マロのモヤモヤにお答えしつつ『対面レポのモヤ』について考える回

そもなんでマシュマロを設置したかとか全然覚えてないんですけど、ありがたいことに色んな方からマロを頂く中で、特に今回イル活中メンバーたちと我々日本人オタクの物理的距離が近くなることでタイムラインにて発生していた様々なモヤ…を拾って己の思想を整理したくなったので書きます。
以下は全てわたしの個人的思想であり、そういう考えの人もいるのだなぁ、とお塩と共におつまみ程度に扱っていただけますと幸いです。あとわたしは考えても何の問題解決にもならないことは考えない主義なので出てきた問題をまあええか、次、とかなりポンポン飛ばします許してくださいてへぺろりん。

本題に入ります。

確定ファンサという言葉があります。その言葉自体をわたしは否定しませんし、確実に存在するものだと思います。実際わたしも、これは絶対に‼️今この瞬間‼️俺の目を見て俺に向かってやってくれたー‼️勝ちやー‼️みたいな体験はありますし。
そしてこの『確定ファンサ』を成り立たせる要素の二つが1.群と個としてのオタク、2.認知という言葉の曖昧さ、だと思います。つらつらと話していきます。

これはわたしのアイドルを推す上での信念のようなものなのですが、出来るだけ誠実に彼らに向き合うと同時にその『アイドルとしてのキャラクターのお客さん』であることを決して、決して忘れちゃいけないと信じて生きております。
これはアイドルの感情全てが演技だ、という話ではなく、あくまで彼らには常に見せるもの、見せないものを選ぶ権利があり、我々はその見せるもの、つまりは『芸/パフォーマンス』をお金で買っている存在である、という話です。芸能人という言葉の通り、彼らの本職は音楽、ダンスなどの芸能、才能を売る人、であるはずなんですよね。ただどうしても人は魅力的な人間と少しでもお近づきになることに快感を覚えますから、対面式のイベントが大きなお金を動かすようになる。
対面して直接目を見る、声を伝えるというのはどういうことかと言うと、そこの関係性が一時的にではあれど、1vs1になる、ということだと思います。
このタイミングで、人は自分が『アイドルとしてのキャラクターのお客さん』であることを忘れがちになる、というか擬似的に『ただの人対人になることで立場、関係性の解釈の余地が広がり過ぎてしまう』んじゃないかなというのがわたしの考えです。
しかしそうすることにより、先ほど挙げた1.群と個としてのオタクという前提条件、認識が無視されることになります。
わたしたちvsアイドルが1vs1で感じる事は同時多発しているのです。
ただこれは、アイドルがベルトコンベア的作業で我々『お客さん』の相手をしている、と悲観することとも違うと思います。その考えは彼らの『愛を与えるプロ』としてのプロフェッショナリズムを侮辱するものに近いのじゃないかと思いますし。
話を戻します。1.群と個としてのオタクという前提条件とはそもそも何か。
まあわざわざ言うまでもないと思うんですが『ファンダム』『その場にいる集団』としてか、『個人』としてかの違いですよね。『確定ファンサ』というのは明確に個人または少人数の集団に向けて行われるものであり、群と個で分けるなら後者です。
では何が『個』のオタクに『アイドルとしてのキャラクターのお客さん』という意識を失わせてしまうのか?
わたしはこれは群to個への選別段階が完全にアイドル個人の中で行われる、ブラックボックス状態である→妄想の余地しかないことに起因するのではないかなと思います。
例えば、派手な服を着ていたから。最前列にいたから。たまたま考えていたポーズと同じポーズをしていたから。よくヨントンに参加する顔馴染みのオタクだったから。その選別段階において発生する理由は、わたしたちが決して知り得ることのない範囲です。
更に具体的な例を挙げるとわたしが先日の観覧で鬼ファンサを貰えたのは最前に座っていた&声がデカかった&明るい色の服を着ていた&隣が同担だったから→目を惹きやすかった、であるとこちら側の事実/ソースをもとに『推察』することは出来ますが、本来その行動原理なんか赤の他人であるオタクには分かるわけないので最終的には『知らんがな』に落ち着きます。(考えても意味無いことは考えなくて良いと思ってるので)
しかしながら、そこで『選ばれた』事実だけで、人はその特別感に浸ってしまうものです。それ自体には何も悪いことはないと思います。嬉しくて良いじゃーんとすら思います。ではそれを受け取った後、オタクのどの様な行動が他者をモヤモヤさせてしまうのか。

それはその選定基準にアイドル側からの自発的な感情が含まれていると信じ込んでしまう、または『群』に所属するその他のオタクが発信内容を見た時にそう信じ込んでしまうことだと思います。
例えば凄い極端な例を出しますが『ファンサ貰えた!○○は私だけのことが恋愛的に好きなんや!』と言い出すオタクがいたら『バカ言うな』になると思うんですけど『ファンサ貰えた!』だけで文の後半部分を勝手に編み出して受け取り、己とは違う特別扱い、に苦しんでしまう人もいるし、逆に他者を傷つけるためか本物の無意識なのかは分からずとも文の後半部分も含めて世界に発信しちゃう方もいます。
なのでこれは双方向の問題であるというのがわたしの認識です。一旦1.群と個としてのオタクに関する話題はここで止めます。

