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渡航前に知ったルワンダ虐殺の歴史


アフリカに行ってみたい                          新しい事を感じてみたい やや漠然とも言える気持ちで決めた渡航。

「で、アフリカってどこに行きたいの?」

そう言われて初めてアフリカといえど56カ国ある事に気づかされる。     ええと・・・。

今回は環境保護に関する活動と病院見学の2つを入れたかったため、AYINAさんに相談して些か受動的な形でルワンダとマラウイに国が決まった。

ルワンダとマラウイ。

国名は聞いたことはあれど、何が有名なんだか、どんな歴史なんだか、ほとんどわからなかった。調べるうちにルワンダは特に歴史上、虐殺という悲劇があった事を知った。

1994年に起きた悲劇。有名な事なのだろうか?

無知を恥じながら調べ、映画も借りて観た。

”1994年4月7日からの100日間でおよそ100万人が虐殺された”

”ルワンダの人々がベルギーによりフツ族とツチ族に分けられ、対立した”

”この虐殺は、周到に用意された(well-prepared)悲劇だった・・”

ルワンダで起きた虐殺は、ただの民族間の争いではない。

第三者がその舞台も、何から何まで全て用意したのだ——

人が、人を差別し、殺しあうよう仕向け、利益を得る。

同じ生物による支配。自己の利益のためには他人の生命などどうでも良いのだ。

人はなんと愚かな生物だろう。富の配分を含めて、やはり将来は、それこそ人ではない第三者による管理を求めたほうが良いのではなかろうか・・

ルワンダの歴史に触れ、アフリカの多くの国が植民地として統治されていた事、奴隷貿易の事実、ついこのあいだとも言える時代に起こっていた人種差別。無くならない貧困、紛争、病気・・・

アフリカの負の面がいくつも顔を出して暗い気持ちになる。

映画についてはホテルルワンダという大変有名なタイトルと、ルワンダの涙というタイトルの2本を借りて観た。

ルワンダで、ベルギーにより優秀な少数のツチ族と劣等な多数のフツ族という優劣がつけられ、フツ族を煽り立て、ツチ族を根絶やしにするようプロパガンダを用いたというのが虐殺の経緯だ。

ホテルルワンダは、今なお現存し営業しているホテルミルコリンを舞台とし、  ホテルの支配人が1000人以上ののツチ族を匿った実話だ。

虐殺が起こっている事実が世界に明らかになっているにもかかわらず、国連軍、平和維持軍は、世界は虐殺を止めることができない。

今まで仲の良かった隣人が、夫が、ナタでツチ族を殺していくのだ。

その街の異常性、人々の狂気が観ていて大変な恐怖を感じた。

もう常識はない。狂気だ。

”ツチ族はゴキブリだ。ゴキブリを殺せ——”


ルワンダの涙は、サバイバー達の記憶から製作された映画だ。映画の最後に、サバイバー達の手記が流れた。

”わたしは家族の中でひとりだけ助かりました 殺された家族の下に隠れて生き残りました”

もし、ナタで滅多打ちにされた私の母が、血を流して死んだら、私の上に倒れたら・・・

その時の情景は、鮮明に想像できなくとも、涙が溢れて止まらなかった。

なんという事がルワンダで起きたのだろうか——


一方で、ホテルルワンダの劇中にこのようなセリフがある。

”世界の人々は、ルワンダで起きている虐殺の映像を見ても、「怖いね」というだけで、ディナーを続ける”

そのセリフの通り、国際社会は虐殺を止められなかったし、今なお、そうではないのか?と思う。虐殺だけではなく社会で起きている問題は数多くある。今も紛争が絶えない地域もあれば、貧困に苦しむ地域もある。

「怖いね」「大変だね」・・・そのような言葉で終わりだ。彼らの日常は続いているし、彼らの場所へ、この空は続いている。世界で起こっている事は全て自分にも関係しているのだ!


また、ホテル支配人がツチ族である妻にかけた言葉がある。

”もし、フツ族がホテルに攻め込んできたら、屋上に行き、子供と皆で飛び降りるんだ”

この後、私は虐殺記念館を訪れ、映画で話されていた意味をより理解する事となった。

(旅中盤で虐殺記念館を訪れているので、しばらく後の探訪記に続く・・・



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