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しーさんと私

ハワイに移住して、明日で3か月になる。

マジで一瞬だった。生活を整える時間がないまま、仕事&仕事、、

先週校了を乗り越えて、しばし、ゆっくりすることにした。移住後こんな早くに、こういった決断をすることになるとは、出発前、イメージできていなかった。「移住後1か月は仕事になんてならないよ」とアドバイスをくれた先輩がたの言葉が、こうも正しかったのかと思う。

ステートIDも持っていない、ドライバーズライセンスも取っていない。今週になるまで、海に行けずにいた。スムージーが作りたくても、ブレンダーを買いに行く時間がなかった。そんな感じ。

全部自分で選んだことだけど。こうも思い通りにならないことに、正直、びっくりした。

ただ、できていることだってもちろんある。車は買えた、炊飯器も買えた、ベッドとソファーはあるし、テーブルも買えた。少しずつ生活は整ってきている。

多分、日本と同じ速度と時間でこなせば、「できなかった」ことだっておそらく「できた」と思う。ただ、ハワイでそうはいかなかった。願っても役所は閉まるし、日本の時差に合わせて動く必要もあったし。


今週ぼーっとしていたら、ふと、昔のあだ名を思い出した。「しーさん」と呼ばれていた。ついになる「やーさん」という友達がいて、なんだかそんなあだ名が生まれた。この名前で呼ぶ人は、ほぼお目にかかる機会もないし(やーさんですら私をしーさんとは呼ばない気がする。シーナと呼ばれているかな)、急に思い出して、懐かしい気持ちになった。

しーさんは吹奏楽部の部長をしていたから、音楽室に続く廊下を歩く彼女が浮かんだ。廊下の外には、緑が見える。いや、緑が見える廊下の先に音楽室があったのは小学校か高校だったかな。ともかく、なんだかしーさんはしょっちゅう悩んでいて、人をまとめられないだとか、みんなが言うことを聞いてくれないとか、そんなことを悩んでいたように思う。コンクールで賞が取れなくて、とてもうまいとは言えない集団だったんじゃないかな。いや、銅賞か銀賞くらいは取ったのかな。もうそのへんは記憶が曖昧。

でも悩みながらも、自分のパートのパーカッション(打楽器)は大好きだった。別に花形じゃないけど、ベースを刻むとても大切なパートだし、鈴やらシンバルで時折、曲のエッセンスを加えたりする。ここから派生して高校生になるとドラムを叩いたりしてたんだっけ。

そして気づけば、余裕でしーさんの2倍以上の年齢になった私は、また同じことを悩んでいた。この1年数か月。人をまとめることの、媒体をまとめることの難しさを痛感していた。

多くの人、そして立場の異なる人が関わる中で、同じ熱量を持って、一つのものに向かうことはとても難しい。冷静に考えれば、それはあまりにもわかる。「ほとんど無理なことじゃないか」とさえ思う。でも、道中にいると、それが分からない。自分に足りないところがあるからではないかと、考えてしまう。こういう思考のクセは、しーさん以来、まったく変わらずに健在だ。

書くことや編集することは、しーさんにとってのパーカッションと同じで、変わらずにただただ好きなこと。

一人のプレヤーとしての自分を見つめてみる。そこは大好きなのだ。

音符通りに正確なリズムを刻むことに没頭したように。こんなバカみたいに長いブロクを平気で書くように、私にとって、書くことは生きることに近しい。心の中のリズムを刻むように、私は書き続けている。ただ、団体で、そうして人の上に立つ(上に立つなんて考えがおこがましいのは承知でこの言葉を使うけど)のは、どうも苦手なんだ。ずいぶんと憧れたけどね。

例えば、集合写真で一番前に寝そべって映るような人がいる。そういう人に憧れる。でもそれはしーさんでも私でもない。


休みが明けたら、また編集や執筆をすると思う。でもそのペースは変えてみよう。それ以外のこともしてみよう。日本語を書くことを教えて欲しいと言われたり、ハワイのことを直接教えて欲しいと言われたりして、その声に向き合わなかったけど、それをしてみてもいいし。

ハワイが好きすぎて、丁度いい距離感がつかめずにいたから、その距離感を探ってみたいし。まだ行ったことがない島にも行きたい。メインランドにももっと行きたい。そして何より、自分も生活も大切にしたい。そう思う。部活は引退すれば終わるけど、自分と生活はずっと続くものだから。





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