次に確定ファンサを成り立たせる条件2.認知という言葉の曖昧さについてです。この『認知』オタク用語として蔓延ってはいますが本来の意味で言うならば
にん‐ち【認知】
読み方:にんち
[名](スル)
ある事柄をはっきりと認めること。「反省すべき点を—する」
婚姻関係にない男女の間に生まれた子について、その父または母が自分の子であると認め法律上親子関係発生させること。
cognition心理学で、知識を得る働き、すなわち知覚記憶推論問題解決などの知的活動総称する
これだけの意味なんですよねfromデジタル大辞泉。
用語として使われているのは3の意味に近いのでしょう。つまりは知覚、記憶を持ってオタクのことを認識すること。
ここで問題になってくるのは、その『認知』は長期記憶的なのか短期記憶的なのか、という点であると思います。
当たり前に人間は憧れている人間に存在を認められ、記憶されていれば嬉しくなります。そしてその認識されているという考えがミスリードしやすいのが『自分が相手の人間関係の一部に入っている』という誤認です。
これは相手が自分の人生、人間関係に対して強烈な印象を与えているからこそ、そのインパクトが双方向でないことに気づきづらいのかなと思います。またこれは他者の目から見た場合も同じで、『あの子は認知されている=推しと近しい、自分より特別』といった認識が生まれやすいのではないでしょうか。
しかしその『認知』が長期記憶なのか短期記憶なのかオタク側が知ることは殆ど不可能です。なので本来ここは『その瞬間自分という個のオタクを認識し、それをターゲットにアクションを取ってくれたのは確かだが、その行動は次の瞬間における認知や長期的な認知を裏付けるものではない』と言えるはずなのです。
ただ先ほども言った様に、アイドル側の行動原理が分からない以上ここはブラックボックス化しており、認識の歪みや広がり過ぎた妄想の余地に繋がってくるのかしらと考えます。これも双方向的な問題ですね。

そしてその話をしていたらなんか急に思い出したんですが、最初の方で『わたしたちvsアイドルが1vs1で感じる事は同時多発している』と書いたのですがこれは何らかの行動によって表される部分だけでなく、オタク自身の内面的思想においても同じだと言えると思うのです。
例えば目を見て優しい人だなと感じた。声のトーンに温もりを感じた。相手の今までの努力を思って胸が熱くなった。
こういう全ては基本的に同時多発している共通意識であると認識して良いのではないでしょうか。それが自身という『個』だけに発生していると思うのは半分正解で半分間違いである、とわたしは考えます。
元々個々の人間の思想は千差万別であり一つの形に当てはめることは出来ないため、その『個』の思想のオリジナリティというのは常に非代替性であると言えるでしょう。しかしながらその思考プロセスの大元となる外的刺激が同一の人間である以上、結果出てくる感情や感想には一定の共通性が見られるものだと思うのです。しかしそこで自身という『個』の特別性だけを主張し、同じ様に何かを感じた他者を否定する、或いはその存在を無視するというのはそこの認識が足りていない行為であると思います。あとシンプル優しくないよね!思うのは勝手ですけれど、わたしやったら口にしないかな、と思います。

その他のアイドルの認知や自分自身のオリジナリティある思想を利用した自己肯定とか優等感とか非代替性の価値を求める気持ちとかはもう人によってシチュエーションが違いすぎるしあんまりその思想がないわたしが幾ら議論したところで意味無いので触れません。

社会契約という概念があります。
要するに人間は本来好き勝手出来るものだけれど全員好き勝手したらみんな死ぬから死なないために逸脱を制限し全員の間に一定のルール、つまりは契約が生まれ秩序が発生するウンタラカンタラみたいな話です。
今回みんなのモヤモヤを拾い考える時に最初に思い出したのが上記の概念でした。
つまり、個々が個々のままである自然状態であればブラックボックス状態である『アイドル側の事情』をどう補完しようと自由なんですけれど、ファンダムというもの、人と人の結びつきの基礎として『全員に共通する偶像、アイドル』がいて、そのアイドルは一人の個体であるのに対してファンダムは群でありそれぞれの持つ思想や理念が違う、だから(少なくともお互いの目に見えてしまう範囲では)逸脱を制限しようね、という要するに暗黙の了解とかマナーとか呼ばれるものがある、それ故にあまりにも自己中心的な補完は避け、他者が補完によって要らん憂鬱を感じてしまうかもしれない情報の発信は避ける、というのが秩序の条件であると思うのですが、今回発信する個にも受け取る群にもこの条件が満たされない事案が発生してしまった。
あとそもそもの原因になってる外的刺激=アイドルからのアクションに本来あるべき事務所側の敷いた普遍的ルールというものが見られずここにも秩序が欠けていた。(このルールがあればアイドル側の行動原理にもある程度の理由をつけることができ、無駄なブラックボックス化が防げる)
というのが皆がモヤっとしてしまった原因かなと思いました。

まあこの問題はどのグループでも断続的に発生し続けているものですし、意識の問題なので『解決』する日は来ないんじゃないかと思っております。
ただ何を優先したいのか、優先すべきなのかということは一人一人が考えられることで、発信者側も受信者側も自分の推しの名前がその情報と共に出回ること、彼ら彼女らに及ぶ影響について考えたら、自然と秩序を選ぶ様になるんじゃないでしょうか。知らんけど。

ここ数日のタイムラインのあれこれを見て病んじゃった、苦しい思いをした人たちの気持ちにはわたしは全く共感出来ませんが、『分からないことを受け入れる』のがわたしのおすすめできる最大の解決策かなと思います。
だって本当にわかんないですからね、なんで推しがそのファンサをしたのかなんて。根拠のない推察は机上の空論でしかないですし実りある結果がもたらされることはないので止めた方が精神衛生にいいんじゃないかなーと思います。

あとなんか付け足したいなと思ったり自分で論理の矛盾に気づいたりしたらそのうち追記するかもです。

以上です!美味しいもの食べて幸せにいきるぞー!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?