映画『裸足の季節』を見た

トルコの田舎で暮らす5人姉妹を描いた映画で、
結構有名なので見たことある人も多いと思う。 
2016年には、アカデミー外国語賞にノミネートされている。

ソフィアコッポラの『ヴァージンスーサイズ』みたいな、女の子たちの置かれた環境に対する退廃感と抵抗みたいなのが美しい映像の中にある。

その置かれた環境というのが、現代日本的な価値観でいうと「女性の権利を奪っている」というような感じを受けるもので、

・男の子に肩車してもらった→育ての祖母から「股をすりつけてはしたない!」と言われる
・カラフルな好きな服を着ないで「クソ色」(って映画内で姉妹が呼んでる)の地味な服を着ることを強要される
・部屋に幽閉して男性との接触を禁じる
・婚前交渉は絶対NGで初夜に両親が血が出たかチェックしにくる(→しかも血が出てないってことで相手の男にも非難される)
・サッカーを女は見にいくな
・結婚も親同士が決める
等々.....

※ちなみに、「サッカー」と「女性」といえば、最近イランで女性のサッカー観戦が解禁されたというニュースがあった。

中東・イスラム社会は、女性の教育の権利を訴えたマララ・ユスフザイが象徴的だけど、女性の権利に対しての非難を受けることが多い。
クルアーンの拡大解釈というところが大きいようで、昔からある家父長制が今も根付いているという面もあるのだろう。

ただトルコは中東の中でも地理的にも精神的にも西洋社会と近いイメージがあったので、結構この映画には驚いた。
必ずしも全ての地域や家庭がそうではないようだけど、監督のインタビューによるとイスタンブールのような都市の中にも「極端な保守的な人々」がいる、とのこと。

イスタンブールやアンカラといった大都市は、各地の人々が集まっていてトルコの縮図のような状態です。ものすごく文明的でモダンな生活がある一方で、極端な保守的な人々がいる。それだけ多様性、多面性があるといえます。


また、この映画内でお見合いの際に結婚相手の男性からのプロポーズはなく、その親から結婚を申し込まれるというシーンにも驚いたが、中央アジア キルギスにも「誘拐婚」という慣習があり、最近、誘拐犯に女性が殺害されたというニュースもあった。


VICEでこの「誘拐婚」の一部始終と、背景についても詳しく取材されている。(ただこの習慣も地域差があるもので、YouTubeのコメント欄にキルギス人全員が誘拐婚をしているわけではない、というコメントもあった)

浅い知識だけど、文化相対主義的的な価値観でいうと、他文化に対して自分化を中心とした価値観で頭ごなしに非難すべきではないという考えがある。

が、倫理的な問題でこういった文化を認めてしまっていいのか、という矛盾も抱えている。

 その立場によって考え方は変わると思うけど、日本人女性として見てしまうとやはり「伝統」に縛られて彼女たちの「自由」が奪われ、大きな声をあげられなくなる「文化」には違和感を覚えざるを得ない。

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