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Story of eri Pancake(004)

前回からの続き(最初から読まないと話がわからないかも)です。ひとりのひとの言葉がきっかけになって、なんだか思いもよらなかった方向に、とつぜん吹き始めた追い風に戸惑いながら、恐る恐る帆を張ろうかなと思い始めたわたし。その風は、実は思い悩んでいたわたしに差した、一筋の光でもありました。

3年前、わたしの父は、人生まだまだこれからという年齢で急逝してしまいました。その直後、わたし自信も突然、指定難病になってしまったのです。晴天の霹靂とはまさにこのこと。命とか人生とか、そういうものの意味について漠然と考えるようになり、半年ほど、思い悩む時期を過ごしました。

思えば、学校を出て社会人になって、お仕事をするようになって、それまでの陰キャでコミュ障なわたしを取り巻く世界は一変してしまいました。多分、というか当然というか、身嗜みというか、大人になったんだからと思って気を使うようになったからなのかも知れませんけど、それはそれは激しい変化でした。

家族とか、言っても親戚くらいしかなかった交友範囲が一気に広がって、なんだかよくわからないことに誘われる機会が増え、簡単に言うとちやほやされだして、悪い気はしないし、いい気になって調子に乗って、そこにいるだけでお金になる、みたいな境遇に甘えて、華やかだけど怪しい世界の住人になりました。

自分のことをよく知らないはずなのに、決して安くないお食事やプレゼントを貢いでくれる人たちに囲まれ、なんだかわたしは常に地面から10cmくらい浮いて生活していたみたいです。まるで「キャプテン・アメリカ」だったのに、「アイアンマン」にキャラ変したみたい。刺激的だったけど、居心地は微妙でした。

そして、父の急逝と自分の発病は、まさにその時だったんです。一夜にして「キャプテン・アメリカ」に戻りました。ちょうどコロナ禍にもなっていたことから、あんなに綺羅びやかだったお洋服やアクセの大半を売り払い、あんなに頻繁に通っていたネイルやらヘアサロンやらに行くこともなくなりました。

もともと在宅でフリーランスだったお仕事は引き続きでしたけど、前述のわたしの思い、悩みに対する答えは見つからず、つまりわたしは何のために生まれてきて、何をするのだろうと、ずっと考え続け、そして2020年5月、ついにYouTube Liveでの生配信をセカンドライフというメタバースから始めました。

子供の頃にすでにその危険性を父から叩き込まれていたわたしは、当然のようにネットでのセキュリティにも万全の策を講じ、架空の素性、設定を駆使してインワールドでの第二の人生を過ごし、友人からのリクエストではじめた「えりさんぽ」はレギュラーとして回を重ね、チャンネル登録者数は増えました。

たくさんの人たちが視聴してくれるようになり、注目を集め、今度はネットでちやほやされるようになって、いつしか架空の設定はあやふやになってしまい、素の自分をさらけ出すようになりました。そこで、わたしは何を発信するべきなのか、与えられた使命は何なのか、再び考え込むようになります。

やっていることと言ったら、ただインワールドの公道をおしゃべりしながら歩き回るだけ。何か旬な情報を提供するでもない、個人的な日記みたいなひとり語り。なので次第にその意義を見失い、タイトルや時間帯を変えたり試行錯誤を繰り返しても、突破口を見出すことはできませんでした。次回に続きます♫

もなか♡えり

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