トランプの当選がどのように白人男性の脆さの危険性を明らかにしているかについて

How Donald Trump's Election Reveals the Danger of White Male Fragility

13 November, 2016 by Carmen Rios

ここ数週間大統領選キャンペーンが進むにつれて、この社会における白人男性ヘテロ家父長制(white male heteropatriarchy)の新たなる痕跡がドナルド・トランプのキャンペーンによって残されました。

この選挙は「不正」だというトランプの主張も、彼が自分を持ち上げる様な嘘のナラティブに頼るのも、自分の行動の責任を取ることを拒否するのも、批判を受けた時に(批判を受け止めるのではなく)憤慨するのも、トランプのこれらの行動は全て「白人男性の脆さ(White male fragility)」と呼ばれるものを体現しています。

白人の脆さについて、ロビン・ディアンジェロ(Robin DiAngelo)はこれを「最小限の人種的ストレスさえも耐え難いと感じ、その結果様々な方法で過剰に自己防衛的な行動を取る状態」と定義しています。つまり、白人の脆さとは白人が人種差別や白人優越主義(White supremacy)――自分自身のものであれ、構造的なものであれ――に直面し、そのことに対して攻撃的に反応する時に起こることを言うのです。

どこかで聞いたことありませんか?

この白人の脆さの定義に男性特権も含めると解釈すると、トランプがいかに白人男性の脆さという言葉で表されるような社会状況を体現しているのかがよく分かります。

白人の人々は周囲から隔離された(白人だけの)環境に慣れているのだとディアンジェロは説明します。彼等は自分達の特権に――その存在に気付いているとしても――慣れ切っているのです。そしてその特権は「安心」で「正常な」ものだと、「安全な」ものだとして、それらにしがみつくのです。そして自分達の――白人優越主義によって形成された――虚構を脅かすようなものが出てくると、彼等は侮辱されたと感じて怒ったり苛立ちを露わにしたりするのです。

これについてはEveryday Feminismでも話したことがあります。自分の特権に気付いたからといって自分を悪者だと感じる必要はありません。でも、そう感じてしまうことはあります。私達自身が特権を持っているのだと認めることは、真の平等と公正さを生み出すためにはそれらを手放さなければならないということを受け入れることでなければなりません。けれど、私達は特権に慣れ切っているために、その特権を失うことは自分達の生活を脅かすことだと感じてしまいます。

私達がそれにどう対応するかによって、この世界における私達の居場所が定義されます。特権を奪われたからと脊髄反射的に癇癪を起すように怒りと過剰防衛でもって対応していては建設的な遣り取りは出来ません。

でもこれがドナルド・トランプのやり方なのです。何故ならこれこそが白人優越主義と家父長制を維持する方法なのですから。このようにして白人男性の脆さは作用するのです。典型的な例を挙げましょう。

1.自分の欠点や敗北を「不正なシステム」のせいにする。

私達が自分自身に関して信じているメッセージの多くは、白人優越主義と家父長制によって形作られています。白人の人々や(主にシスジェンダーの)男性に有利に傾いた構造上の不平等によって成り立っている私達の社会では、白人男性に向けられたメッセージはその他の人々へ向けられたメッセージとは異なります。

私は白人の美の理想を内面化して成長しました。その理想とは混血人種の人には決して到達できない理想だと後に気付くことになりました。でも、だからといって白人女性内の特定のタイプが魅力的であり、私はそうではないのだという明確なメッセージを内面化するのを止めることなど出来ませんでした。

これは、いかにして女性が自分は不十分であり、自分の価値は男性を通して決められるものだというメッセージを内面化して成長するかということの一例です。同時に、いかにして有色人種の人々が自分達のコミュニティに関するステレオタイプを内面化し、自分達の行動は白人性を通して定義されるべきものであり、それは白人のご機嫌を取るようなものであるべきだと学ぶ例でもあります。

でも、白人男性の場合はどうでしょう?私達の社会では、殆どの場合白人男性に対して彼等はそのままで素晴らしいと教えます。

全ての白人男性が悪人だというのでも、彼等が肯定されるのに値しないと言いたのでもありません。ただ、彼等の特権は、白人男性に対しては寛容で肯定的である一方で、その他の人々に対しては厳しく冷淡であるような文化として現れるのです。

このことによってドナルド・トランプのナラティブ――そして何故彼のナラティブからは白人男性特権の匂いがぷんぷんするのか――を説明できます。

「不正な選挙」?ある女性が初の女性大統領になるために競い、有色人種の人々が投票所で文字通り投票権を拒まれているという政治情勢で、自分がどれ程形勢不利なのかを裕福な白人男性が語るのは説得力に欠けます。(そもそも形勢は貴方に有利でしたよね、ドナルド。貴方が当選したことが何よりの証拠でしょう?)

