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戯曲「メディスン」考

今、東京では、田中圭主演の舞台「メディスン」が上演中である。私は彼の大ファンであり、いつか生のお芝居を鑑賞してみたいと何年も切望しているのだが、残念ながら日本に住んでいないので、今回も舞台を見ることは叶わない。日本まで行く旅費も時間も捻出できなかったのだ。仕方がない。今回の演目「メディスン」は、アイルランド出身の戯曲作家エンダ ウォルシュの作品で、初演もイギリスで行われたものらしい。私の住む英国とも縁があるようだ。試しにAmazon UKで検索をかけてみたら戯曲の原作本があっさりとヒットした。舞台鑑賞は叶わないものの、せめてどんな話かを知りたいと思い購入して読んだ。興味深い話だった。そこに広がる世界は胸が苦しくなるようなものだった。不条理劇であるとは銘打っているし、たしかに内容は難解ではある。しかしその難解な中に、心をぎゅっと強く掴まれる何かがある。そんな話だった。

私はここしばらく、この戯曲が一体どんな風に舞台の上で描かれているのかを想像し、想いを馳せている。舞台は見れないけれども(しつこい)、とても気になっている。初演以来、舞台鑑賞をされた方々の感想が、続々とX(旧Twitter)のTLに流れてきて、それらも興味深く読んでいる。不条理劇であるし、正解もないお話ということで、見た人の感想もどこかふわっとしたものが多かった。そんな中、とある呟きが目に留まった。その呟きにはこう書いてあった。

ジョン・ケインや彼のような人たちの人生を全く自分とは縁のない世界だと思える人と
自分や自分の家族や隣人の物語だと思う人とでは
感じ方は違うのだろうか 

https://x.com/tou_ko_k1984/status/1791075695436988829?s=46&t=MG9WiPbWv2-DN0z6GnpKHQ

この問いに、さて自分はどうだろうか?と心が騒めいた。次第に自分がこれまで出会ったジョンケインのような人たちの記憶が溢れだし、しばらく物思いに耽ってしまった。せっかくなので、その内容をつらつらと綴ってみたいと思う。





【私の出会ったジョン ケインのような人たち】

EMIの老人たち


私はイギリスで看護師をしている。もともとは日本で看護師と保健師の資格をとった。東京の病院で3年くらい働いた後に、海外でも働いてみたいと思い20代の半ばで渡英した。2001年の春の事だ。本当は2〜3年で日本に帰るつもりだったのだが、2003年にイギリスでの看護免許を取得したあとは、そのままこの国に居ついてしまった。ずっと看護師をして働いている。

2002年、私はイングランド北部の とある老人ホームで働いていた。入居者が300名近くもいるこの大規模ケアホームでは当時、私のような外国人の看護有資格者を募って雇用していた。仕事は看護助手/ヘルパーで超低賃金であったが、労働ビザを申請してくれて、イギリスでの看護免許移行へのサポートをしてくれるというものだった。ロンドンにあった小さな日系のエージェントから紹介をもらい、同じく日本の看護資格を持っている4名で電車に乗って、ロンドンから北に3時間の地方都市で雇用面接を受けた。面接に受かったのは私ひとりだった。そんな遠くの、誰も知り合いのいない北の地にひとりぼっちで行くのは不安だったが、このチャンスを逃したらいつ次に雇用面接があるかわからなかったし、貴重な合格を貰えた事や、憧れのイギリス労働ビザの取得がとても嬉しくて、不安も恐怖も弱気もねじ伏せて、私はスーツケースを引きずって、単身で北の町に移り住み働きはじめたのだった。今だったら絶対にイヤだ。若かったし怖いもの知らずだった。

