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3月駄文日記

先月は色々あった
頭の中がごちゃごちゃしているので一旦文字にして整理したい

先月はとにかく忙しかったな
毎日10時帰りだった
時短勤務とは?
旦那のサポートありきで仕事をしてしまっている
申し訳ない

1番のニュースは仕事を辞めることにした
ぴったり8年勤めた
新卒では銀行に就職したけど
合わなすぎて2年で辞めて
今の会社に転職した
あらゆるところで散々自分の職場をディスってはいるけど
会社自体は大手の金融機関で知らない人はいないと思う
ただ、私の属している部署は掃き溜めみたいな立ち位置で、実際に就業規則も他部署と違うし、社内全体から見下されている
お給料も低いし上がらない
健康保険証だけが大手企業の、実質中小企業と変わらない
ジョブポスや異動希望なんかも私の属している部署だけ使えなくて、ただただ同じような顔ぶれのメンバーが休職したり退職したり何食わぬ顔で復職したりを繰り返しているゴーストタウンみたいだ
そこで8年間働いた
そして5月末に辞める

必死に頑張った8年だったから、なんだかんだ私の大事な居場所だった
最短最年少で係長にもなった
賛否両論あれど良い会社だったなぁと思う
それ以上に、初めて自分が認められた場所だった
私は出来ることとできないことの差が極端に激しく、みんなができることが全然できない
例えばコピー取りとか、データ入力とか、実査監査とか大袈裟じゃなく9割は間違える
大学時代、バイトは4回クビになった
すべて飲食バイトだったが、まず注文が取れないし、あと、周りがざわざわしているとなぜか人の言葉が聞き取れない。極度の機械音痴なので、メニューをとるハンディーを使おうと思うと脳がショートする
メモを取ろうともメモも無くすし見返したところで何が書いてあるのかわからない
あとメモを取ろうとするとメモを書くことに集中して内容を忘れる
社会人になってからも、備品発注を10個頼まれれば100個届くとか、幾度となくそういうミスを勃発させまくっている(現在進行形)
昔から、事務的なことをしていると勝手に脳が他のことを考えていて自分が今何をどこまでしていたのかわからなくなる
そんな風だから銀行ではもうすごく仕事ができなくて、お客様の通帳にようわからん楔形文字みたいな記号を印字してしまったり、現金を渡し間違えたり、やばすぎる失敗エピソードを数々残して辞めた
まぁまぁいじめられたけど完全に自業自得すぎる
今の職場は前職の経歴と、第二新卒枠で取ってもらったものの、最初の頃はとんでもない新人が入ってきたと現場を騒然とさせた
ただ、時間が経つにつれ、人よりできることもたくさんあることがわかった
具体的には、まずは営業。マネジメント。そして新規の企画を練ったり、KPIとそれに基づくアクションプランを考えてみんなを巻き込んで定量的な結果を出すのは、たぶん人よりものすごく得意だった
自分でも無意識だったその部分を今の会社の上司や先輩方が見抜いてくれて、私にしかできない仕事や責任を持たせてくれたから、のびのびできたし、能力を最大限に伸ばすことができたんだと思う
不思議だ。嫌なことは死ぬほどあったし、今の会社に絶望したから辞めるのに
いざ辞めるとなって思い返すのは、沢山の人たちに支えられて、輝かせてもらった記憶ばかりで、感謝の言葉しか浮かんでこない
惜しまれながら辞めることができるのは私の人生の誇りだと思う
次は何をやろう
恐ろしい話、何にも決めていないし、決まっていない
娘は保育園に預けてるからあと3ヶ月で追い出されてしまうのに
転職活動もしていない
自分がどういうつもりなのかわからない
このままふわふわと雲になってそのまま空の一部になって一生浮遊していたい
やり切ったという言葉がぴったりだと思うし、
疲れたという言葉もそう大きく外れてはいない
でも1番の理由は、家庭との両立ができないから
2歳の娘がいて毎日10時帰りはさすがに、ね
体力的にも限界だった
しかし、何も考えずに見切り発車でやめたりしたりしてどうするつもりなんだろう
誰か私の人生を代わりに生きてほしい
寝て起きたら豊かな老後が待っていたりしないだろうか



