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ギャルに関する一考察


今、転職して10日が経ち、
ギャルと研修を受けている
もう一度言う、ギャルと研修を受けている
もともとお堅い業界にずっといたので、ギャルと関わることはなかった
学生の時も校則がすごく厳しい学校だったし、
ギャルがいるような環境にいたことがない
新しい職場は、一応前と同じ業界だが、かなり自由度が高い職種で
頑張れば頑張っただけ評価される分、
採用段階ではガッツとパッションのみで採用している気がする
私の配属になった東京支社の同期は4人おり、
2人が元ギャルと現在進行形ギャル 
そしてもう1人が28歳の男(童貞)
元ギャルは29歳(以降ギャルAとする)
現在進行形ギャルは33歳(以降ギャルBとする)
ギャルAは既婚者で、ギャルBは独身。
ギャルに年齢や配偶者の有無は関係ない。
どんな属性であれギャルはギャル。
若い時にどれだけ気合の入ったギャルだったかは一目見て、5分も話せばすぐわかる
ギャルはおばあちゃんになってもギャル。
10日間、研修そっちのけでギャルを近くで見つめ続けた結果をここに残したい
最初に断っておくけど、独断と偏見にまみれている

①ギャルはシンプル
まず、ギャルはシンプルだ
何も複雑なことがない
地元の覇者として生きてきた故の自己肯定感の高さがそうさせているのかもしれない
ここで一旦補足すると、地元の覇者とは
地方出身の陽キャのことを言う
地方出身の陽キャ軍団の女は全員、自動的にギャルになるというのが私の見解
ヤンキーは違う。ヤンキーとギャルはまた違う。これは長くなるので割愛。
話を戻す。地方出身の陽キャ軍団、彼ら彼女らの持つ無敵感とはこの夏の太陽より余裕で眩しい
小さいコミュニティでのびのびと覇権をとり続けてきた経験が自信となり振る舞いや雰囲気としてビンビンに醸し出されている
首都圏から離れれば離れるほど、無敵感が増すと私は思う、あと、地方都市からも離れてると尚良い
私もそうだからわかるけど、東京生まれ東京育ちはどこか挙動に神経質な感じが漂っているし、
何をしててもちょっと無理してる感じがする
それもそのはず、核家族と競争社会に揉まれて育ち、隣人愛というものを知らない都内出身者が本物の陽キャになんてなれるわけないだろ。あいつらはただの虚栄心の塊。
陽キャマインドは本来、密なご近所付き合いによって育まれるのだ。鍵という概念のない他者との関わりの上でしか生まれない。

②ギャルが生まれるプロセス
大体、都内と地方ではギャルが生まれるプロセスが違う
遊ぶ場所も服装も学校も、金銭的にも選択肢の多い東京においてギャルを選択するって家庭環境に問題があるか、屈折した何かを抱えている以外の理由が思い当たらない。
現に、ギャルの2人は東北出身だ
同世代なので当時流行った雑誌の話をしていた時に、
ギャル達は上京するまでファッションセンターしまむらしか着たことがなかったと言っていた
なんでも、最寄駅まで車で15分かかる場所に住んでいて、行くとしたらイオンかジャスコで、当時は雑誌に載ってるようなブランドなんて手に入るはずもなく、
買い物するとしたらしまむらだったらしい
妙に納得した
しまむらのアイテムをおしゃれとして着ようとすると、ギャルになるしかないし、ギャル以外の選択肢がない
単価の安いファッションブランドはギャル服として活用すればタンクトップとショートパンツでもそれっぽく見えるが、それ以外の系統で使おうとすると途端に安っぽくなる
念のため言うと、バカにしているわけではない。
ここでもう一つ、ギャルの特徴として、身体的なコンプレックスがないこともあげておきたい。
例えば私は肩幅が広くふくらはぎがびっくりするほど太い。
だから、安いTシャツにショーパンみたいな恰好が成立しない。部屋着になる。
肩の部分の生地が足りないし、足の太さが強調される
ギャルがしまむらの話をするたびに、
華奢な肩と細く伸びた脚を惜しげも無く出し、つっかけサンダルで田んぼ道を歩くギャルが脳内に映し出されてなんともうらやましい気持ちになる


③異性との絡みが自然すぎる
初日の三日間の集合研修では、全国各地からきた選りすぐりの地元の覇者が集っていた
60名ほどいたが、ギャル2名と私以外は全員男性だった
対私に関しては最初はみんな軽い感じで話しかけ てくれるけど、だんだん目が合わなくなる
あ、なんかこの人はそっとしとこ。と覇者たちがすっと身を引く感覚が手に取るようにわかる
なぜそうなるのか自分なりに考察した結果、
まず声が低いのと早口というのと、
ワードのチョイスが絶妙にオタクっぽいところにあると思う
ギャルの会話を見ていると、非常にシンプルなワードのみでコミュニケーションを取って驚いた
注意深く聞いていると5つくらいしかワードを使っていない
これが本当のコミュ力というものだ