その施設は入居者が多く、広い敷地にある大きな古い建物の中は30〜50床ずつの棟で分割されていて、私が配属されたのはEMI unitという棟だった。今と違ってスマホもない時代である。私はポケットに忍ばせていた小さなカシオ製の電子辞書でEMIがなにかと調べたが、うまく意味が出てこなかった。仕方なく出来るだけ優しそうなスタッフに教えてもらった。そんな事も知らないのか?と呆れられたらどうしようかとビクビクしていたが、そんな様子は全然なく、とりあえずほっとしたのを覚えている。(ちなみにイギリスでは、どんなにくだらない事を聞いても呆れられることはないです)  EMIとはElderly Mentally Infirmの事で、要するに重度の老人精神疾患の方ばかりが集められた棟という事だった。この棟の入居者たちのカルテを覗くと、severe dementia (重度認知症) の他にSchizophrenia( 統合失調症)や depression( 鬱病)などの精神疾患の診断名がズラリと並んでいた。この棟の出入り口には、常時ロックがかかっていて、入居者は自由に外には出られない。なるほど。ここは閉鎖棟というものだ。その棟には50名ほどの入居者がいた。大きなガラス張りの吹き抜けのあるラウンジを挟んで、4つのエリアに分かれていて、それぞれに地元地域にちなんだ愛称がついており、エリア毎には個室が10〜14室ほど並んでいた。まるでホテルの様に綺麗な内装で、こういったケアホームにありがちな匂いはなく、雇用担当者のキャロルは案内をしながら、この施設は特に清潔に気を配っていると胸をはって説明してくれた。私たちの仕事はここの入居者の身の回りのケアだった。朝7時から担当を任されたエリアの個室をまわって洗顔や着替えなどの身支度のお手伝いをする。8時半には朝食を手伝って、10時ごろにトイレを手伝って、12時頃に昼食を手伝って、3時頃にお茶を出し、またトイレを手伝って、7時頃に夕食を手伝って、9時から10時頃に着替えなどの就寝の支度を手伝った。入居者たちは、自室で過ごしたりラウンジで過ごしたり、基本的に毎日を自由に過ごすのだ。スタッフの仕事は8時〜8時の12時間シフトの二交代制。24時間、スタッフが入居者のお手伝いをする。因みに、日勤と夜勤の時給が同じだった。スタッフには地元のイギリス人おばさん達もいたのだが、彼女たちは夜勤に入ることはなかった。無理もない。夜勤手当がなくても文句を言わずに働くのは、私たち短期雇用の外国人ばかりだった。そこで私はフルタイムで働き(12時間シフトを週3〜4回)、合間に英語の勉強を必死にしながら看護免許取得のためのレポートを書き、資格取得に求められた最低6ヶ月の規定施設での就労を満たすため懸命に働いた。

ここの50名ほどの入居者だが、どの方も身体はまぁまぁ元気そうだが、心の状態は晴れやかではない人たちばかりだった。実はここで働く前には、イギリス国内の他の身体障害ホームで国際ボランティアとして働いていたのだが(住居と食事が支給されたが給料は無く労働ビザもなし)、そこは雰囲気が明るくて入居者もスタッフもみんな朗らかで楽しげだった。いつもどこかで音楽やラジオが流れていて、入居者もスタッフも入り混じって談笑する声が聞こえていた。だが、このEMIの空気はそことはだいぶ違っていた。まるでイギリスの曇り空のようの鬱々とした空気があった。無表情でひたすら一日中廊下を行ったり来たり歩いている人や、なにを話しかけても『クソったれ!!死んじまえ!!』などしか言わない人もいた。この方はトイレに行くのが難しくオムツをしていたのだが、オムツを交換するスタッフに対して『お前なんか地獄に落ちろ!!』とよく叫んでいた。同僚のイギリス人は、毎日 罵詈雑言を浴びて気が滅入ると言っていた。仕事内容は単純ではあったが、簡単ではなかった。なんだか良くわからない事やタイミングで激昂される方も多く、働きながらいろいろ消耗した。同じ話をずっと繰り返している人もいた。ぶつぶつと呪文のように繰り返される言葉を私はよく理解できなかったのだが、他のスタッフが「この人は子供の頃の話をずっとしているのよ」と教えてくれた。このような感じで会話としてのコミュニケーションが成立する人は少なかった。対話だとか信頼関係だとか、そういったものは全く築けなかったが、印象深い人たちはたくさんいた。

フローレンスとレイチェルという2人のお婆さんがいた。彼女たちは、なぜかいつも連れ立って歩いていて、スタッフからシスターズ(姉妹)とも呼ばれていた。むろん本当の姉妹などではない。フローレンスはいつも青系のワンピースを着ており、レイチェルは赤系の服だった。フローレンスは姉御肌のようでいつもレイチェルに強い口調で指示を出していた。内容はそこに座れ、ついてこい、などだった気がする。フローレンスは綺麗な白髪で、昔からの習慣なのか夜にはカーラーを巻いて寝ているので、髪もくるりとしておしゃれだった。いつもハンドバッグを腕から下げており、中には大事なものが入っていると言っていた。たまにどこかにそのバッグを置き忘れるとキレて軽いパニックをおこしていた。ある日、彼女のおトイレを手伝ったときに、そのバッグを開けろと指示されたことがあった。え!中をみてもいいのですか?とドキドキしながら開けたら、ぐしゃぐしゃのティッシュペーパーがギチギチに詰められていただけだった。お喋りなフローレンスに対して、レイチェルはとても大人しかった。彼女が話しているのを、ほとんど聞いた事はなかった。でも、レイチェルはフローレンスといるのが好きなようで、口元に柔らかな笑みを浮かべながらぽてぽてとフローレンスの後ろをついて歩く姿がなんだか微笑ましかった。フローレンスも満更ではない様子でレイチェルを慕っているようにみえた。私はこの2人が連れ立って延々と歩いている姿を眺めるのがけっこう好きだった。レイチェルは、たっぷりとしたカールの赤っぽい髪で(後にかつらだと知った)、淡谷のり子さん風の色の付いた大きなメガネをかけていた。一度、この眼鏡が酷く汚れていたので、眼鏡を綺麗にしましょうか?と尋ねて、汚れを拭き取って渡したことがあった。レイチェルは眼鏡を受け取ると、汚物をみるような不快感いっぱいの目で私の顔をしげしげと無言で見つめた。何がダメだったのかはわからない。なんかごめんなさい…と謝った。そんなある日、シフトが数日休みのときがあった。しばらくぶりに出勤すると、フローレンスと一緒にレイチェルがいなかった。レイチェルは?と聞いたら、彼女は亡くなったとスタッフが教えてくれた。心疾患の突然死だった。ビックリしたしショックだった。すぐにフローレンスのことが心配になり彼女の様子を確認すると、フローレンスは何事も変わりない様子でいつものようにぶつぶつと喋りながらハンドバッグを腕から下げ、ひたすら歩いてただけだった。

