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Story of eri Pancake(005)

前回からの続き(最初から読まないと話がわからないかも)です。色々あって辿り着いた、YouTube Liveでの生配信という舞台で、スポットライトを浴びながらも、実はどこへ向かうべきなのか、霧の中で道を見失って悩み苦しみ、途方に暮れていたわたし。迷走という名に相応しいお散歩の日々。

振り返るとそれは、コミュ障で陰キャ、からのお水の花道、父の急逝と自らの病気、からのVtuber?のようなものという、なんだかよくわからない混沌とした歴史。そして気づけば、気の合う仲間とシューティングゲームに興じる空虚な日々を過ごしている自分がいました。

こんなことじゃいけないと思いつつも、とりあえず目の前にあるご馳走を頬張り、その先の崖は見えていない、まさに愚者そのものの日常を過ごしながら、けれどどこか心の片隅で、生まれてきた意味、生きた証の、爪痕の残し方、ずっと探し続けているその方向をなんとなく模索していました。

そんなタイミングで吹き始めた、音楽という追い風は、その基本中の基本すらわかっていないわたしにとっては、下手に帆を張るとすぐに転覆してしまいそうな、癖の強い風向きでした。なにしろ素人以下の知識と経験と技術しかないのですから、すぐに船出なんてとてもとても、無謀です。

生い立ちやこれまでの経緯について長くなってしまいましたけど、ここで話は元に戻ります。紆余曲折の末に刹那的な生活に陥ってしまっていたわたしに、「えりちゃん歌って」という言葉は大きな突破口を開き、可能性が芽生え、生まれてきた意味、生きた証の、爪痕の残し方を示唆してくれたのです。

光芒が放たれ、わたしを照らしました。それはまるで、トリプル・ロック・バプテスト協会でジェイムズ・クリオウファス牧師の説話を聞いて突然神の啓示を受けた“ジョリエット”・ジェイク・ブルースのように。すぐには無理でも、基礎を学び、練習を積んで、自分らしい作品を生み出してみたい。

その闘いが始まりました。あんなに夢中になってやっていたシューティングゲームは、きっぱりと封印。音楽の模索の旅が始まりました。それは今までにない厳しく険しい、そして途方もなく遠い道のりに感じました。お客様の迷惑も顧みず、バイト中も歌い続け、楽器の演奏を練習し続けました。

次々と新しい音楽を聴き、吸収して、そしてまたそれらを歌と演奏で再現する。そこからさらに新しい可能性を模索する。吸水ポリマーですから。無限に取り込んでいきます。ただ、その技術はお察しの通りです。下手です。歌だってもちろん、ひどいものです。それでも構わず、練習を続けました。

なので、そんなわたしを不憫に思い、何人かのお客様が、例の苦笑いを交えながら、冷やかし半分という感じで、色々と頼んでもいない助言をしてくるようになりました。つまり、「基礎がなってない、それじゃ捕まった鳥が首を絞められているようだ。発声練習をしろ!声を張れ!腹式呼吸!」

こんな感じです。素直なわたしは、言われたとおりの練習をやってみました。そしてすぐに、大声を張り上げて叫ぶように歌うようになったのです。音程も安定して、声量も増え、歌と呼べるレベル?ところがここでまた、あの言葉をくれたひとが、再びポツリと言いました。次回に続きます♫

もなか♡えり

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