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18歳の私からの手紙

私のTwitterをフォローしてくださってる皆さんはご存知かと思いますが、帰国の際に、ようやく受け取れた18歳の私からの私宛の手紙。

私自身、書いたことも送られてくる予定だったことも、すっかり忘れていたのですが、18歳のおそらく卒業間近の頃だったのかな🤔10年後の自分に向けて手紙書こうぜ🤘🏻って誰かが企画して?で、自分で実家の住所書いて切手を貼った封筒に入れて、任された先生が10年後それをポストに投函してくれる📮っていう、まあよくありがちな高校生の卒業前にやりそうなことをもれなく私もやっていました。(遠い目😐)

そして、ついに10年前の私からの手紙が私の手元に届いたというわけです。

もちろん、それが実際実家に届いた時(おそらく春先かな🤔)には、ヨーロッパにいて、今年は全日本選手権もなくて、ようやく今回の帰国の時に受け取れたという次第です。
そういうのを書いたことは覚えてましたけど、何を書いたのかは全く覚えてなくて。唯一覚えてるのは、こういうのはあんまり考えすぎず(というか、どっちかというと何も考えずに) とりあえず今思ってることと10年後の自分に言いたいことを、バーっと書いたこと。みんなは綺麗な封筒とかに入れてるのに、私はそんなの持ち合わせてなくて、超事務的な味気ない茶封筒に入れたなぁ、そういえば。ってことくらいで。

もちろんですが、実家に届いたその手紙は、ペラペラの茶封筒で😅女子校の高校生が出すような手紙にはとても見えなくて、そういうところは昔からだったのか🙈と納得したりして。
そうそう、10年も経てば、学校にいる先生もやっぱり変わるわけで(ただ私立なので、長くいる先生もかなり多い)、生徒たちから託された先生は辞められてしまって、長年勤められてる先生が代わりに出してくれたようでした📮

で、なんだか日本にいる間は、その手紙を開けられなくて。特に理由はないけど、開けて読んで日本で過ごすのがなんか気持ち悪い気がして、オランダで10年後の私の日常に戻ってから開けようと思って、今開けたという次第です。

まず最初に思ったのは、この高校を卒業してからの10年。私は、大学に入学するために大阪から茨城のつくばに行き、1人暮らしを始め、自転車に出会って、コーチの家に下宿し、ついには海外を転々とする生活が始まり、そしてオランダに自分のアパートを借りて、日本には定住する住所も家もなくなったという、ざっと書いただけでもとにかく「転々と」した生活を現在進行形で過ごしています。にもかかわらず、私の実家(いわゆる両親が住んでいる場所)は、この10年変わらず、今もそこに、そしてこれからもそこに居てくれる(たぶん)んだろうなあという、なんだか普通のことかもしれないんだけど、今の私の生活とは対照的すぎて、言葉で言い表しにくいけど、すごい安心感を覚えたのであります。

そもそも、私が高校の時に住んでいた実家がもうそこになければ、その私からの手紙も届かなかったわけで。高校生の私は、もしかしたら10年後に自分の実家の住所がなくなるかも?なんてことを考えることもないくらい、そこに家族がいることを信じてたというより当たり前だと無意識に感じるくらい、ぬくぬくと生きてたんだなと思ってしまうのです。
だって今現在、10年後に書いた手紙が確実に私の手元に届く住所って🤔と考えた時に、かなり考えてしまいます。
何より自分自身、10年後にどこで何してるのか、全く読めないwww🙈


話は戻って、その18歳の私からの手紙に何が書かれてたか?という話。前述した通り、こういうのは何も考えずにバーっと書いた方がいいと思った私が、やっぱりその中にいました。
真面目に考えて書いたりしたら、たぶん小っ恥ずかしいこととかも書いてたんだろうけど、
「28歳の自分へ
今何をしてますか?」
から始まっていたその手紙。
18歳の私からは、28歳という私を全然想像できてなかったみたいで(当たり前か😅)書かれていることの半分くらいが質問ばっかりでした。

文脈から想像するに、たぶんこれを書いたのは大学受験の2次試験後で卒業式前、かつまだ合格発表はまだ。という高校卒業直前だけど、卒業後の進路はまだ確定していないという微妙な時期だったんだと思います。
「大学は受かってるのか?幸せに暮らしてるのか?28歳ってまだまだ人生これからって感じなのかな?」なんて自問自答の後に、
なぜか「10年後の日本はどんな感じなのかな?」からの「自民党から民主党に政権交代したところで、つい昨日までバンクーバーオリンピックやってました。」って書いてあるんです。自分で自分に😂 
それ、10年後の自分に伝えることなの?ってツッコミを入れた直後に、自分自身でも震えた1行がありました。