ここの人たちは、私のいる世界とは少し意識が隔離された場所で生きているみたいだった。目の前にいて話しているのに会話が噛み合わない。目を合わせているのに合っていない。そこにいるのにそこにいない。まるで表面に薄い膜があって触れられない。そんな感じだった。

EMIでは音楽もアクティビティもなかった。ラウンジにTVや音楽プレーヤーも一応あったのだが、それらをつけても入居者の誰かが直ぐに止めてしまう。刺激のある音や映像が苦手な人も多かったようだ。他の一般のケアホームにあるような楽しげな音や談笑はなく、あるのは、ただひたすら続く、食事とトイレとお茶と食事とトイレとトイレと就寝の繰り返しだった。人間って、結局は食事と排泄と睡眠しかないのかな、と思わされた。繰り返される単調な毎日に、時間や曜日や季節の感覚もどんどん麻痺していく。ここにいる入居者たちは、この繰り返しの毎日から出たいと思っているのだろうか。わからなかった。ただ確実にいえる事は、ここの人たちがここを出て、自分で着替えをしたり食事をしたりトイレにいったり生活のこまごまとした事を出来ている姿が、私には全く想像できなかった。ここの空気は、いつも薄グレーの雲に覆われているみたいだった。けれど、毎日が守られていて安全だった。

ミュリエルというお婆さんがいた。ミュリエルは、よく棟への出入り口の前に立っていた。彼女は会話が成り立つ数少ない入居者だったし、目がうつろではなかった。私は彼女がここから出たいのだろうか、と思って様子をみていた事があるが、スタッフが出入りする度に開く扉をみても、彼女が出ようとする事は一度もなかった。私はミュリエルにどこかに行きたいのか尋ねた事があった。彼女は、そうでもないけどね…と言いながら、彼女には妹がいて妹には会いたいと話してくれた。私は、いつか会えたらいいね、と返した。でも後でミュリエルのカルテを読んだら、彼女の家族構成の記録には妹の存在はなかった。

ICUの紳士

7〜8年くらい前にちょっと記憶に残る出来事があった。その時の私は、大学病院のICUで働いていた。ICUは、基本的に人工呼吸器や緊急の腎透析が必要な患者さんしか受けいれていないのだが、その夜は異例で、とある術後せん妄のひどい患者さんを受け入れる事になった。この方は全身麻酔から覚めた後に、幻覚や妄想がとびきり酷く出てしまい、怯えて暴れて危ない、本来はICUの患者さんじゃないけれど、他に受け入れベッドがないから、どうかよろしく頼むという事だったのだ。60代くらいの背の高く紳士然とした風貌の方だったが、なるほど、目が正気ではなかった。腹部の手術後で、まだお腹からドレーンチューブと排液を貯める袋がぶら下がっている。私たちは、時間毎にその袋にたまった排液を確認したり創部や痛みレベルをチェックしたいのだが、その紳士はちょっとでも看護師が近づこうものなら手負いの獣のようにこちらに殴りかかってきそうだった。大丈夫かな…と思いながら、夜勤が始まった。私たちはこういったせん妄状態の患者さんに不慣れだった。まず担当になった看護師が近づいて話しかけたら、近くにあった脳圧の器具を調整するのに使う長い棒状の水平器を掴み、殴りかかろうとしてきた。ヤバいと思った。この紳士のお腹のドレーンも守りたい(抜けたらオペ室に逆戻りかもしれない)が、スタッフに怪我があってはならない。また、このフロアはICUである。人工呼吸器をつけた患者さんが数メートル置きにたくさんいて、これらの呼吸器にもしも何かをされたら他の患者さんの命が危ない。穏便に刺激をしないように、私たちはこの紳士をひたすら見守り、タイミングを見計らって武器の水平器を奪い返し、長い緊張感のある夜勤を過ごした。担当受け持ち看護師が休憩の間、私も代わりに看る事になって、どうにかドレーンを確認させてもらえないかと、一度ちょっと近づいたのだが(ドレーンや創部の確認は看護の義務)、もの凄い眼光で「化け物!!近づくな!!コロ○ぞ!!!」と腕を振り上げられたので、そそくさと距離をとって、確認は諦めて看護記録にその事を書き残した(確認を試みて無理だったにならその事を記録に残す)。それにしても、あんな目で化け物と呼ばれた事は生まれて初めてだったので、なんだか心に残ってしまった。彼の目には、私はどんな姿に見えていたのだろうか。私はいったいどんな化け物だったのだろうか。ちなみにその紳士は朝が来る頃に、漸くとろとろと眠りにつき、目が覚めたときには暴れた事もすっかり忘れて和やかに一般病棟に移っていったと、交代した日勤さんから教えてもらった。全員無事でよかった。

