憲法公布日の勅語の時間を調べてみたお話
戦後日本の「始原図」について調べ物をしていたところ、憲法公布日の記念式典で昭和天皇から勅語を賜る映像をたまたま発見し、視聴しました。
戦後「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」となられた天皇陛下が、新しい憲法を公布したと世界に向けて宣言したのです。
この瞬間も始原図の日時になり得るのでは?と考えて、時刻の資料をいろいろと探してみたお話です。
※「始原図」は国や地域の「出生図」のようなものです。
「どの日、どの瞬間を日本国の始まりとするか」
戦後日本の「始原図」は、戦後日本の「誕生」をどのタイミングと考えるかにより、憲法の可決日、公布日や施行日など時刻違いも含めると何パターンもあるようです。
憲法公布日の勅語
「本日、日本国憲法を公布せしめた。朕(ちん)は国民とともに全力をあげ、あいたずさえて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するように努めたいと思う」
勅語を発した正確な時刻が記載されているものがないか調べたところ、「国立国会図書館憲政資料室 日記の世界」デジタルコレクション内「貴族院研究会」の日記に、当日の記載がありました。
日記によると、午前 11:00頃。当時の事務官の資料「記念式典次第」(式典の予定表)のp12の予定ともピッタリ同じ。
11時に陛下が登壇されて侍従長が勅語をお渡ししたりと、正確には11時ちょうどではなさそうですが許容範囲かも?
こちら明治大の資料も興味深いです。
上記サイトより抜粋
「一九四六年一一月三日午前一一時、国会議事堂、貴族院本会議議場において、天皇裕仁は「本日、日本国憲法を公布せしめた」と勅語を読みあげた。(中略)このように、事実上、占領軍により起草された日本国憲法は天皇の勅語により公布されたのである。」
「天皇が実際に登壇していたのはたかだか六〇秒に過ぎなかったのであるが、この様子を伝えた紙面のほとんどは会場での天皇を写した写真を大きく掲載していた。」
始原図の違い
始原図では、日本国憲法公布日 1946年11月3日 11:50(東京)のチャートを使われる方が多いと聞いたので、11:50と11:00の始原図でどこが異なってくるのかチャートを出してみました。(ハウスカスプはレギオモンタヌス方式)
ASCの度数が山羊座27度から13度へ。
ASCは4分に1度進むため、数分単位のズレがありそうなこのチャートではサビアンを見るのは難しそうです。
プラシーダスやレギオモンタヌスだと在ハウスが変わる天体が結構ありますね。
どちらのチャートもASCが同じ山羊座なので、私がいつも読んでいるホールサイン方式ではハウスの変更はありませんでした。
普段プラシーダスやレギオモンタヌスなどでマンデーンの研究を進められている方がいらっしゃれば、こちらの勅語の時刻も検証の一環に加えていただくと幸いです。
以上、こんなこと調べたよー!というだけで特に大きな発見やオチがある記事ではありません……。
にも関わらず、最後までお読みいただきありがとうございました!
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