いい人でいるだけじゃダメな理由はここにある!

This Is Why Being a Nice Guy Just Isn’t Enough

April 20, 2015 by Erin Tatum

(この翻訳はErinによるものですが、原文の著者のErinさんとは別人です)

女性に親切にすることと女性や女性運動のアライであることの違いを理解するのに苦労する男性は——どんなに善意に溢れた素晴らしい人でも——多いです。

その一方で、セックスやロマンスのために女性を自分の思い通りに操ることを正当化するために親切な振りをする男性がいます。私がナイスガイと呼びたいのはこのような人です。(訳者注:原文ではnice guysとNice Guys™と区別していますが、ここでは「いい人」と「ナイスガイ」と訳しています)

このブログ記事はいい人がより良いフェミニストアライになる手助けをするためのものですが、ここで時間を取って本当にいい人とナイスガイの違いを明確にしておきましょう。

ご存じの通り、ナイスガイはフェミニストの仲間内だけでなく、女性一般に毛嫌いされています。

ナイスガイはネット上ではストリートハラスメントやレイプカルチャー、男性特権に関する記事が投稿されるたびに#NotAllMenや#ReverseSexismといったハッシュタグでポストするような男性のことです。

ナイスガイは大げさなほどに弱気で内気な振りをします(パッシブアグレッシブ(受動的攻撃性)なだけなんですけどね)。高校時代に自分とデートしてくれなかった女の子のことを今でもことあるごとに文句を言います。

ナイスガイの極端なステレオタイプはRedditに張り付いてマイリトルポニー関連商品を手に入れるためなら六歳の女の子を押しのけるようなフェルト帽(fedora)を被ったdudebroですが、もっとありふれたタイプのナイスガイは見付けるのが難しいです。

基本的にナイスガイとは女性とのやりとりの最終目標はセックスだと思っている人であり、同様に女性と非性的な友人関係を結ぶことを大失敗だと考える人のことです。

ナイスガイの特徴には女性に罪悪感を抱かせて自分とセックスするように仕向ける、友人として当然の行為に対して、セックスという褒美が与えられるべきだと主張する、ロマンスだけを目的に女性と人間関係を築く、そしてふられると自分が今までにした親切な行いを全て並べ立てて繰り返し誘ってくる(ストーカーですよね!)、女性が自分の気持ちにすぐに応えてくれないと途端に冷血クソ女(bitch)と呼ぶなどがあります。

更に「女は悪い男とだけ付き合う(所詮女は悪い男が好きなんだ)」と文句を言い出したらナイスガイとしての地位は確かなものになります。

このような男性は、自分がいい人であると女性相手に信じ込ませるために——それがほんの一瞬のことだったとしても——「投資した」時間とエネルギーに対して女性はセックスやロマンスで支払うべきだという信念を中心に行動しているようなのです。

言うまでもなく、こんなロジックを快諾するような女性はいません。

だからこそ、ナイスガイというのはミソジニーや女性の問題に対する思慮不足と同義なのです。

でも、もし貴方がナイスガイじゃなかったら?もし貴方が本当に「いい人」だったらどうでしょうか?

貴方は純粋に100%誠実なのかもしれません。

でも、この社会においてジェンダーに関して社会化されるということは、どんなに善意の男性でも、容易にセクシストとして行動してしまうことを意味するのです。(そしてふとしたことから意図しなくてもナイスガイ的な行動を取ってしまうかもしれないのです)

もし貴方が感情を表に出したり泣いたりしてはならない、男性らしくふるまう唯一の方法はマッチョで攻撃的であることだ、他の男性と絆を結ぶには一緒になって女性をモノ化(objectification)することだと教わって育ったのなら、自分がセクシストな振る舞いをしていることに気付くのは大変困難になります。貴方が善意で行動しているのなら特に。

それに、女性の友人にランチをおごるのと台所ジョーク(セクシストジョークのことです)では全然違います。

でも、女性が必要としているのはもっと別のものなのです。

このような有害な規範から解放されるために一緒に活動することは可能です。今こそ貴方の持つ男性特権を、女性のためのプラットフォームを作る手助けのために使うのです。

男性は騎士道精神以外の方法で女性を擁護し、女性の権利を訴える責任が自分にはあると感じるべきです。貴方自身は女性を踏みつけ壊すような行為をしていないかもしれませんが、だからといって女性の地位向上に貢献しなくてもよいということにはならないのです。

偶然、あるいは「優しい」セクシズムの社会的動力源について一緒に考えてみましょう。自省することで貴方自身が持つ特権を確認し、どうすればより良い男性フェミニストアライになれるかを考えてみましょう。