「オリンピックに行くっていう夢かなえられたやろうか?」

震えました。
だって、10年前、自転車の自の字も知らない、ロードバイクなんてのも全く知らない私。実は、オリンピックに行くのが高校生の私の夢だったんです。(結構マジで。)
そう、それはもちろんアスリート(出場選手)としてではなく、何かしら選手と関わる裏方としてだったんです。
テレビっ子だった私は、子どもの頃からテレビばっかり見てたんですけど、高校時代に初めてテレビで鳥肌が立つっていうことを経験したんです。そう、それが「オリンピック」だったんです。
もうそこからです。どうやったら私もそれに関わって、オリンピックという舞台に立てるのかを考え始めたのは。現実的にアスリートとしては無理だから、とりあえず関係者としてなら行けるだろう🤔と、高校生の私は考えたのでした。で、単純な私が思い付いたのが、「スポーツトレーナー」という仕事。まずは、そういうスポーツの世界で働かないといけない。からの、体育学部受験につながるのでした。

当時を振り返ると、学校の先生とか同級生も多かれ少なかれ「マジ、お前何言ってんの?」的な感じだっただろうなあ。
だって、同級生ほぼ全員が国公立か医学部、法学部志望とかの学校にいて、私は体育学部志望で、入試のために勉強じゃなくてグラウンド走ってたりしたので😅(実技試験のために)

今でもそうですけど、この頃も自分が決めたことは、周りにどう見られようと何を言われようと、上手くいくいかないに関わらず、やらないと(というかやり遂げないと)気が済まないんですよね。

そして、そんな意味不明な「オリンピック行きたいんだよね、テレビ見て鳥肌立ったから。」っていう理由で決めた自分の進路に、「おい、お前それマジで言ってんの?」って何も言わなかった親も、相当変わってるなって😂 どっちかというと協力的だった気がする。

一応、自分で言うのもアレだけど、関西随一の進学校に通ってて、兄は兄で小さい頃から医者になるってずっと言ってて、それを叶えて医学部に本当に行っちゃって、
中学入る頃は私も(兄に負けたくないからって何の意思もない理由😅で)私も医学部行って医者になる!なんて言ってたのに、それを180度くらい違う方向に進路を選ぶって、我ながらぶっ飛んでるし、
ああそう、じゃあ頑張れば?くらいのノリの親もまあまあぶっ飛んでるんじゃないかと思います。(いやもういろんな意味で、諦めてたのかもしれない。)

そして、その後無事に第一志望の大学に合格して、キャンパスライフをスタートさせるんですけど、これがまた私の理想とは程遠かったんですよ。高校の時まで私がいたのは、テストの点数で評価される世界で、私が入った体育学部という少し特殊な世界は、テストの点ではなく勉強ができるかどうかではなく、競技レベルが評価基準になる世界だったんです。
そう、いくら真面目に勉強したって授業に出たって、競技で強い人の方が評価されるし、いろんな意味で上手く行く世界だったんです。(※当社比)
そのなんか変な違和感を上手く消化できずに、すごい辛い大学1年目だったなあって今となっては思います。
それを消化するために、まずは部活(テニス)を辞めたのでした。

それでもスポーツトレーナーっていう夢は諦めてなかったのですが、大学に入って私と同じような夢を持っている人にも囲まれて、先に社会に出る先輩を見て、いい意味で現実を知っていくうちに、夢と現実の違いとかを身をもって感じてたのもこの時期でした。
そして、やりたい仕事、就きたい職業と、自分の経済力と、それで食っていけるか、とを天秤にかければかけるほど、「普通に就職」っていう選択肢しか残らないな🤔っていう現実を見てました。

とはいえ、社会に出る(卒業)までは必然的に時間があるし、いわゆるモラトリアムな大学生活を楽しみたいなっていう感情もあって、お金もそんなない大学生の私が思い付いたのが自転車でどっか遠いとこまで行ってみよう!っていう今でいうバイクパッキングだったのです。

今思えば超がつく、ど素人。だったので、もちろんバイクだって、当時バイト代を貯めて買った、サイクルベースあさひで買った5万円くらいのビアンキのクロスバイク。それに乗って旅をするのに、決めた目的地は、まさかの富士山www(つくば から😅)
はい、もう自分でも思いますよ。お前、アホかって🤦🏻‍♀️

でもとりあえずどこか遠くまで、自分の脚で行ってみたくて。その頃スマホも持ってないし、とりあえずルートだけGoogleマップで検索して、プリンターも持ってないから大学の図書館でプリントアウトして、当時のバイト先の店長にめちゃくちゃ心配されつつ、日が暮れたら行き当たりばったりで宿を探すスタイルで、2泊3日でつくば から富士山、山中湖通って河口湖ぐるっと富士山が見える道を1周して、帰りは大月からつくばまで輪行なんていう(しかも、ビアンキのクロスバイクですからね😅)無謀でしかない旅をしたんですよ。

何も知らないって、ほんと無敵ですよね。
私自身、超楽しい自転車旅だったんですけど、まあ当時ロードバイク(レース)をまあまあしてた叔父に、この私のど素人無謀旅のことを言ったら、そりゃ頭おかしいのかコイツは🤦🏻‍♂️(今なら自分でも思います。若い(無知)ってすごいwww)と思うと同時に、そりゃロードバイクをリコメンドしますよね。で、紹介されたのがBIKE SHOP FORZAだったんですよね。

