ある年ののどかな正月。机の引き出しが急に開いた。ここから何が始まる?

ある年ののどかなお正月。
机の引き出しが急に開いた。

「ドラえもんでも出てくるのかな?」
私はケラケラ笑いながら引き出しの中をのぞきこむ。

「あっ!」
感嘆の声があがる。
見覚えのある、黒いメモ帳とボールペン。
ずっとずっと探していた、亡き祖父が記していた一行日記帳だ。

祖父が生前住んでいた家に私が住むようになり約6年。
祖父の日記帳を探しているが、見つからない。
もしかすると祖母が処分したのかな。
しかし、祖母は介護施設に入所していて、かつ過去の記憶は殆ど忘れている。

祖父の遺品整理をした際に形見分けで日記帳をもらえば良かったなと、後悔していた。
日記帳の黒い表紙にそっと触れると、記憶がよみがえる。

19年前、祖父が亡くなった際に遺品整理をしていると日記帳を見つけた。
パラパラっとページをめくっていると、偶然私の名前が書いてあるページで止まってしまった。

亡くなる約2ヶ月前。震える字でこう書いていた。

10月2日 えりか18歳

当時、祖父は癌が進行して痩せて体調が悪く、記憶も曖昧。
日課の一行日記でさえ、起き上がって書き記すのは大変だっただろう。
私の本当の誕生日は別日である。
しかし、祖父の頭の片隅で
私の誕生日だという認識はあったのだと知った。

誕生日が書き記されたページを読み、祖父との思い出が駆け足で私の脳裏に浮かんできた。
堪えきれず、日記帳を閉じ元の場所に戻す。
遺品整理の日が、私が最後に日記帳を手に取った日であった。


「探しても見つからなかった日記帳がどうしてお正月に、それも机の引き出しから出てきたのだろう?」
「もしかすると、じいちゃんは家に帰ってきたのかなあ?」
「じいちゃーん、あけましておめでとう!」

私は独り言をつぶやきながら、日記帳を手に取り開いてみた。

遺品整理の日に読まなかった、別の日の日記も読んでみる。
体調はどうだとか、何を食べたか、高校野球や相撲、笑点のこと。
家にいても入院しても、一日の出来事や感想を何かしら書いていた。
生前の筆まめな性格を思い出しながら読み進めていく。

最後の日記は11月末。
以降は酸素吸入しながら入院していて書けなかったのだろう。

何も書いていないページに、祖父は書ける状態であれば何と書きたかったのかな。
想像しながらゆっくりとページをめくる。


「あぁっ!」
私は思わず大きな声をあげてしまった。

最後のページにはこう書いてある。
『自由に、生きる』

誰に対して、何のために、書いたのだろう。

戦争や、勤めていた炭鉱が閉山し地元を離れて生活していた、祖父自身の境遇を振り返ったのか。
命の灯火を消して、痛みや苦しみから解放されたかったのか。
それとも誰かに向けてのメッセージなのか。
亡くなった今は誰にも分からない。

私は最後のページを読み、一言書いて
日記帳とボールペンを引き出しの中へ戻した。

日記帳とボールペンは
引き出しの深いブラックホールの中へ吸い込まれていくように消えていく。

日記帳を手元に置いておいたほうがよかったのかって?
いいえ、祖父の姿や声、思い出は永遠に私の心に生き続ける。
日記帳は持ち主の元へ戻したほうが良いと思った。


お正月が過ぎ、毎日があっという間に過ぎていく。

祖父の遺影にお茶を供え、手を合わせる。
心の中で、日記帳に書いた一言を祖父へ語りかける。
「じいちゃん、私も自由に生きていくね」

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