山の家の青年

日本での保健師学校時代の事も思い出していた。保健師とは、地域住民の公衆衛生や健康増進活動を目的とする国家資格職であり、主に保健所や保健センターで働いている。保健師の仕事には、地域の精神医療を守るという業務も含まれており、保健師学校の実習では、地域で暮らす統合失調症の方の家庭訪問があった。その日は、保健師さんに連れられて あるお宅を訪問した。保健師さんの運転する車は山間の道をどんどん進んでいく。鬱蒼とした山の奥、木々が茂る細い道沿いに小さな家が見えた。トタンの屋根は傾いていて薄暗くとてもぼろぼろで、失礼ながら人が住んでいる事に驚いてしまった。その家には、お父さんとお母さんと息子さんがいた。私は、慣れた様子でお家に上がっていく保健師さんの後ろについて、出来るだけ同じように明るく朗らかで穏やかな調子でご挨拶をして家にあがらせて貰った。通された部屋は、とても殺風景でものが少なく簡素で片付いていた。縁側に面した引き戸が開けられていて緑で茂った庭がみえた。その日はお天気が悪くない日だったが、いかんせん庭先のというか、すぐそこの山の木々が鬱蒼と茂りすぎていて、家の中に差し込む光はまばらで部屋の中も薄暗く、とても静かで、まるで森の中のような湿った土の匂いがしていた。保健師さんは、まず、ご夫婦に食事は取れているか 体調はどうか などの質問を絶妙な調子で雑談に混ぜながら聞いていた。ひとしきりご夫婦と話したあと、部屋のすみで膝を抱えて座っていた息子さんにも話しかけた。10代半ばくらいの息子さんだったか。保健師さんが、彼にも困った事はないかと尋ねた。彼はやや口籠るような調子で小声ではあったが「最近は“声”が聞こえる事は無いし、調子は悪くないです。でも、やっぱり…空が落ちて来ないか心配で…。」と話してくれた。保健師さんは、そう…と穏やかな様子で返事をして、またしばしの雑談をしてから家庭訪問は終えた。帰り道の車の中で保健師さんが、このご家族は夫婦・息子さんともに統合失調症なのだが、症状が落ち着いているので、行政のサポートを入れながら自宅で家族一緒に暮らせていること、ちなみにこの家族の誰も仕事も学校も行っていないこと、地域のこういった家庭を把握して、必要なサポートを調整するのも保健所の保健師の仕事だということなどを話してくれた。私はこのあとに訪問実習報告レポートを書きながら、息子さんの言葉を何度も思い出していた。空が落ちてこないか心配。私は、生きてきてこれまで、空が落ちてこないかを心配した事はなかった。考えた事もなかった。では、空は落ちてこないのだろうか?絶対に何があっても落ちてこないのだろうか?そう言い切れるのだろうか?空が落ちたらどうなるのだろうか?考え出すとわからなくなった。そして考えすぎない方が良いという結論に達し、思考の蓋を閉じた。


【戯曲 Medicine を考える】

※ 以下、戯曲『Medicine(メディスン)』の原本のネタバレを多く含みます。また、上演されている舞台を私はみておらず、舞台とは異なる部分があるかもしれない事をご了承ください。

medicineの意味

「medicine」という言葉は、ラテン語の「mediri」(治す)から派生した「medicina」(治癒術)が語源だと言われている。そこから変化した単語「medicus」には、"治癒”という意味の他に"医者"という意味も含まれており、“薬で治癒する医学”がこの単語のコアな語源となっているそうだ。

日本では、Medicine(メディスン)=薬 という意味で浸透しているが、実は英語ではMedicineの意味は薬とは限らない。

【medicine 】noun

1. the study and treatment of diseases and injuries (病気や怪我を治す学問と治療)

