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葡萄畑に宿る「やってみなはれ」魂の跡

何か強い気を感じる畑だな……。

先日仕事の一環で、勝沼の大一葡萄園さんで甲州ぶどうの房づくりのお手伝いをした時、その畑に入った瞬間に、いつもと違う感覚が走りました。こんな感覚は、10年前に訪れた島根の奥出雲葡萄園の時以来。あまり感じたことのない独特の空気感。

休憩時間に、甲州フットパスのコースにもなっている畑の入口で、畑の主である農家の雨宮さんに聞いてみました、

「甲州ぶどうの他に何かつくっていらっしゃるんですか?」

「うちはね、甲州しかやってないの。この時期、房づくりっていうと、生食用ぶどうを育てている仲間たちは粒の数を揃えたり大きさを調整したり、それが普通。でもね、うちの甲州はそういうの、もちろんやらない。甲州が本来の姿に勝手に育っていくのを手伝うだけなんだよね。」

甲州3-1

そう言って、優しい眼差しで葡萄畑を見つめる雨宮さんの表情の先にある、甲州の古木たちをみていたら、もっといろいろ聞いてみたくなりました。

「古そうな樹が多いですよね。何年くらいたってるんですか?」

「40,50年くらいかね。まだまだがんばってるよね。あそこに幼木もあるけど、やっぱり古い木に比べてブドウの生育は遅いよね。」

「50年も……。何代くらい、ぶどうを育ててるんですか?」

「どのくらいだろう、18,19代くらいとは聞いてるけど。」

えぇ、そんなに長く? 1代が40,50年とすると、800年から900年前。鎌倉時代くらいから続いているということ? もしかすると、あの「雨宮勘解由伝説」と関係があるのでは、と思い聞いてみました。

「そうかもしれないねえ」

やはり……。ちなみに、雨宮勘解由伝説とは、ワインの資格試験の勉強などをすると、日本ワインの歴史で必ず登場する、日本固有のぶどう品種「甲州」の起源に関わる2つの有力説のうちの1つです。

雨宮勘解由は、甲州葡萄の発祥にまつわる伝説の人物。甲斐国、上岩崎村(現 勝沼町)の住民。1186(文治2)年、「城の平」の祭礼の帰路、野生のぶどうの木を発見し自分の畑に移し栽 培したところ、数年後に赤紫の実をつけた。これが甲州ぶどうの発祥といわれる。勘解由には善光寺参詣の帰路の源頼朝に甲州ぶどうを献上したという伝説もある。(山梨県立図書館HPより)

そして、この畑の中にも、伝説を語るこんな看板が立てられていました。大発見をしたような気分になり、気持ちが高ぶりました。

甲州2-2

この畑から歩いて10分くらいのところには、もう一つの有力説である大善寺説があります。大善寺説は、行基という修行僧が発見したとする説で、修行僧だった行基は718年に満願の日に霊感に従って大善寺を開き、その周辺で甲州ぶどうを見つけて栽培をはじめたとされる説です。つまり、このあたりは甲州発祥の地、1丁目1番地と言えるでしょう。

ちなみに大善寺はぶどうを手に持った薬師如来が有名で、ぶどう寺の愛称で親しまれています。拝観料+300円で、お抹茶かグラスワインかぶどうジュースが選べたり、お守りや御朱印長にぶどうがついていたり、ワイン好きにはたまりません。コロナが収束したら、また訪れてたいお寺の一つです。

そのほか、畑の中には享保年と書かれた石碑も発見。西暦にすると1724年、江戸中期、徳川吉宗の時代です。

甲州2-3

また、大正11年、皇太子だった昭和天皇が訪問された記念石碑も。

甲州2-1

ここまでだと、歴史のある由緒正しい畑、すごいなあ。で終わるのですが、私が一番驚いたのは、明治初期にこの畑で行われた実験が、今の棚栽培の手法である針金を用いた鉄線棚のもとになっているという事実でした。

畑の入口の左手には、現在の5代前の雨宮作左衛門さんが、それまで竹棚で行われていた栽培から鉄棒に変えることを考え実行したことが書かれています。恐らく竹棚では、悪天候に弱かったり、斜面のあるところでは栽培が難しかったりしたのでしょう。まさにこの時代に、地域のために次世代のために考えチャレンジした策だったのではないかと思うのです。

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畑には、明治6年に針金棚にチャレンジした最初の畑であると書かれた石碑も。まさに、やってみなはれの証です。

甲州3-2

この畑を上から見ると、高い鉄塔が針金を支えていました。これ、始めた時は相当大変なチャレンジだったことは間違いないですよね。

甲州1-2

ちなみに、新潟の岩の原葡萄園の川上善兵衛も、明治20年頃この地を訪れ、ブドウ栽培を学んだ史実もあり、この畑(第一葡萄園)の石碑前で撮影した写真が、今も岩の原葡萄園の歴史展示室に保存されています。
※前列中央が川上善兵衛。2列目右が恐らく雨宮作衛門さん。他に、土屋(龍憲)長男(まるきぶどう酒2代目)、大村忠兵衛(丸藤葡萄酒工業の創業者)のお名前が写真に書きこまれています。

川上善兵衛と大一葡萄園

一日の仕事を終わり、お別れのご挨拶と共に畑の歴史を知り驚いたとお伝えした時に、雨宮さんがおっしゃったことが印象的でした。

「古いからいいってもんでもないですよ。ただね。一人一人、皆さんも、この世に生まれたからには、それぞれにルーツがあるわけで。それを未来へつなげることには、長さなんて関係ない。とにかく、みなさんもルーツを大事にしてね。」

この真摯な姿勢に秘めた、つなぐことへのこだわり。それは恐らく、この畑に宿った「やってみなはれ」魂に毎日触れているからなのかもしれません。

自分自身の生れだけでなく、日々の仕事ひとつとっても、それぞれに自分が関わり、存在していること自体がルーツだと思えます。関わっているからには、そのルーツを継承していく、そして次の世代につなぐチャレンジをする使命が私達にはある。そう思いながら、日々のやりがいや生きがいに変えていきたいな、と思えた1日でした。

※大一葡萄園さんは一般公開されていませんのでご注意ください。ただ、勝沼フットパスの「甲州ぶどうの歴史コース」の名所になっているので、http://katsunumafootpath.web.fc2.com/
史跡や看板などは見ることができます。コロナが収束したら、是非散策してみたいですね。



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