意図しないセクシズムがジェンダーや文化によってしばしば引き起こされます

男女間のやりとりや男女間の友情がメディアでどのように表現されているか考えてみて下さい:どんな関係であれ、殆どすぐに恋愛がほのめかされますよね?私達はセックスが最終目標ではない男女間の関係というものを教わらないのです。

でも、たとえ貴方とある女性との関係がロマンティックなものはなく、またそうなる可能性が殆どないような時でさえ、ジェンダーやジェンダー役割に左右されています。

私達の文化では、男性は権威的守護の立場に置かれ、女性はか弱く庇護され、教え導かれなければならない存在であるとされているために、男性は女性との関係において当然支配絵的な役割を演じるものとされます。

そして、支配は攻撃性と関連付けられるために、いい人は自分が紳士であることを証明するためには(騎士道精神に則って)女性に対して礼儀正しくふるまうように教わります。ドアを開けてあげたり、椅子を引いてあげたりするように教わるのです。

この図式には問題が多いですが、一番の問題はナイスガイはこのような行動が即座に報いられることを期待しているという点です。これはmale entitlement(自分は男性なのだからセックスは当然の権利だとする信念)です。

しかし、いい人は(優しい男性というのは)そういう風にふるまうものだとされているから女性に対して礼儀正しくふるまいます。これはmale entitlementというよりmale obligation(男性としての義務であるという信念)です。

でも、いい人もやっぱり女性を女性であるという理由で扱いを異にしているのです。貴方が尊敬や優しさの証しだと思っていることは、女性からすれば貴方が彼女を劣った存在、あるいは自分で自分の面倒を見ることも出来ない存在だと見ている証しかもしれません。

意図していないセクシズムも、やはりセクシズムなのです。

貴方の友人が女性だからといって特別に良い待遇をするべきではないのです。貴方が彼女を一人の人間として好ましく思っているからこそ、彼女を大切に扱うべきなのです。

誰かの妻/母/姉妹だから女性を尊敬しましょうと男性はいつも言われていますよね。この言葉には私達の文化におけるジェンダー関係の問題点が凝縮されています。

まず何よりも人間であるからこそ、全ての女性は尊重されるべきなのです。人間であり、一人の個人であるということは、その人が女性であるということよりも優先されるのです。どう扱われたいのか、彼女自身に語ってもらうのです。分からないのなら勝手に一般化した仮定をするよりも、質問するのです。対等の仲間として女性をサポートしているのだとはっきり示すのです。

貴方にとって女性とのやりとりの唯一の目的がセックスやロマンスだというなら、確かにいい人でいては限界があるでしょう

何も貴方が女性のために車のドアを開けるたびに意図的に家父長制に加担しているのだと言いたいのではありません。貴方が悪意を持って人間関係を構築しているとも思っていません。

ただ、貴方の振る舞いはもっと広い見方をした時に、社会的に有害な影響を及ぼすかもしれないことを理解してほしいだけなのです。

同時に男性は酷く簡単に自分のセクシズムを赦してしまうものだろうということも覚えておいて下さい。自分が問題なのではないと証明した途端、問題は問題ではなくなってしまうのです。

これは何も男性に限った現象ではありません。皆どこかでやっていることです。

誰かが問題提起をします。それに対して居心地が悪いから、自分に直接責任はないのだと確信できる程度にその問題について考えます。そしてそのことを確認したらほっと一安心してそんな問題など最初から存在しなかったかのようにふるまうのです。

そこまでしなくても、真剣にその問題に取り組もうとはしないでしょう。

認めちゃいましょうよ。この記事の最初の方で、自分はナイスガイじゃないぞ良かった良かったと自分で自分の背中を叩いていたんじゃないですか?でも、単に超マッチョなdudebroにならないというのはセクシズムと戦うためのハードルとしてはかなり低いですよね。それでも入り口としては悪くありません。

私達は誰しも小さなステップで満足して大局的な見地をおろそかにしてしまう傾向があります。同じことがセクシズムにも言えるのです。

何もしないで受け身でいることは共犯関係にあることと同じなのです。

貴方が積極的、または意図的にセクシストやミソジニスティックな振る舞いをしないからといって、貴方がセクシズムやミソジニーが広まる土壌を作ることに加担していないことにはなりません。

無関心でいたいという衝動に抗って下さい。貴方の友人が必要としているのは、一杯のコーヒーをおごってくれることではなく、貴方が女性の問題を支援してくれることなのです。

それに、長期的には高いソーシャルリテラシーやフェミニスト問題への高い意識の方が、貴方がどんな人間なのかを雄弁に語ってくれるでしょう。

いい人のその先を目指さすべきなのです。

男性アライとしてもっと良くなれます。これがその方法です!!

