幸せを求めるということ
今日は予想通りの天気でしたが、薬がよく効いて、頭痛に襲われることがない、爽快な朝を迎えることができました!ひゃっほー❤️
というわけで、書きたいことを書こうかなと🎵
一月に足を骨折しましたときに、初めて「電話」の募集を致しました。
そのときに占い師のかげした真由子先生からお申し出を頂き、「死生観」についてのシリーズを書かせて頂きました。
そちらに対するまゆちん先生からの返信ブログが本当にありがたく、かつこれを一晩でまとめてくださったんだ!と、びっくりしたのと共に、心から感動致しました!プロの方って本当に素晴らしい❗
まゆちん先生、ありがとうございました(T0T)
【死生観のお話】パートナーシップのスペシャリスト慧梨香さん
↑こちらにて、まゆちん先生からのご返信と死生観シリーズが一気読みできます🎵
まゆちん先生からのご返信と見解を読んで、自分では自覚していないことに気がつきました。
「慧梨香さんは癒しと解放を諦めない方」
この文章にびっくりしたんです。なるほどな、と。
私が今よりまだまだ幼かったとき、幸せというのは手にいれたり誰かからもたらされるものだと思っていました。
漫画や映像、教育もそうかな?
「誰かに優しくすることで幸せになれる」
という教義(笑)がまかり通ってた時代がありました。もちろん悪いことじゃないし美しいと思うし、私もやってきたことでした。そこを否定する気持ちはないのです。
ただ、気がついちゃったんですよね。
幸せは求めるものじゃなく、幸せになりにいくことだって。
そのためには握りしめていた「不幸せな自分」や「誰かのせいにしていたい自分」や、全ての被害者意識を捨てていかないといけない、ということに。
これがね、めっぽう辛いわけです(笑)
癒しが進むほどに辛い💦なんでかって、
見たくない自分のエゴを真正面から見ることになるから!誰のせいにも出来ないのがわかるから!今起きてる全てを受け入れないといけないから!
どんな親から産まれようと自分の親はその人だし、どんなパートナーでも選んだのは自分だし、どんな病になろうと、治すのは自分だし、とにかく自分自分自分!!
自分が自分の世界を作ってるのでガース!!
誰も自分の人生を代わってくれないわけです。当たり前のことなんだけど。辛いときには代わってほしいとか誰かに決めてほしいとか思うわけで。人生終わらせたいとかね。
その辺りをもがいてもがいて、たくさんの人に八つ当たりしたり自分を責めたりどうしようもないとこまでいって、、
ようやく人の優しさに感謝できるようになったりして、癒しが始まったのです。
何回やったかわからないです💦
私は昔、瞬間湯沸し器と呼ばれるくらい、すぐ怒る人でした。
それが変わっていったのは、優しい人達がたくさんいる世界に来たからです。言葉じゃない色んなことから優しさを皆様から感じ取ってきたからです。
いつも自分を感じてほしいのです。
いま、自分はどんな感覚でいるのか。
心地よいのか心地よくないのか、目の前の人から出てくる言葉をどう感じてるのか。
それがあなたの見てる世界であり、あなたが見ている「あなた」なわけです。
そう考えると私は、随分荒んだ世界にいたんだなあと思うのです。そして、色んなことを諦めてきたなあと。
癒して解放していく、というプロセスは、言葉では美しいですが、深く傷ついたりコミュニケーションの取り方が不幸せのアピールしかわからない、という段階の時は本当に苦しいと思います。
そういう時はまず、
「傷ついている自分を認める」こと、「回復を急がない」ということ、思いをたくさん吐き出すこと。場合によっては病院を頼ること。
メンタルが弱り自分を精神的に痛め付けることで脳にダメージがいくからです。心と体は繋がっていますから、脳と体を薬で休めて精神の回復をはかるのも大事です。カウンセラーさんを頼るのもいいですね。
生きるというのは大変です。
理不尽な出来事がたくさんたくさん起こります。どうして私が??と思うことも一度や二度じゃないでしょう。
だからこそ、自分を見つめて自分を癒すことを諦めないでほしいと思います。
誰かのせいにしていては、あなたの人生は誰かに主導権を握られたままなのです。あなたの人生はあなたが主導権を握るのです。
流されてもいいし、くだらない愚痴を吐きまくってもいい。そして、出すだけ出したらほんの少しだけ、今までと違う選択をしてみましょう。
握りしめた怒りを手放し、全てを許せる自分に近づく。
それが癒しと解放の道のりだと思うから。
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