人生のはじまり

「好きな人に会えなくなってからが人生の始まりですから」
Twitterで見かけた言葉なのですが、
つらいときにときどき思い出しては励まされている、踏ん張っている。

好きな人がいなくなったことが確定した人生のつらさとか、
そんな状態なのにどうやって生きていけばいいのかという理不尽さとか、
まあ、そういうことを考える必要もなく、
好きな人と結婚して幸せに暮らしている友人もたくさんいるし、
そんな経験しなくて済むならそれに越したことはないのだろうな
とは思うのだけど、
わたしはそういうことになってしまったのだから仕方がない。
こんな貴重な体験を与えられたのだ、と前向きに捉えて糧にするしかない。
そういうふうにTwitterの言葉はわたしを押し上げてくれる。

自分が何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が苦手か、
将来どうなりたいか、そのために今どうすればいいか。
そういうことを考えるのが苦手でいつもふらふら流されるまま生きてきて
進学とか就職とかの度にあたふたするということを繰り返してきたわたしは
失恋してからのこの2、3年、
初めて真剣に自分という人間について考えたように思う。
自分に自信が持てないから、やっぱり「〇歳までに結婚」とか
「〇歳には仕事で独立」とか攻めた人生設計はとてもできないのだけど、
でもシンプルに
・自分は何にトキメクのか、わくわくするのか。
・何をしていると楽しいのか、自分が機嫌よく過ごせるのか。
・誰と一緒にいると楽しいのか。
・尊敬する(憧れる)のはどんな人か。
・こういう風になりたくないって思うのはどんな人か。
とか、普段ならぼーっと受け流して忘れてしまいがちな事柄を
いちいち立ち止まってはその場にしゃがみこみ、熟考するよう
くせをつけるようになった。
 
例えばわたしは、友達とごはんに行くことになって
「何が食べたい?」と訊かれても思いつかず
いつも「なんでもいいよ」って答えてしまう人間だったのだけど、
それを止めて絶対答えを出すことに決めた。
最初はむずかしかった。
見当もつかないから、
和食と洋食ならなんとなく洋食のほうが気分かな、とか
肉と魚なら魚が食べたいな、とか、
意地でもニュートラルな状態から自分の気持ちを
どこかのカテゴリーへ寄せるようこじつけた。
例えば麺類に決まってもその中から今の自分のフィーリングに一番合うのは
うどんなのか蕎麦なのかラーメンなのか、馬鹿みたいな話だけど
めちゃくちゃ真剣に考えた。
(でも考えてみれば誘ってくれた友達だって、
 具体的に挙げてくれた方がうれしいし、助かるはずだ。)

知り合いから飲み会に誘われたときも、
今までは都合が合ってなおかつ嫌いな人でなければ
何も考えずに参加していたけど、
・本当に行きたいのか。
・その時間家に帰ってやりたいことはないのか。
・身体は休みたがっていないか。
・そのお金でもっと他にやりたいことはないのか。
をきちんと考えてから返事をするようになった。

他にもわたしは旅行に行ったり帰省をするとお土産を買うのが好きで
いつもたくさん買ってはあまり考えずに
会う人会う人に渡していたのだけれど、
それをきちんと好きな人にだけ、お返しをしたい人にだけ
考えて買うように変更した。

自分の好きなこと、好きではないこと、
やりたいこと、興味のないこと、
お金を使いたいこと、使いたくないこと、
そういうのをきちんと考えるようになって初めて、それまでの自分は
主体性がなく人に依存して生きてきたんだなあと気づいた。
そりゃあ、ヘンな人も寄って来るし、利用されるわけだよ。
自分にも落ち度はあったんだなって少し反省した。

上の内容(自分を安売りしない)と重複するところもあるけれど
その他には並行して、自分で自分の機嫌を取る練習も実施した。
最初は「自分で自分の機嫌を取る」ということにはすごく抵抗があった。
機嫌なんていうものは他人に取ってもらうものだと思っていたから、
それを自分でするなんてみじめじゃん、孤独じゃんって
泣き喚きたい気もちマックスだったけど、
誰も機嫌を取ってくれる人がいないのも事実…。
自分でやるしかないじゃないかと涙を飲み、
半信半疑ながらもしぶしぶ実行開始。
具体的な練習の内容は
・食べたいもの、欲しいものがあったら我慢せずに買う(許す範囲で)。
・行きたい場所ややってみたいことをなるべく実行して叶える。
・疲れているときにお風呂に入らずに寝ても自分をダメだと責めない。
・休みの日、ゴロゴロして終わっても自己嫌悪にならない、開き直る。
・嫌なことがあったら好きな服を着る、好きな化粧をするなどして
 気分をまぎらわす。
・会いたいなと思った友人にはこちらから積極的に声を掛けて
   約束を取り付ける。
   など。

あまり期待していなかった「自分で自分の機嫌を取る」練習だけど、
そうやって日ごろから自分に優しくしていると、
他人からの優しさにも敏感になるのか、
何気ない一言や行動がすごく沁みて嬉しかったり、
逆に「この人優しいフリしてるだけで、本当は自分のことしか
考えてないな」っていうのが見抜けるようになってびっくりした。

「自分のことを愛せないと他人のことも愛せない」なんて言うのを
聞いても、今までよく意味がわからなかったんだけど、実践しているうちに
「こういうことだったんだ!」ってすごくすとんと理解できた。
自分で自分の機嫌が取れないと、
自分に余裕がなくなった時、相手に優しくできないし、
自分の都合で態度を変えてしまうのは結局一番自分が可愛いからで
相手のことを本当に愛してるとは言えない。
常に好きな人のことを受け止めてあげられるように、
好きな人に八つ当たりをしたり、
関係のないことで傷つけたりすることのないように
常に自分で自分を満たしておくのってとても大事。

また、そうやって自分で自分の機嫌を取ってると、
自分で機嫌取らずに相手に何とかしてもらおうと甘えている人のことも
すぐ分かるようになってくる。
そういう人は見ていてすごくイライラする。
自分の機嫌くらい自分で取れよ、
わたしも自分でがんばってんだよ、ってなる。
自分を大事にするようになってから、
許せない人、一緒にいることに我慢ができない人、
というのは増えた気がする。
そういう人とは距離を置くし、バサバサ切っていくから、
わたしの周りは好きな人ばかりで最高、ってなってます、今。
なんだよ、いいことずくめじゃないかよ。

ずっとずっとここ数年はつらくて苦しくて
何で生きているのか分からないとまで思っていたから
こうしてちょっと這い上がって来られたことがうれしい。

会いたい人と会えなくなってから人生が始まりなら、
ほんとうにわたしの人生は今からだと思う。

わたしを利用しようとしたり甘えてくるだけの人たちは
もう二度と絶対近くに引き寄せないし、
好きな人たちだけに囲まれてハッピーに、そしてカッコよく生きたい。

相変わらず恋の予感は何もなく、焦ってしまいそうにはなるのだけど、
大丈夫、ぜったい前よりはいい状態に向かって行ってる。
そんな手応えだけはきちんと感じているから、
今日も前を向いてしっかり生きるのだ。
絶対幸せになります。






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