娘の保育園といえば娘がめちゃくちゃ懐いていた古田先生が3月末で辞めてしまった
理由はわからない
うちの娘はそれはそれはものすごい人見知りで、私と旦那以外には基本泣く。
早生まれということもあり、周りのお友達より一回り小さいし言葉が出てきたのも最近で、だから先生方には色々と気にかけて頂いた
去年の4月、預かり保育が始まってからが大変で、私は、園長先生含む全ての保育士さんたちにすれ違いざま励ましの言葉をかけられるくらい我が娘は泣きまくった
そして、朝から水を一滴も飲まないというボイコットを一月続けた
そろそろ復帰日が差し迫ったある日、珍しく呼び出しの連絡が来ないなぁと思って、約束の15時に部屋着のままのこのこ迎えに行ったら
私の顔を見るなり古田先生が、
〇〇ちゃんママ!〇〇ちゃんが蒸しパン食べました!!!!!
と泣いて喜んでいた
これでママさん復帰できます。よかったー!よかったー!〇〇ちゃん本当に頑張ったね、ママのために頑張ったんだよね
としきりに娘を褒めていた
もちろん、預かり保育中に慣れてくれよという安堵の涙に違いないが、
それだけではなく、本当に娘の小さな第一歩を喜んでくれているのを肌で感じた
パンを食べた娘より、泣いて喜ぶ先生に、衝撃を受けたのを覚えている
そして、ママのために頑張ったわけじゃなくてそろそろ泣くのも飽きたのと、お腹が空いただけでは?!と思うと同時に、そんなふうに子どもの目線に立って肯定的な言葉をかけてあげる先生に感動した
その後も、顔を合わせるたび、古田先生は娘の少しの成長を宝物のように大切に私に伝えてくれた
〇〇ちゃん、お散歩の時の台車で、坂を下る時に、坂だからみんなちゃんと手すり持ってねー!って私が声かけると、わざと手を離して悪い顔して私のこと見るんです!スリルが大好きなんですよ!
と本当に面白そうにケタケタ笑って私に伝えてくれた
私はスリルが好きらしい娘のことよりも、親でさえ見逃してしまいそうな娘の一挙一動に気づき、おかしくて笑ってしまう、そんな古田先生の心の繊細さが眩しくて呆然としてしまうのだった
古田先生の瞳を通して娘を見ると、どんな小さなことも意味があり、一生懸命で愛しかった
古田先生は20代前半くらいで白くて細くて首なんて折れてしまいそうでやんちゃな男子(2歳児)にいじめられてたまに泣いたりしている
一度駅の向こうから出勤して歩いてくる古田先生を見かけた時、あまりの華奢さと所在なさげにトボトボと歩く女子高生のようなあどけなさに、ちゃんと保育園までたどり着けるだろうかと心配になったりした
娘は古田先生が大大大好きだった
古田先生以外にはいまだにあまり懐いていない
古田先生が休みの日はいつも朝からしょんぼりしていた
そんな古田先生が辞めてしまった

いつだか、いないいないばぁのワンワンについての記事で読んだことを思い出す

成長するにつれ、みんなワンワンのことを忘れていく。「でも、それでいい」「忘れちゃうかもしれないけど、ワンワンはずーっと一緒だよ。ずーっと見ているからね」


娘は全部忘れてしまうんだよなぁと思った
毎日毎日朝来るたびにキョロキョロと古田先生を探していたことも
古田先生がいないと私から全然離れなかったことも
古田先生を見つけるとピタッと泣き止みニコニコで走って行ったことも
たくさん抱っこしてもらったことも
全部忘れちゃうんだよなぁ
とてつもなく長い時間、一緒に過ごしたはずなのに、まだ2歳のこの子の記憶には残らない
古田先生にしてもらった沢山のことは、全部私がちゃんと覚えておこうと思った
そんなことを考えながら、3月末日、古田先生の最後の出勤日に、精一杯感謝を伝えようと思ったら、涙が止まらなくなって引くほど号泣して大した言葉も言えなくてちょっと困らせた。でも古田先生も一緒に泣いてくれた。





春になってからメンタルの調子が良くない。
生まれてから26歳までが全て黒歴史で、黒歴史のじりじりするような痛々しい記憶と共に生きているので頻繁に死にたくなるけれど、
春はそのボルテージが急激に上がる
特に、中高大の同級生がいまだに私のことを嫌って馬鹿にして陰で笑っているのではないかといった妄想に取り憑かれて夜眠れなくなる
このnoteにおいて、嘘を書かない、カッコつけないと言うことを自分に勝手に課しているので、恥を承知で言うと、
全員に知らしめたくなる。バカにすんなと。私をいつまでも負け組だと思うな。私は今幸せなんだぞと。世間で言う勝ち組なんだぞと。
我ながらしょぼい。ダサい。哀れすぎる。
きっと誰も私のことなんて話題にもしていないだろうに。頭ではわかっています。
でもそうしたくなるくらいに怖い
何が?傷つくのが。
怖くて仕方がない、あと何年生きればいいんだろう。長い
あぁ、消えてなくなりたい。
春の暖かい風と共にそう思う。



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