救おうとしない
私がすんごく落ち込んだ時に話しても疲れない
友達がいる。
どうして疲れないのか考えてみた。
結論:彼女は私を救おうと
していないから。
彼女が冷たいから救おうとしないとか
そういう事じゃなくて、
なんというか、距離感が絶妙だから。
私を救ってあげようっていう感じじゃなくて
ただ共感して(性格似てるから共感しやすいのかも)
ただ一緒に悪口言ってくれる🤣
でもその悪口が面白いのなんのって!
最初悩んでた事なんて吹き飛ぶぐらい。
彼女は救おうとしてないけど、
結果的に私は救われているという矛盾w
心が疲れている時って
「大丈夫?話聞こうか?」
でさえ重荷になってしまう時がある。
嗚呼…私もそれ周りにやってたわ…反省。
話したい相手だったら、
言われなくとも喋ってるって話よね。
だから彼女は話を聞こうかとか言う前に
既に聞いてくれてる。
で、聞いた上で毒舌でぶった斬ってくれる。
いつも私はぐうの音wwwwwってなってるw
それってどんなアドバイスよりも効果的。
心が疲れてる時は、
善意から発するものであったとしても
アドバイスを聞くのだけで疲れるし苦痛。
しかもアドバイスされるような事を
自分でできるのならそもそも悩まない。
自分で解決してる。
自分で解決できない時の多くは、
ただ単に自分のエネルギーが枯渇してるだけ。
そういう時は、笑い飛ばすのが一番。
笑いはエネルギーをくれる。
それと大前提として、
「彼女(つまり私)は大丈夫」って思ってる。
私が地雷を踏みまくったり
周りに迷惑かけまくってたりしていた
若い頃から私のことを見ている。
落ち込みまくって4ぬ4ぬ詐欺をする
昨年くらいまでの私の姿も見てきている。
それでも私が、なんだかんだ
しぶとく厚かましく生き延びてるのもまた、
見てきている。
だから心は配りつつも、大丈夫だと思って
見守ってくれる。
「見守る」って簡単なようで非常に難しい。
必要以上なレベルまで手出ししたくなっちゃう。
手出しして解決する方が早いから。
でもそれは本人のためにならない。
やっぱり相手を信頼しているから、
見守れるのだと思う。
相手の強さを信じて見守りつつ、
寄り添って共感して、
できれば相手に異なる観点を与える(笑いとか)。
これは今後、私が通級指導学級サポーターや
カウンセラーをやっていく上で、
非常に重要になってくる態度。
見習いたい。
私は、文章を書く時、だいたい自分の経験から書きます。したがって、いただいたサポートは、今後も様々な経験をしにいくことに使わせていただきます。