2. a substance that you take in order to cure an illness, especially a liquid that you drink or swallow (病を癒すために摂取する物質)

引用:Oxford dictionary (オックスフォード辞典)

辞書にも書かれているように、medicineの意味には

 ①病気や怪我を治す学問と治療
 ②病を癒すために摂取する物質
 がある。

①の意味で、大学の“医学部”もメディスンであり、“内科(病棟)”もメディスンなのだ。
「息子さん、大学で何を勉強していたの?」「medicine(医学部)よ」
「これまで、どこで働いていたの?」
「medicine(内科)で2年よ」
といった感じだ。また、治癒 / 治療という意味も強く、古では宗教的なヒーリングもmedicineであったらしいし「you are my medicine (あなたは私の癒し)」などという歌詞のラブソングもある。

②の病を癒すために摂取する物質という意味は、薬である。そしてこれは①の意味から転じて派生したものだと考えられる。ちなみにmedication やdrugなどの、他にも薬をあらわす単語もあり、私は薬という意味では、こちらの単語のほうをよく使っている。medicine (メディスン)はどちらかと言うと、治療や癒すといった意味を強く含んだ、ふわっとしたニュアンスが漂うと私は感じている。

なぜ、このような事を書いたかと言うと、メディスン=薬という限局的な意味で捉えてしまうと、この作品に対して感じ方が少々狭まってしまうのではないかと思ったからだ。もちろん、メディスン=薬でも間違いではない。ただ、薬とだけ考えることで、主人公が薬を飲んだり投与される場面に、特別に強い意味があるように誘導されてしまうこともあるのではないかと思うし、それは英語で書かれたこの作品の意図している事ではないと個人的に思うのだ。

ドラマセラピー(演劇療法)

この戯曲『メディスン』では、メインの登場人物は3名。ジョンとメアリーとメアリー2だ。ジョンは施設の中にいる精神障害患者のようで、2人のメアリーは女優だと称している。物語は、彼女たちと、謎の声のインタビュアーに促されながら、ジョンが彼自身の過去を語る事で進んでいく。

ドラマセラピー(演劇療法)というものがある。

Dramatherapy is a form of Psychotherapy. Dramatherapists are both clinicians and artists that draw on their knowledge of theatre and therapy to use as a medium for psychological therapy that may include drama, story-making, music, movement, and art; to work with any issue that has presented itself.
(ドラマセラピーは心理療法の一種です。ドラマセラピストは、演劇とセラピーに関する知識を、ドラマ、物語作り、音楽、動き、アートなどを含む心理療法の媒体として活用し、そこから浮かび上がる問題に対処しようとする臨床医でありアーティストでもあります。)

https://www.badth.org.uk/dramatherapy

脚本作りやお芝居をすることを通して、なんらかの心理作用を得ることを目的とした、比較的 新しい精神疾患の治療法らしい。

私ははじめてこの戯曲を読んだときに、女優と称するメアリーたちの様子が相当に変で、いったいどういう状況なのだ? ていうか、女優?と怪訝に思っていた。それから、過去を語るジョンが、彼の生まれた日の事から、赤ん坊の頃の情景など詳細に語る事に違和感を覚えていた。人間は赤ん坊の頃からの記憶をそんなに覚えているものなのだろうか、と。しかし、ドラマセラピーという形で、自分の過去を客観的にみる投影劇としてなら、こういう事もあるのかもしれない。

2人のメアリー

それにしても、メアリーたちの様子は相当に変てこりんなのである。戯曲の冒頭で メアリーは老人、メアリー2 はロブスターの着ぐるみという奇妙な格好で現れる。メアリー2 は女優であり、その仕事に強い自信と誇りをもっているようだ。そしてその信念はかなり個性的である。彼女の着ていたロブスターの着ぐるみは、子供パーティーのためだと言ったり、出掛けにコートが見つからなかったからだと言ってみたり、意味が良くわからない。メアリーの方は、音響担当と役者をしているというのだが、メアリー2 と同様、ところどころで言動が奇妙である。swear wordsと呼ばれる類いの悪態もかなり多い。この2人のメアリーたちは、script(台本)を手にもっており、なんらかの目的をもってジョンの語りを促し、また、ある時はジョンに薬を渡したり、錯乱したジョンに注射器で薬剤を投与する描写もある。

私はこれまでジョン ケインのような人たちに出会ったことがある。彼らには、私には見えていないものが見えていた。彼らの世界は、妄想と現実の境界線が曖昧で、フィルターを通した光が屈折して届くように、いろんな事柄がまだらに歪んでいるようだった。そして、このジョンの世界も同じだと私は思っている。