男性フェミニスト(!)であるとはどういうことなのかについて話す時がきました。

男性も女性も「フェミニスト」という単語を口にするのは——それこそ疫病ででもあるかのように——避けるように教えられます。ナイスガイは吸血鬼がニンニクを嫌うようにフェミニズムをきらいますが、彼等の中には女性とベッドインできるかもと期待して自分をフェミニストだという人もいます。

勿論ここではフェミニズムは貴方のセックスライフを奪うクリプトナイトでもなければ女性の点数稼ぎのための道具でもないことを貴方は当然知っているとして話を進めていますよ。フェミニズムという言葉の意味は大きく歪められてしまっているのです。

要約してしまえば、フェミニズムの利点を理解するのは簡単です。

全ての人は平等であるべき!ナイスガイは皆を傷付ける!ジェンダー役割は皆を傷付ける!家父長制は女性を抑圧する!でもその過程で男性が感情を表現することを妨げたり、男性の自己表現を制限するから男性も傷付ける!

これでもまだ貴方は慎重な態度を崩さないかもしれません。それも理解できます。フェミニズムに好意的な男性にとってさえ、フェミニズムを理解するのは難しいのですから。

特権的なマジョリティグループに属する人が周縁化された人々のアライになろうとする時、どうしても——意図しなくても——足を踏ん付けてしまいます。時にはアライが会話を独占してしまいます。

フェミニスト運動に男性が溶け込むのは難しいことです。男性として、貴方は常に自分の意見が正当だと受け入れてもらえる(validate)ことに慣れているのだということを忘れないで下さい。アライとして、貴方には女性の話に耳を傾ける義務だけではなく、女性の経験を尊重しサポートする義務があるのです。

フェミニズムの議論に参加することは、その場でそのトピックに最も精通しているのは貴方ではないのだということを念頭に置いて会話に加わることです。議論を通して自分の持つ特権について考えるは良い学習の機会だと思いましょう。

他にも覚えておくべきことに、貴方は女性のアライであってスポークスパーソンではないということがあります。

女性の代理としてではなく女性のために話し始めるようになったら、フェミニズムの対話は男性が他の男性に対して女性をどう扱うべきか言うというものになってしまいます。これってまさに家父長制ですよね?

勿論男性が他の男性に対して女性をレイプしてはならないということは出来ますし、そうするべきです。それは大切なメッセージです。

でも、その過程で自分自身のために声を上げる女性の話に割り込んでしまうのなら、それは女性の問題が社会にとってかかわりのある正当なものであるためには男性の声が必要であるという考えを強化することになります。これではフェミニズムの目的が完全に損なわれてしまいます。

これを回避するために、男性アライとしての責任と限界を知りましょう。他の男性にフェミニズムについて教えて上げて下さい。でも、座って人の話に耳を傾けるべき時をわきまえましょう。決して点数稼ぎをしようとはしないことです。

貴方がアライかどうかを決めるのは貴方ではありません。それを決めるのは女性なのです。

アライとして重要なことに、貴方が女性の友人をどう扱っているのかその人と話し合うというものがあります

これだけの情報を一度に吸収しようとすれば圧倒されてしまいますよね。日常レベルで実行できることから始めましょう。

日常生活で出会う女性と対話するのです。彼女の経験を話して貰いましょう。そして、どうすれば彼女をサポートできるのか考えてみて下さい。もし貴方が彼女のジェンダーを理由に彼女に対して違う態度を取っていたのなら、そのことに正直になりましょう。そして自分の態度が彼女にどう影響しているのか質問してみましょう。

いい人とは、素晴らしい男性アライになる可能性を秘めた、重要な人です。意図しないセクシズムに躓くことがあるかもしれません。でも、それはジェンダーが貴方の人間関係にどう影響するのかを紐解くきっかけでもあるのです。

いい人のその先を目指す必要はあります。でも、それは貴方に何かが欠けているという訳ではありません。社会問題に関して経験不足であるということは、故意に無知なままでいることとは違います。

貴方には素晴らしい可能性があります。一緒に活動することで、私達は多くのことを達成できるはずです。

今日のいい人は、明日のフェミニストなのかもしれないのです。








Erin Tatum is a Contributing Writer at Everyday Feminism. She’s a feminist, queer theory lover, and television enthusiast living in Pennsylvania. She is particularly interested in examining the representation of marginalized identities in media. In addition to Everyday Feminism, she’s also a weekly contributor to B*tch Flicks. Follow her on Twitter @ErinTatum91.






















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