なんで優しくできなかったのかな。。。実刑と2度目の引越し

いま、毎日毎日、身辺整理と言いながら大してなんにもやっていない毎日を過ごして。

あたしは今さら、なんで、彼が死を選ばざるを得なかったのか、そこに至るまでに、あたしは一体何に時間と気持ちを割いていたんだろう。

って、夜が来るたびに考える。

そして、彼の遺した遺書と、手紙と、ケータイを見て、涙する。

彼は、仕事を実質クビになってから、酷く臆病になった。当たり前だ。

あたしを、犯罪者だって知った上であたしを選んで。

いや、もしかしたら、その前にあたしと一緒に居るって決めた自分の心を、変えられなかったのかもしれないけど。

純粋すぎて、頑固だった彼にとって、再婚を考えたあたしのことを、放っておけなかったのかもしれないけど。

神奈川から西日本に行って、就職が決まったところであたしが連れて行かれて。

もう、あたしが退職して西日本に戻れなくなったから、せっかく決まった良い職場を辞めて、全く知らない北信越に、たった1人で来てくれて。

余所者に冷たい田舎で、就職もバイトもない中、あたしを待っててくれた。

あたしが留置場から出てこられて、でも、一緒には居られなくて。

留置場から出て、初めて2人きりになれた時、あたしは言った。

ありがとう。すごく、すごく、嬉しい。

でも、あたしは、もう、死ぬことでしか償えない。これ以上生きて迷惑をかけたくないの。

号泣してた。でも本心だった。

ずっとずっと、死ぬことばかりを考えてた。

留置場なんて、当たり前に、死ねるわけがない。そんな中でも、なんとかして死にたい。と、毎日毎日考えてた。

検察庁とか、病院とか、外に出るたび、階段から落ちようと努力した。腰縄があって、警察官が持ってるから無理なのに。

トイレの電気のガラスを割れないかなって、何度も壁をよじ登った。

外れたスカルプの角で、首を切れないかなって考えた。箸を刺したらどうかな。お風呂で、転んで浴槽の角に頭をぶつけたら?

病院に行って、適当な針を刺したら死ねるかなって考えたり。とにかく、本当に、希望は死ぬことしかなかった。

彼が、遠く離れた土地に来てくれたことは聞いていた。

でも、こんなあたしと一緒になるよりかは、まだ、彼には選べる未来があるから。

あたしが死ねば、それを考えられるから。

逢いたいし、抱きしめてほしいし、触れたいし、話したいし、温もりを感じたい。

でも、それが無理な環境で、毎日毎日、1人で、冷たい布団で眠剤飲んで眠って。

そんな環境で、明るい未来なんて想像できるわけがなかった。

保釈してもらって、家族に会って、どうしても彼に逢いたいって泣いて、母が仕方なく、彼の家に連れて行ってくれた。

私にどれだけ迷惑をかけられたか、どれだけお金を使ったか、なのに自分の希望ばっかり言う私に母は怒った。

あんたを産んだのはお母さんだから、あんたのしたことはお母さんの責任でもある。

もし、(刑務所に)入ることになったら、あんたを殺して、私も死ぬ。とまで言わせてしまった。

留置場から出てきた時、安定剤もなにもなくて、とことん不安定なあたしは、彼の家に着いて、泣いた。

死にたい、、、

そう言ったら本気で怒られた。

あたしの気持ちはそれで変わったわけではないけど、でも、彼のことが大切だと思った。

ヒモだったけれど、あたしなんかを、罪人で咳止め依存症なのも知った上で、待っててくれた。

あたしは、自分のことしか考えてないカスだから、来てくれて嬉しい反面、もう彼を養えないことに焦ったし、更に親に負担をかけてると思った。

彼は、もしあたしにいらないと言われたらどうしよう、それだけが怖い、と母に言っていたらしい。自分でも、負担になってるのをわかってるから、そう言ったんだと思う。

でも、母も、こんな娘のことをこんなに想ってくれる人はもう二度と現れないと思って、彼を連れてきた。彼を信じることにして、少しでも楽になりたかったと思う。

それから2ヶ月経って、やっと彼の就職が決まった。希望の職ではないけれど、とりあえず就職しないとあたしと一緒にいられない。

なのに。

あたしは地裁でまさかの実刑判決になった。本当に、正直甘く考えてた。弁護士も。

スーツのまま、拘置所に連行された。

何にも用意してない。

給食みたいな、山盛りの具のない麺とフライのお昼ご飯が出た。食べれるわけがなかった。

念のために、カッターの刃を下着に隠してた。

もし保釈してもらえなかったら、今度こそ死のうと思った。

頭が痛くて、許可を得て、横にならせてもらった。本当は、ただ座っていないとダメらしい。

色んな規則やら、時間割やら、買えるものやらの紙があったけど、もう何にも考えられなかった。

あたしが控訴保釈申請の予定だと知って、看守さんは優しくしてくれた。

もうすぐ夕飯だから、その前に点呼があるから座っているように言われた。

夕食は16時半と書かれていた。

布団をたたんで、ウトウトしていたら、呼ばれた。保釈許可が下りた、と。

今日はもう無理かと思ったけど、良かったね、と言われた。

1人で拘置所から出て、泣きながら一服した。

控訴して、あたしは、また、東京に戻ることになった。

サポート頂けると幸いです。彼が自殺した部屋の損害賠償費用に充てさせていただきます。m(_ _)m