この2人のメアリーとは、“存在しない存在”なのではないか思うのだ。ドラマセラピストを担う役者と、薬を投与する施設の看護師と、同じ施設にいる精神疾患の入居者の存在が、ジョンの認知の歪みにより奇妙に混じり合い混線して、メアリーとメアリー2となってあらわれているのではないかと感じている。

英語圏では、聖母マリアのことをMaryという。Mary(メアリー)とは、純粋なる母性愛の象徴である聖母マリアの名前なのだ。過去を語るジョンの言葉から、彼が複雑で屈折した強い感情を両親に抱いていた事がわかる。ジョンは母親からの拒絶を感じながら育った。また父親の事は、the man who called himself Dad (自分のことを父親と呼ぶ男)と語るくらい嫌悪をみせている。処女懐胎でキリストを身籠った聖母メアリー。このジョンと対峙する2人の女性の名前がメアリーであることには、ジョンの母の愛への強い渇望が暗示されているように思えてならない。

閉鎖病棟

閉鎖病棟に入っている人たちは、 “閉じ込められている”のだろうか。確かに、自由は奪われて、扉の内側に“閉じ込められている”のかもしれない。でも、同時に彼らは、外の世界から“守られて“もいる事を知ってほしい。

精神疾患は脳の機能障害である。私たちは、目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだ匂い、手で触れた感触、それらを情報として全て脳に伝達し、ここに存在するものとして認知している。では、このメカニズムがバグってしまっていたらどうなるのか。見えないはずのものも見え、聞こえないものが聞こえ、無いものに触れるのだ。精神の病とは、こういった症状のために、社会生活を送ることに困難が生じる脳の障害なのである。

いま上演されている舞台「メディスン」の感想に、“ジョンは閉じ込められて“ “ジョンは無理やり薬を飲まされて”と書かれているものも多い。私はそれらを読みながら、とても複雑な気持ちになっている。

ほんの少しでも良いので、具体的に想像してみて欲しい。あなたが、薬を飲みたくないと思っている人に、一体どうやって薬を飲ませるのか。どんな方法があるか。言葉で脅せば飲むのだろうか?飲まないだろう。暴力を振るって飲ませるのか?きっと暴力をふるい返されるだろう。口をこじ開けて無理やり薬を入れるのか?指は噛みちぎられて薬は吐き出されるだろう。無理やり飲ませるだなんて、実は出来ないものなのである。

では、薬を飲みたくないなと思っている人に、どうやって薬を飲んでもらうのか。その時ダメでも少し間をおいてからまた試したり、根気良く説明をして納得して貰って、自分で飲んでもらうしかないのである。それでも拒薬があるなら、飲ませずに薬を破棄してその事を正直に記録に書き残す。ちなみに、正確で正当な投薬とその記録は看護師の大切な責任業務である。また明確な拒薬のある者に投薬をする事は固く禁止されている。もしも過失があった場合は確実に資格免許を失効する。飲んだふりをして飲まない可能性がありそうな場合は、飲み込む様子を目視で確認する。飲んでないようであったらその事を記録に残す。無理やり飲ませる なんて事はありえないのである。

では、なぜ患者さんが「無理矢理に飲まされた」と言うことがあるのだろうか。まぁ言うかもしれない。オムツを替えたら『地獄に落ちろ!』とも言われるし、眼鏡の汚れを拭いたら汚物のようにみられるし、近づいただけで『化け物!!』とも言われるのである。また、脳の認知の障害がなかったとしても、自分でやったことを、後になって無理矢理にやらされたって言っちゃう事もあるかもだものね、人間だもの。

私がかつて働いていたEMIの棟のなかでは、音楽やラジオが鳴っていなかった。それは、おそらく入居者たちの頭の中ですでに声や音がしていたからだ。頭の中がすでに騒々しいなかで、外部からの過剰な音は雑音となり不快感を増幅する。些細な音や刺激、なんの変哲もない会話などでも、不安定で歪んでしまう認知のために、彼らにとって大きなストレスとなる事もありうる。

ましてや社会生活はどうだろうか。幻聴や幻覚が出易く不安感が強い人が、強いストレスに直面する事で症状が悪化して、食事や睡眠がどんどん取れなくなり健康が保てなくなったり、幻覚や幻聴が引き起こす興奮状態により自傷他傷行為にまで及んでしまう事がある。その様なときに、社会のストレスから隔離して、刺激の遮断された場所で適切な投薬治療や療養をして、幻聴や幻覚からの解放を促し心の健康を取り戻す必要がある。それらを安全に行う施設が閉鎖病棟だ。