いやFORZAを紹介されたのは、この自転車旅に行く前に、途中でパンクしたら死ぬからパンク修理を習ってから行け!とだけ注意されて行ったんでした。はい、FORZAさんに、サイクルベースあさひで買った5万円のビアンキのクロスバイクを持ってwww
いやー無知ってすごいwww

で、そんなこんなで、次はもちろんFORZAさんでちゃんとしたロードバイクを買う訳ですよ。
叔父がそんだけ走れる(クロスバイクですけどねwww)なら、ちゃんとしたロードバイク買った方が良いっていう訳ですよ。
で、今は世界一のSworksセールスを誇る店長の新井さんが、Sworksと普通のスペシャの見積もりを提示してくれたんですけどね、それはそれはクロスバイク何台買えるねん⁈って値段なんですよ。
そんなのバイト代で買える訳ないし。。。そんな高いバイクいらんわーって叔父に言ったら、絶対買っとけ!っていうわけですよ、しかも高い方(Sworks)を。
そりゃそんなん言われても、時給750円のコンビニでバイトしてた私は、もちろん安い方でいいわってお願いしますよね。
とりあえず、どちらにせよ当時乗ってたクロスバイクより絶対速く走れるし、遠いとこまで行けるし、同じ形やのになんでそんな値段違うんかもわからないくらい無知で。
でも、絶対Sworksにしとけっていうんですよ(叔父がね😅)。

という訳で、そんな高い買い物、時給750円でバイトしてる大学生が買えるわけもなく、どうしても買って欲しいなんて一言も言ってないのに、叔父が両親になんかゴニョゴニョして、いいから乗れって、買ってくれたんです。

その時、これが人生で最後の親からの投資になるやろうなあ🤦🏻‍♀️って思った気がします。

それにしても、当時ロードバイクに乗ったこともない私に、しかも親は(今でも)全然ロードバイクのことを全然興味ないのに、そんな高いバイクを私に投資したのかが、未だに理解できません🤔 (結果的に、それが全ての始まりの1台になったんですけどね)

それで5万円のクロスバイクから、いきなりカーボンのSworksにバイクだけ飛び級してしまった私は、バイクが違うだけでこんな速く走るのか?!って衝撃と共に、ただ乗るのが楽しくて楽しくて仕方なかったのを覚えています。

いやー改めて、無知って無敵www しかも家族全員。。。

こうして自分で自分のことを振り返っても不思議なことが多くて、
なぜうちの親(叔父のススメで)は、私にロードバイクを買ったのか。その頃、選手ですらなかったのに。
なぜ5万円のクロスバイクを持ってきた私にFORZAさんは、パンク修理を教えてくれたのか。(今考えると、ありえないwww)
などなど。

そこからというもの、よくわからないままに全日本選手権に出たり、アメリカのチームに行くことになったり、リオオリンピック出場からのヨーロッパを拠点とすることになったり。

意外と、全てこうしよう、こうなりたい、実現してきたというよりは、目の前のことをクリアしたら、次のチャンスが舞い込んできて、それをまたクリアすると、、、の繰り返しで今ここにいる感じです。

基本、右も左もわからないまま、次のステップ新しいことに取り掛かる系なので、そもそも成功する前提ゼロなので、新しいことでも誰もやって来なかったことでも、「とりあえずやってみる」スタンスなんだと思います。
つまり、無知って最強www (しつこい😅)

そして、極め付けに、そんな10年の時を経て、
「オリンピックに出れてますか?」っていう18歳の私からの質問には、本当に震えました。

1年ぶりの日本からオランダの家に戻って、ようやく1人の時間ができて、何気なく開けた、セロテープで封をされたペラペラの茶封筒から出てきた言葉としては、想像の上を行き過ぎてました。

とはいえ、18歳の私には、ちょっと思ってた方向性とは違うけど、夢叶ってるよ!相変わらずロックな生き方継続中だけどね🤘🏻って言ってあげたい。

そして、次の10年後の自分に手紙を書くとしたら🤔 ってふと考えてみたんだけど、18-28歳の10年を鑑みても、まずどこで生きてるのかすら想像できないし、とりあえず選手としての自転車は辞めてるだろうから、セカンドキャリアを元気に機嫌よく生きれてたらいいかな☺️

そして最後に、
10年後の自分への手紙をきちんとポストに投函してくれた先生、ありがとうございます。また母校に戻って、当時の先生たちに会って、不思議な私を受け入れてくれてありがとうございますって言いたいなあ☺️
同級生のみんなも受け取ってるのかな?卒業以来、一回も同窓会も行けてないし、招待してくれたのに結婚式にも行けてないけど、来年のオリンピックで会えてなかった分、見てもらえることを願っています☺️

そして、偉そうに18歳の私が書いてた
ちゃんと感謝の気持ちを忘れずにいれてますか?親孝行はできてますか?
っていうのを、改めて肝に銘じて、次の10年もやっていこうと思います。

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photo credit コッシーさん

いろんなことを思い出させてくれてありがとう、18歳の私。
そして、10年後の私をとても楽しみにしています🙂 

#今日のエリさん
#今日のエリnote

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