夏服

暑い。
今年は去年よりもましかな~って思っていたけど、やっぱり暑い。
遅めの梅雨が明けて、やっと夏が本気出してきた感じだ。

最近、お風呂で宇多田ヒカルと椎名林檎とaikoについて
自称・音楽ジャーナリスト(音楽雑誌の編集者とかを
長年やってきたらしい人だ)が考察するという
マニアックな新書を読んでいて、
ふとaikoのページで「夏服」という言葉が目に入った時に思い出した。

もうずっと忘れていたけど、「夏服」という響きに
気がふれそうなほどどきどきして、きりきり胸を痛めた時期が
わたしにはあった。

あれはわたしが高校3年生の夏だった。
わたしには当時好きな男の子がいた。
サッカー部で日に焼けていて、背が高くて、
夏服の白いカッターシャツ姿がまぶしかった。
自転車通学をしていて、
バカでうるさい男子グループとつるんでいるくせに
いつも少し居心地悪そうにしていて、
すこし喧騒からは引いた場所にいる、口数の少ない男の子だった。
女の子みたいに繊細な字を書いて、少し陰のあるようなところに惹かれた。

校章の入った、ただの白いカッターシャツに黒いズボン。
みんな同じ何の変哲もないシンプルな制服なのに
体系とか髪型とか、ズボンの腰の落とし加減、
だらっとしたシャツのズボンへの入れ方とかで
男の子たちはものすごくカッコよく見えたり、
サラリーマンのおじさんみたいにダサく見えたりした。
好きな人はもちろん前者で、
薄着になる夏場は、普段だったら学ランで隠れているはずの
ゴツゴツした腕や白いシャツ越しに透けて見える広い肩幅、
きゅっとしまった大きな背中のラインがあらわになって
いつもよりどきどきした。
目に入る度、造形に「きれい…」とおもって見とれた。

好きな人とはクラスも階も違ったから、
そんなに頻繁に姿を見かけるわけではなかった。
わたしの高校は進学校だったから、
夏場は特に受験に向けて模試やら課外授業やらがガンガン増え、
先生たちは生徒を受験モードに追い込もうと躍起になっていたのだけれど
そんな中、わたしはやっぱりぽーっとしていて
「この夏で好きな人の夏服姿を見れるのも最後なのか」なんてことを
考えていた。

夏休みが終わり、少し暑さがやわらいでくると
「好きな人の最後の夏服姿」への心積もりは更に強くなった。
衣替え期間というものはあったけれども、
男の子は白いカッターシャツの上に学ランを羽織ることもできるので
簡単に冬服に変えやすく、
しかも男子の間では「夏服はダサい」という認識があるらしく
早々に冬服を着る子が多かった。
好きな人も例外にもれず、気づいたらまだ残暑も残る中
早々に冬服に変わっていてすこしさみしかった。
これでわたしたちはもうほんとうに受験生になるしかないんだな、
って観念するような思いにもなった。

高校を卒業してからも1、2年の間は夏になると
地元の高校生を見かけては(夏休みは実家に帰っていたので)、
当時の「夏服への思い」を思い出してきゅんとなったりしていたけれど、
大人になってからはすっかり忘れていた。

好きだった人には高校を卒業してから4年後くらいに
やっぱりわたしが帰省していたとき、地元で偶然会ったことがある。
相変わらずカッコよかったけれど、もう日焼けはしていなくて
ああ~そうか、もうサッカーはしていないんだな、って
少しさみしくなったのを憶えている。

夏服のこと、ずっと忘れていたけど、いい思い出だ。



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