閉鎖病棟に、そこにいる必要のない人を無理矢理に閉じ込めておくことはあるのだろうか。私は現実的ではないと思っている。現状として、施設側にそんな無意味な事をする理由も余裕もないし、誰も得をしない。精神病院やケアホームのベッドは、需要に供給が間に合っていない状態だ。助けたい、助けなければいけない人たちが沢山いるのに、どこもスタッフの確保や運営などに非常に苦労している。入院の必要のない人は、出来るだけ退院して貰ってベッドをあけたい方向でいると思う。ではなぜ、患者さんは“閉じ込められた”と言うのだろうか。まぁ言うかもしれない…(以下同文)。

美しきアイルランド

辛く苦しい印象のジョンの語りではあるが、ところどころで差し込まれる美しいものがある。アイルランドの風景だ。アイルランドは、1937年にアイルランド王国としてイギリス統治下を離脱した歴史がある。両国は長く深い関わりがあるのだ。場所は海を隔てて隣同士に位置しており、第一言語はともに英語、その文化や天候も非常に良く似ている国である。私は、このジョンから語られるアイルランドの風景描写を読みながら、私が住んでいるイギリスの風景と重ねた。有名な話だと思うが、この国はとにかく天気が悪い。それはアイルランドも一緒なのだ。空はいつも灰色の重い雲に覆われ、ほぼ毎日のように雨がチラつく。気温は真夏でも25度を超えるような日は数える程しかなく、真冬は氷点下になることはあまり無く寒さはぬるい。一年中、薄ら暗く、薄ら寒い。緯度が高く冬場の日照時間が少ない事も相まって、単調で延々と続く薄暗い日々に、人々がうつ病に罹りやすいというのも良く知られた話だ。

しかし、たまに気まぐれのように雲が晴れ、太陽と青い空が現れる事があるのだ。その束の間だけは、たっぷりの水分を含んだ草原や木々の緑が、突如として鮮やかな色彩を放ちながらきらきらと輝き、太陽を伴った空はぬけるように青く、穏やかなそよ風が頬を撫でる。そのときに私たちは、“この国はこんなに美しかったのか”と息をのむのだ。

ジョンがアイルランドの風景を言葉にしていたのは、彼の心の中にはそのような風景が光として存在しているからなのかもしれない。

And heavy rounded in that hurt
In darkness there a million times.
Behind the cloud the sun it came
And saw his shape -
And how it shined.
And in the sun the past it fades
And gone the silence sorrow made
The boy will live and days will ease
And love will walk -
Upon the breeze.

戯曲『medicine』by Enda Walsh 2021

ジョンの詩である。この詩は、美しく輝く風景を連想させる。いつも重く暗い雲に覆われたジョンの心も、この詩に書かれた風景のように美しく晴れるときもあるのだろうか。私は、ジョンの心が重苦しい雲から逃れられて、少しでも美しい光を浴びる瞬間が多く訪れることを願う。

ジョン ケイン

ここからは、ジョンケインに関しての私の考えを書いてみたいと思うのだが、あなたが舞台「メディスン」を鑑賞しており、あなたの感じたジョンがもうあなたの中にいるのなら、このパラグラフは読み飛ばしたほうが良いかもしれない。自分の感じたジョンを大切にして欲しい。私は舞台を見ていないし、戯曲原作と自分の過去の経験のみで考察しているだけなので、あなたのジョンと違うかも知れないから。それでも良いですよ、と思う人だけどうか読み進めて欲しい。


ジョンはパジャマ姿で登場する。私はこれに違和感を覚える。なぜなら、こちらでは施設の入居者や患者は、朝には着替えるものだからだ。朝一番に入居者の支度を手伝って、洋服に着替えさせるのは施設スタッフの大事な仕事だ。これはイギリスが産んだ看護の祖ナイチンゲールの教えに起因する。ナイチンゲールが説いた健康のための5つの要素の中に、清潔と陽光がある。病院やケアホームでの鉄のルーティンは、朝は身体を拭き顔を洗い衣服に着替え、カーテンを開け窓から光を入れる事なのである。もしも入居者が、午前中半ばになってもパジャマから着替えていなかったらスタッフは婦長に理由を問われる案件である。では、なぜジョンはパジャマだったのか…。

そして着替えぬままに演劇療法がはじまる。ジョンは、以前にもこういう役者を交えて何かをした事を覚えているし、この時間が嫌いではないようだ。むしろ少し楽しみにしていると思う。メアリー2 に促され、自分の過去を語りはじめる。産まれたときの事から、両親の不仲、学校でいじめられたこと、隣人のセイラへの恋心、フィリップという友達、その彼の裏切りとセイラの赤いドレス、そして19歳のときに教会の裏で錯乱した事。話しながらジョンは強度の興奮状態となり、メアリー2 に注射を打たれてジョンの語りはいったん終わる。その後、2人のメアリーのやり取りが挟まれて、再びジョンのターンとなる。リアムと言う謎の男、ヴァレリーという女性、メアリー2に誘導されながら話を続けていくうちにさらに強い興奮状態となりジョンはとうとう倒れる。やがて、インタビュアーの何度も繰り返されてきたあの録音のやり取りが流れる。そのやり取りは80代の老人になったジョンの声が返事をしている。そして静かで美しく切ないラストシーンへと続く。