彼の敗北への恐怖心は彼自身の成功への渇望から来るものではありません。それは、彼が白人であり男性であるというそれだけで、彼には欲しいもの全てを手に入れる資格があるのだと教えるような世界で育ったことによって形成されているのです。

失敗の可能性に直面した時、白人男性はしばしば白人男性の脆さに即した行動を取ります。人生のありとあらゆる場面で、男性は成功し、独立し、強くあることを期待されているのだと教わり、そうされることで彼等の生活にセクシズムは浸透して行きます。

男性は力(パワー)を価値あるものだと思う様に教えられます。力を手に入れられないということは個人としての失敗であるだけでなく、「男」として失格であることを意味しているのです。

恐らくこのような失敗への恐怖が、ドナルド・トランプに失敗を受け入れることを拒ませているのでしょう。間違えないで下さい。ドナルド・トランプは決して成功者なんかではありません。彼は財産を相続し、潰しました。破産寸前のビジネスを経営し、更には大統領選という非常に公の競争で負ける寸前だったのです(しかも女性に!)

怖くて怖くてたまらないでしょうね――だからこそ彼は現実を書き換えようとするのです。

彼は自分を大成功者だと嘯きます。自分を大きく見せるために、いじめっ子の様に成功した人々を侮辱します。

これが白人男性の脆さの表す姿なのです。

2.学習や成長を拒絶する

もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、ドナルド・トランプはこのキャンペーンで何かを学んだかもしれないと思わないかと尋ねられたことがあります。

もしかしたら、このキャンペーンを通して、彼は自分のセクシュアルポリティクスがいかに酷いものであるかに気付いたかもしれない。もしかしたら、有色人種の人達は人間であると、または移民の出入国の管理改革に関する論争を解決するためには、少なくとも大雑把に人々を括ることなくその問題の複雑性について考える必要があると新たに理解した結果、そのポリティクスから離れようとするのではないか、と。

そうは思いません。「ねえ、ちょっとそれ良くないよ」と彼に言う人に対しては、耳を塞いでそんなことを言う方が間違っているのだと言い張るように、彼の白人男性の脆さは命じるからです。自分の行動を分析するのではなく、自分の行動は何も間違っていないというふりをするのです。

特権を持つ人々にとって抑圧とは彼等の生活の「背景」にすぎません。ディアンジェロが白人の脆さに関して述べたように、人種の違い――そして人種的偏見――は、私達がどのようにこの世界に存在するかを定義します。

これは男性にも言えることです。彼等は日常に潜むセクシズムから――しばしば目に見えない形で――多大な利益を得ています。

白人の脆さの決定的な要素として、白人の人々には人種について難しい対話をする「スタミナ」が欠けているというものがあります(皮肉ですよね、ドナルド)。有色人種の人々には自分達を「黒人」や「褐色」だと分類する以外の選択肢がありません。しかし白人である彼等には、自分達を白人だと定義する必要はありませんでした。人種に関して語る時、白人の現実認識はそのような彼等の特権的な立場から来ているのだということが明らかになるのです。

だからこそ、人種や人種差別について批判された時、白人の人々は反射的に不当に責められたと感じ取り乱すのです。

このようにしてドナルド・トランプのイメージは白人男性の脆さによって形作られているのです。彼は自分の行動に問題があると批判されても簡単に切り捨ててきました。ドナルド・トランプは自分のセクシズムを「誇らしくないと思ってはいない」のです。全てのメキシコ人はレイプ犯だと言う時、彼は――他の人は誰もその事実を「認め」たがらないけれど――自分は「ありのままを」語っていると主張します。自らの経験だけでなく、女性や有色人種の人々の経験までも彼等よりも理解する能力があるとトランプは思っているのです。

