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えほんのはなし

わたしがちいさいころに大好きだった本は、くまのプーさん。ピグレッドが好きでした。当時の絵本ではピグレッドではなく、こぶたという名前でしたが。それとにほんの昔話やアンデルセンなんかも好きでした。

わたしにはおとうとがいて。5つ離れているので、わたしにある程度の読解力がついているときにおとうとが読んでいた絵本がこころにたくさん残っていたりもします。母は兄をハタチで産みわたしを22で産み、しかも駆け落ち(私が3つくらいの時に父の実家と和解)の果ての結婚出産育児でしたので、えほんに凝る時間はわたしの時にはなかったのでしょう。くらべておとうとが与えられたえほんは良書がたくさんありわたしも楽しめたものでした。

本日エリックカール氏の訃報がありましたが、エリックカールの素晴らしいヴィジュアルもおとうとの読んでいた絵本でこころに残ってますし、ミッフィ(当時は「うさこちゃん」というタイトル)の極限まで簡素化された絵なのに伝えてくる感じ(行間や余情を知るためにあるかのよう)に驚き、そして可愛らしさにメロメロになりましたし。簡素と言えばレオレオーニも素敵でしたし。

そしてなによりいちばんは、シェル・シルヴァスタイン!素晴らしかった!おおきな木(The Giving Tree)は絵の線のタッチに心惹かれましたし(ブルーズ!)、当時小学生だった私には知らなかった一生のうちに起こる、よろこびやかなしみを教えられました。それと母性とか見返りを求めない愛のようなものにどこか苛立ちも感じましたし、だけど尊いとも感じました。なんか生きてくのって無邪気なだけじゃいられないし、だけど一瞬一瞬(野原を駆ける、恋をする、旅に出る)は輝いているのだなあとも。そしてひとは老いてしまうと背中が曲がり貧相になり。やだな、とピカピカしていた小学生のわたしは感じましたし、だけど身勝手に生きて失敗などもしてまた舞い戻ってきた主人公を、主人公にすべて与え済みで切り株に成り果てているというのに座る場所を貸してくれるおおきな木の変わらぬ愛情にただただ驚いたものでした。

わたしの長女は、林明子さんのものや、マドレーヌちゃんやミッフィ、こぐまちゃん、ぐりとぐらがすきでした。幼稚園くらいまではねむるときに一冊読み聞かせをしましたが、ぐりとぐらの「ぼくらのなまえはぐりとぐら このよでいちばんすきなのは おりょうりすること たべること」のぶぶんを、「おおプレネリ」のメロディで歌うと喜びました。そして長女にとっての、感銘系(私がおおきな木に思うようなきぶん)は「星の銀貨」でした。

次女はかなりたくさん絵本を読んでいたと思います。カラスのパン屋さんやてんぐちゃんとだるまちゃんみて、可愛い可愛いときゃあきゃあ一緒に言ったものです。シェル・シルヴァスタインなら「ぼくをさがしに」が好きでした。それといまでもショーンタンが好きみたいです。物語自体がとにかく大好きで、子守唄より「アンパンマンとダンボールとスカートでお話作って!」みたいなむちゃぶりを毎晩されて、わたしはたいへんでした。話がうまく作れると鼻息すら荒くなりニヤニヤしながらやがて眠ってました。

絵本はその時期固有のものでは当然なく、なんとなくだけどいまのじぶんの行動にそのエッセンスが反映されたりしてますよね。久しぶりに絵本を思い、なんだかしみじみしてしまいました。

たまには絵本、よんでみようかな。


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