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西蔵遥かなり

 おんぼろのバスは、大勢のワーカーと1人の外国人を乗せ、ゴルムドを出発して南へ向かった。景色は赤茶けた砂地にいじけた灌木が果てしなくあるだけで、ときどき、存在意義を示すように土塁が築かれている。そこには軍関係の何かがあるのだとバスの乗客が教えてくれた。この前まではラサに入境できなかったのだ。何があっても仕方ない。
 道の東側には電柱と電線が道路と並行して走っている。何年か後にはこれが線路になるのだろう。とはいえ、あまりにも閑散としすぎていて予定どおりに計画が進んでするのかすら疑わしい。日本では桜が咲く時期だが、こことは気候が違う。冬の作業中断がまだ再開していないのかもしれない。
 1995年の時点でラサに行くには、成都から週三回ある国内線に乗るか、ゴルムドからまる一日かけてバスに乗るか、はたまたネパール国境の町ニャラムから逆ルートで入るしか方法がなかったのだ。
 仮に鉄道が開通したとして、ラサに着いたときの感動はどうなるのだろう。ゴルムドからラサへバスで行くには氷点下20度の極寒の夜に5200mの唐古拉峠を越えていくのだ。野生の馬が群奔るのを眺めつつ、山をいくつも超えて辿り着くという感動は鉄道の旅にはないかもしれない。行けども行けども山また山の視界が突然開け、ようやく金色の甍を目にした時の感動ときたら大変なものだった。とはいえ、金の甍はすぐに山の中に隠れてしまい、バスは山道をひた走る。ようやくラサの降車駅に着いたときにはすでに21時すぎ。甍を見てから4、5時間が過ぎてからだった。
 今ではこんなこと全く思い出すこともなくなってしまったが、いったん記憶が呼び覚まされると次から次へと思い出がよみがえってくる。
 名古屋の秘境、守山にチベット寺院があると聞き、友人とともに訪れてみた。色褪せたタルチョがなんとも物悲しく、訪れる人も少ない。チベットとは真逆だったが、空高い季節と伽藍の取り合わせは、はるか昔の旅の記憶を呼び覚ますに充分だった。

 とはいえ、私が見た西蔵や西域の空の色は紺碧よりもさらに深い藍色で、吸い込まれそうになったことを思い出す。今から20年も前のことである。今ではすっかりイロイロなものに染まってしまい、どこまでも深いあの色が損なわれてしまったのではないかと、日本の空の下でふと思うことがある。

 2006年、青蔵鉄道は開通した。
 あの時「鉄道が開通したら、今度は列車でラサまで来よう」と強く思っていたのに、いまだ果たせずにいる。

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