最初に研修で私に話しかけてきたのは滋賀の覇者で、楽しく話していたはずなのに、
研修後の飲み会で、私を介してギャルと絡み、いつのまにか私抜きで連絡先を交換してて、「こんど滋賀きたら飲みに行こうぜ!」と盛り上がっていた。少し寂しかったので私も名誉挽回とばかりに、「女子三人衆で行くので美味しいお店教えてくださいね」と早口で捲し立てたら目を逸らして軽く頷かれた
すごく関わりたくなさそうだった
あとから思ったけど、女子三人衆というワードチョイスが絶妙にきもいな
こねくり回したワードを使ってはいけない。
普段使わないワードは相手を緊張させる
この会話の一瞬のうちに頭をフル回転させて言葉を紡ぎ出したんだなこいつと思われたら最後、余裕のなさが伝わる

④ギャルはマウンティングしない
マウンティングはしないけど、変に遜ることもしない
むしろ、自分のことに関しては唐突に自慢をぶっこんできたりする
でも普通に聞いてて楽しいのはなんでだろうと考えた結果、
自分以外の人間(夫とか家族)のことは言わない
あと、「こう言っているけどほんとはこう言って欲しい」みたいなキモイ下心がないことがポイントだと思う
例えば私の周りの友達は、旦那のこんなとこがうざかったみたいな話を散々していても、
それに共感すると「でもでもこういうところは優しいし、その辺の旦那さんより全然優しいんだけどね!」
とか言ってくる。面倒な生き物すぎる。
それゆえ、愚痴に共感して寄り添えばいいのか、旦那を持ち上げればいいのか、どっちが正解か、話を聞きながら考えてしまう、このバランス感覚を見誤ると大変なことになる
この前、ギャルAが昨夜の旦那との喧嘩について話していた時、旦那の行動にどれだけ腹が立ったかと言う話をしており、
ギャルB「なにそれうざっ」
ギャルA「ね」
で会話が終了していた
なんと気持ち良い
双方全く他人に期待していない
お互い相手にどう言って欲しいとかの欲が一切ない
ギャルが友達が多い理由がわかるというか、
本来これぐらい一糸まとわぬ姿でないと、純粋な友情は育まれない気がする

⑤初体験が早いのに家族仲がいい
説明しよう。
ギャルは2人とも、初体験が中1だったらしい
早っ
どこで致していたのか聞いたら、駐車場か草むらか駅の駐輪場か屋上か、自販機の横と言っていた
自販機の横ってなに?もはやただのスペースじゃん
セックスしていたら横にたまたま自販機があっただけだろ。考えあぐねた結果みたいに言うなや。
で、田舎だから娯楽がなく、やりまくりの日々だったらしい
でも、おばあちゃん子で、家族仲も良く、休日は家族で出かけたり、夕飯はみんなでワイワイ食べるし、おばあちゃんとも寝る前に色々話したりするらしい
セックスしまくりの日々とおばあちゃん子って両立できるの?というのがまず私の純粋な疑問
いやつまり、私の育った家庭特有かもしれなけど、学生がセックスなんて言語道断という考えが家庭の中に充満しており、周りの友達もそうだった気がする
自分の育った家庭に背を向けることでしか、未成年のセックスは成り立たないと思っていた
親が、自分の子がセックスしたと知るや否や、血相を変えて先生に相談して、職員室に呼ばれてる子がいたりした
それを見て私はなんて恥ずかしいんだろうと白い目で見ていた
多分それはセックス=悪いことという価値観を親や学校によって強制的に植え付けられていたからだと思う
中1なんかでセックスをしたならそれはもう親への裏切り、おばあちゃんも泣くし、一生一家団欒なんてない。そのくらいに思っていた。
でもギャルは気ままにセックスを楽しみ、親とも仲が良くおばあちゃん子らしい
セックスした後に家に帰り、みんなで楽しく食卓を囲み、部活とセックスで疲れた身体でぐっすり寝て、また次の日学校に行って部活をして帰り道セックスをするのか
家に帰る道中で子供の頃から知っている近所のおばちゃんに声をかけられて立ち話の一つでもするのかもしれない
大人と生活と学校と家族愛とセックスが自然に融合している
逆にめちゃくちゃ健全な気がする

いいなぁ〜ギャル。 
別に今更気ままなセックスしたいわけでは全然なく、私にないものを全て持っているという意味でのいいなぁ〜だ
ギャルと自分を比べると、湿度が違う気がする。
私は梅雨空みたいな湿度を常に内包しており、ギャルはカラッとしている。
もう32になってしまったけれど、今からでもギャルを目指したい
見た目ではなく、マインドという意味の、
マインドギャルを今年の目標とする


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