私の死生観①

こんにちは!人生探検家のえりかです!

ご存じの方も多いと思いますが、わたくし現在骨折治療中で身動きが取れない!ので、働き方改革も含め「電話相談室」を始めました。

その中で「電話よりもえりかさんの死生観が知りたい」とおっしゃってくださった方がいらっしゃいまして、、!!ありがたやーー!!(´;ω;`)

その方はかげした真由子先生!!

数年前に某イベントでお会いして以来ですが、とにかくその表現の公平さ、わかりやすさが素晴らしく、お慕いしている占い師さんのお一人です✨


そんな御大からのありがたいご依頼ならばぜひとも書きたい!書かせてください、、!

というわけで、SM 話は次回に。ごめんなさいm(__)m SM は死と再生に繋がる世界だから無関係ではないんですけどね😃

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死を身近に感じ始めたのは幼い頃からでした。

うちは私が物心つく頃には父は余命宣告をされ、そんな中で父はできる限り働き、時には田舎で療養し、最終的に私が七歳の時に病死しました。

亡くなる一年くらい前からは退院したら翌日には血を吐き入院。家の前から救急車が立ち去る光景が当たり前で、小学校から帰ってきたら血のついたタオルや床を始末する、などが頻繁な光景になりました。

死の匂いが充満する家

そしてある日、入院していた父の病院に呼ばれ、遺体になった父と対面します。

「やっぱり死んだんだ」

姉が「病院やのになんで死ぬのん?!」と叫んでいたらしいですが、私は泣きもせず父の死に顔を見つめていました。

お葬式の時は泣かないとヤバイと思い、無理矢理泣いた記憶があります。

なので私は、「泣かない人ほど泣けない辛さを感じている」と思っています。絶望を感じないようにするため、フリーズするんですよね。

そこから数年間は母子家庭のまま三人が独立して生きてきました。幸い姉妹仲は良く、親の愛情の取り合いなどもありませんでした。生きるのに必死でそんな暇もないし(笑)


そんな中、ある日から知らない男性が家に出入りするようになりました。そしてその男性が居なくなるとまた違う男性が現れ、、

当時ではまだ珍しかったシングルマザー環境を心配した周囲の方々が母に出会いを、ということでセッティングしたような感じでした。

私達は大人が家に来たから一生懸命もてなさねばならない、と考えにこやかに過ごすよう努力していましたが、連れ子を嫌がる男性も多く、あからさまに無視されたり変なことをしてくる男性もいました。

そしてある日、事件は起こりました。

あれは夜だったかな。玄関を激しく叩く音がします。当時は文化住宅の長屋みたいな家に住んでいたのですが(大阪ならでは)古い横開きの玄関を蹴り倒して叫びながら男性が入ってきました。そして見つけた母を蹴り、殴り、罵倒し始めました。

私はその光景をみて、「子供としてこれは助けないといけないのかな」と思い、間に割って入りました。男性は怒鳴りながら私も蹴り始めました。

「お前のおかんはわしと男女の関係やってんぞ!!?」

「そんなもん知っとるわ!夜中にこそこそなんかしてたやろ!!」

そんな言葉が出ると男性は思っていなかったのでしょう。男性は言葉に詰まり、動作を止めました。そして次の瞬間周囲にあった硝子戸を叩き割り、ガラスの破片で自分の手首を派手に切りました。

男性はその手をブンブン振り回し我が家の部屋の壁は血に濡れ、そんなタイミングでだったか警察が来ました。

姿が見えなかった姉が近所に助けを呼びにいってたようです。ナイス。

そして母は全治三ヶ月の重症を負い、色んな陰口を叩かれるようになった我が家は引っ越しを余儀なくされたのでした。

その時の私の中には、

「男性は役に立たないし逃げるんだなあ」という思いと(一番仲良くしていた害のない男性は経済的事情で別れたらしい)

「誰か母を幸せにしてくれないかなあ」

「引っ越したら今までの自分を知るひとはいない。これは凄いチャンスだ!!」

という思いが芽生えました。

中学一年生になったばかりの頃でした。

続く


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