この物語のほとんどの間、ジョンはずっと深い幻聴と幻覚の世界にいたのだと私は考える。ジョンは物語のはじめから80代の老人であったと私は思っている。ジョンがパジャマ姿だったのは、この日は彼がスタッフの再三の促しにも関わらず、メンタルの状態があまり良くなく、着替えるのを拒否したからだと思う。幻聴も強めに出ていたのかもしれない。おそらくその調子なら、朝の薬を飲むのも拒否したと思われる。幻覚と幻聴が出現しながら、演劇療法らしきものが始まり、ジョンは自分の事を語る。そして療法の途中で少し気分が変わったタイミングで、彼は着替えもする事ができ食事も取れて、メアリーから渡された薬を自分から飲んでいる。内服薬は直ぐには効かない。服用してから30分から1時間は効果が現れるまでかかる。しばらく、幻聴と幻覚に支配されながら混乱とストーリーは続く。やがて強い錯乱のあとに倒れてから、ジョンの脳の中で吹き荒れていた嵐が去り、彼は自分が80代の老人である事をやっと認知するのだ。

劇中で何度か繰り返される声のインタビュアーの質問は、ずっと変わらない。how are you today,John
? から始まり、ジョンがなぜ施設にいるのかをジョン自身に答えさせる質問に続く。彼は、自分が施設にいる理由を『I’m not like other people.(私が他の人と違うからだ)』とずっと答えている。これは正しいかもしれないが、そうではないのだ。閉鎖病院での治療(medicine)のゴールは、患者の幻覚や幻聴からの解放なのである。その為には、患者自身が、幻覚と幻聴がある事を自覚する事が重要な第一歩であり、回復のために必要不可欠なのである。物語の最後、ようやく自分が80代の老人であることを認知出来たジョンは、インタビュアーの質問のやり取りを聞いたあと、はじめてこう口にする。「There’s never been anyone listening. It’s just us. People like you. (聞いている者なんて誰もいなかった。ここには私たちだけだった。あなたのような。:意訳)」私は、ジョンがここではじめて、彼がずっと幻覚と幻聴の雲の中で生きていたと自覚したのだと感じている。この物語は不条理劇と銘打ち、不思議で奇妙で掴みどころのない様子で展開されているが、そのコアはずっと ジョン ケインという1人の男のMedicineの物語だったのである。

Stay as long as I can

You want me to stay as long as I can, John? 
(ジョン、私にここに居れるだけそばにいて欲しい?:意訳)

戯曲『メディスン』by Enda Walsh 2021

戯曲の最後のページにあるメアリーのセリフである。

この戯曲は随所にタイミングの細かい指定があるのだが、この場面では、“メアリーがジョンの隣に座ってから30秒後に、彼が彼女の手を取る”という指示が書かれている。また、“その後に1分間経ってから音楽を止め、しばしの静止の後にブラックアウト”と明記されている。

私は時間を実際に測りながら、このラストシーンを想像してみた。とてもとても長い静寂のラストシーンなのだとわかる。この永遠とも感じられそうな長い静寂の中で、ジョンはあの頭の中の雑音から解き放たれているのだろうか。そうであったら良いと思う。また、隣に寄り添って座るメアリーの存在が、どうかジョンの心を慈愛で満たし、彼の苦しみの癒し(Medicine)になることを心から願っている。


終わりに

私はこの戯曲を何回も読んだ。初読では物語に惹き込まれつつも、ただただ困惑した。その困惑の理由を知りたくなって数回くり返して読んだ。やっぱり良く理解できなかった。そして舞台を鑑賞された方々の感想を読んでから、また気になって更に読んだ。読んで考えこんだ。そして考えた事を吐き出すように書くことで、今はようやく頭の中の絡まっていた糸が少しだけ解けて整理がついた気持ちでいる。Medicineのタイトルに込められたウォルシュの意図も、とりあえず私なりの答えが出た気がしている。

しかしこれは戯曲である。舞台の上で、実際に役者が演じることで完成形となるものだ。役者たちが登場人物たちの感情を全身で表現するさまは、きっと圧巻であろう。また戯曲の中には、ドラムの音の指定も細々と入っているが、文字で読んだだけではその音を想像することは私には不可能だ。豊かな音や色彩を伴いながら表現される総合芸術はきっと素晴らしいものだろう。舞台を観れる人たちが本当に羨ましい。どうかせめて配信でも良いので、私にもこのお芝居を観劇できるチャンスがくることを願っている。

長い文章を読んでくださりありがとうございました🙇🏻‍♀️

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