彼が脊髄反射的な対応を止めて自分にはまだまだ学ぶべきことが沢山あると認めるまでは、彼に自分自身の白人男性の脆さを克服することは不可能でしょう。その時まで、彼が自分の特権によって躍進する傍らで苦しむ人々をトランプが公正に扱うことは不可能でしょう。

3.現実を「攻撃」だと主張する

周縁化された人々は、自分達の人種やジェンダーを「普通」のものとして扱ってもらうことが出来ません。私達は人種差別に直面するから人種について考えるのだし、ガラスの天井にぶつかるからジェンダーについて考えるのです。私達は日常的に、大なり小なりの方法で、私達は「他者(Others)」であるのだと気付かされます。私達は強敵と対峙してるのだと、私達は見下されているのだと気付かされます。

私達とは外見も考え方も違う人々についての映画を見に行きます。私達の故郷から来たのではない人々についての本を読みます。シスでストレートの白人富裕層男性のために作られた世界で機能することを求められ、その世界に適応できないならそれを自分の失敗として内面化するように言われるのです。

ドナルド・トランプや彼の様な男性こそが標準だとされているのです。だから彼等は人種や民族、ジェンダーといった事柄を「他人事」だと勝手にみなしても許されるのです。

でも、その標準が脅かされた時にはどうするのでしょうか?そんな時、白人男性の脆さは、男性にそれを個人的な話しとして受け取るように言います。

特権の一つとして、現実を否定し書き換えることが出来るというものがあります。男性や白人はいつもやっていることです(これはガスライティングの手口でもあります。トランプのお気に入りの一つです)。白人であることと男性であることが標準であるとされているために、白人男性は自分のパースペクティブや意見を真実だとみなし、自分達の現実認識を――それが事実に反していたとしても――事実だとみなすようになるのです。

世論調査の結果に反して常に自分の方がリードしているとトランプに言わせたのもこの白人男性性なのです。白人男性性こそが、トランプに自分とは違う経験をしてきた人達の意見に耳を傾けることを――彼等の経験について話している時でさえ――拒否させるのです。

けれど何よりも、白人男性性のおかげでドナルド・トランプは謝罪しなくても済ませられるのです。彼が自分の認識と一致しない現実に直面した時に怒りを覚えるのも、白人男性性によるものなのです。

ドナルド・トランプは自分自身の行動という現実と繰り返し戦ってきました。自分が行ったと認めた行為や、彼自身の口で言ったこと、Access Hollywoodの舞台裏で吹聴したことを引っ張り出してくるのは自分に対する「攻撃」だと言って。

ヒラリー・クリントンは彼の脱税を蒸し返す「嫌な女」だけど、彼は自分の婦女暴行傾向を「誇りに思っていない」訳ではないそうです。女性に関するトランプの発言を引用して有権者に彼の人格について啓発するクリントンのキャンペーン広告は「攻撃」だけど、彼の支持者がクリントンによく似た人形に首吊り縄を付けて持ち歩くのはいかしてるそうです。

ドナルド・トランプは成長も学ぶこともしたくないのです。何故ならそうすることは不快なことだから――

彼の頭の中ではそういうことをしても許されるしそれらについて批判されるいわれもないことになっているから、彼は自分の行動について考えようとはしないのです。彼の白人男性の脆さは、彼に自分の現実認識に対する反する反論を内面化することも分析させることもさせず、それが他の全ての人のものになるまでその虚構に浸り続けようとするのです。

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とてつもなく無礼な次期大統領、ドナルド・トランプは、生きたフェミニストコースワークを提供してくれました。彼はヘゲモニックな男性性がどのように実践されるかを見せてくれました。彼の虐待行動を通して、野放しにされた白人特権とはどんなものかを思い出させてくれました。

この選挙結果は恐ろしいものである一方で、私達の多くに自分自身と私達のコミュニティについてじっくり考える機会を与えてくれたというだけでもこの過程には意味があったのでしょう。

ドナルド・トランプは色んな意味で家父長制を――私達皆が戦っている――体現していることは否定できません。ですが彼は決してこの社会のはみ出し者ではありません。彼が象徴しているのは彼の問題ではなく、私達の問題なのです。

私達はドナルド・トランプという個人だけに戦いを挑んでいるのではありません。ドナルド・トランプという概念に対して今ここで戦いを挑もうとしているのです。

私達はドナルド・トランプだけと戦っているのではありません。彼を作り出した文化と戦っているのです。

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