あのこになりたい

『がんばってる左手 余裕のファックアンドピースつよい右手
 がんばってるからなんなの?』
昨日からずっと大森靖子ちゃんの
イミテーションガールが頭の中で流れている。

仕事をがんばっている。
おしゃれをがんばっている。
全部わたしがそうしたいから、そうやっているだけで
誰かのためにわたしはやっているわけじゃない。いわば自己満。
それでも誰か気づいてほめてくれるといいな。
わたしのこと好きになってくれるといいな。
そんな風にこっそりおもっていたよ。

わたしのことを分ってくれる、評価してくれる、認めてくれる。
わたしの味方なはずだ。
そう思っていた人がいたのに違ったのかもしれなくて、
混乱しているし憔悴している。
『わたしがんばってるじゃん?』
そう言って仮にとりすがってみたとしても、
そのひとに響かなければ『だから何なの?』って突き放されたって
何も言えない。何も悪くない。

思えばたぶん、ありのままの自分でいることに自信がないから
いつもひたすら優しく辛抱強くおだやかでいたような気がする。
お願いお願い、わたしのこと好きになって。
そんな風にどこかで願っていたような気がする。
いい子であることがもちろん好きで(きちんとしているのは気もちがいい)
だからそうしていたのだけど、
でもその裏でうすうす、わたしから「いい子」を取れば
何の魅力もないことにもたぶん気づいていた。

わたしだってうすうすは分かってた、
いい子だから男の子が好きになるわけじゃないってことぐらい。
正しさとかが通用しないのが恋なのだし、
手がかかったり迷惑を掛けられた方が引き寄せられてしまうことも
あることは分かっていた。
それでも他にやり方が分からないから
わたしはいい子でいることをやめられなかった。
いい子にしていればいつかは報われるはずだ。
確約はないのに怖いからずっとそんな神話にしがみついて生きてきた。

好き勝手わがまま言って周りを振り回したりできる人がうらやましい。
『嫌われるかも』なんて心配しない勇気が、
イエスノーをはっきり意思表示できる図太さが、
すぐに甘えたりすり寄ったりできる身軽さや素直さがうらやましい。

普段はわたしだって、
わたしなりに自分のいいところを愛しているつもりだったのだけど
ー例えば几帳面とかきれい好きとか責任感があるとか気が利くとか
 簡単に甘えたり媚びたりしない(わたしは自分のことをどちらかと
 言えばクールな女だと思ってる)とことかー
でもそれが分かってほしい人に響かないのなら、
わたしとはまったく真反対の人に魅かれてしまうのなら、
わたしの長所など何も意味がない。すべて投げ捨ててしまいたくなる。
わたしの長所というか自信となるようなものは
日々の積み重ねと鍛錬の賜物なので、
それが選ばれなかったとき、
まるでわたしの生き様すべてを否定されたかのように感じてしまう。

わたしだって好き勝手わがまま言ってみたい、
無責任に生きてみたい、猫のように甘えてみたい。
でも、たぶんわたしがやると
すごくぎこちなく不自然に不気味に見えるのだろうなと思うし、
わたしはあのこのようにはなれない。

誰かみたいになりたいなんて思う必要はないって
ずっと分かっているのに
大人になっても、自分の好きな自分でいるつもりでいても
やっぱり止められない。
「あのこになりたい」が消えない。
隙がなくてまじめなわたしも不器用なわたしも
そのまますべて愛してくれるひとがいたらいいのにね。




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