監督デビューあたりまでの軌跡を振り返る。30、40年代のNYの犯罪現場などを押さえた写真集『裸の町(ネイキッド・シティ)』(1945)を原作とするジュールス・ダッシンの同名フィルム・ノワールがあるが、その現場を「ルック」時代のキューブリックが取材撮影していたとは知らなかった。
こうした経験がキューブリックの初期のノワールタッチな作品に活かされているという。『博士の異常な愛情』のストレンジラヴ博士のドイツ語訛りもウィージーがモデルと言うから驚きだ。
伊藤俊治「写真家キューブリック 映画は無数の写真でできている。」
ウィージーのみならず、「ルック」時代の先輩ダイアン・アーバス(それこそ氏の名著『アメリカン・イメージ』でアーバスの名前を教わった)とも絡めつつ写真と映画の境界をさぐる。以下のパンチラインが印象に残る。
写真は単に映画の一コマなのではない。写真は映画の成立を可能にするものであり、映画の隅々に纏わりついている。写真が無ければ映画からは決定的なものが欠けてしまうだろう。写真はある構造的必然性により映画内へ入れ子状に巻き込まれてある。内部から映画の深部を暴きだすために。写真は映画というシステムそのものに書き込まれ、映画が現れるための場を創出させる。
川口敦子「完璧と偶然のはざまに」
「完璧主義者」というキューブリック像に対して、この監督がステディカムの創始者ギャレット・ブラウンと「完璧の捉え難さ」についてよく話し合ったというエピソードをぶつける。巨匠像を刷新する試みとして興味深かった。
個人的に付け足すと、「偶然」をもう少し敷衍して「賭け」の問題も気になる。「配役」を英語でcastというが、これには「さいを振る」とか「さいの目」という意味がある。
映画撮影を「チェス」に見立てるような監督にとって、俳優というのは一種の不確定性なのだ。キャスティングとは配役/賭博の両義性を獲得する。パスカルの『パンセ』にも「賭けが必要であることについて」なんて文章があるので、興味ある人はそちらも参照したい。
滝本誠「キューブリックとかかわってはいけない」
「エロス滝本」(『キネマ旬報 2020年1月上・下旬合併号』64頁より)さんらしくエロい「オブジェ」からキューブリック映画に迫る。『時計じかけのオレンジ』のコロナ・ミルクバーにある「女体テーブル」はスターチャイルドも造形したリズ・ムーアによる作ですが、その元ネタであるアレン・ジョーンズの話から始まるタキヤン節全開。
補足すると、アレン・ジョーンズ~リズ・ムーアの「女体オブジェ」の系譜にさらにフュースリ「夢魔」をくわえる諷刺マンガを発見。フェミニストが激怒してます(『ガーディアン』2014年11月12日掲載)https://duggoons.com/a-furnishing-nightmare/
いいをじゅんこ「パイと終末 キューブリック映画のスラップスティック」
『博士の異常な愛情』のカットされた別エンディング「パイ投げ合戦」からキューブリックをスラップスティック映画史に位置付けていくおもしろい試み。
元祖パイ投げ映画としてローレル&ハーディーの『世紀の対決』(1927)を挙げるなど、ディテール面で教わるところが多かった。(僕も「道化」をテーマにしてて内容的に共振してますね)
極私的なことを申すと、最近水中書店で見かけたノエル・キャロル『受肉せる喜劇』を買いに走りたくなりました。キートン論です。
二本木かおり「キューブリックの音を聴く」
『時計じかけ』『2001年』『博士の異常な愛情』を中心にキューブリック映画の「音」の使用法を考察。海外でもキューブリックの「映画音響」研究は進んでいて、以下の二冊が本格派(※ちなみに僕は後者の書評を準備中です)
Christine Lee Gengaro, Listening to Stanley Kubrick: The Music in His Films
Kate Mcquiston, We'll Meet Again: Musical Design In The Films Of Stanley Kubrick (Oxford Music/Media)
対談:添野知生×柳下毅一郎「意識と無意識 フロイト主義者としてのキューブリック」
ほとんど「オカルト」がテーマ。『シャイニング』に出てくる曰く付きの部屋が原作では「217号室」なのになぜ映画だと「237号室」に変更されたのか……という超細かいところから陰謀論につなげるドキュメンタリー作品『ROOM237』を知れたのは収穫。
補足すると、「オカルト」は音と映像による同期/非同期によって煽られる恐怖という面も強いので、そのあたりを掘り下げたい人向けのfurther readingとして『シャイニング』が表紙になった以下のオカルト映画音響論をお勧めします。
K.J. Donnelly, Occult Aesthetics: Synchronization In Sound Film (Oxford Music/Media)
おわりに
他にも読みどころは沢山ありますが、そろそろ書くのに飽きてきました(性格的にまとめるのに向いてない)。本体価格「1600円」という破格の安さもありますので、買って絶対損はないかと。
佐野亨編『スタンリー・キューブリック (シリーズ 映画の巨人たち) 』(辰巳出版)
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