私の死生観③(完結編)

皆様こんにちは!人生探検家のえりかです!このシリーズ、先が見えないまま書いてまいりましたが、思っていたより奥が深いです。

オチが弱い気がしますが、書きたかったので書いてみました。お読みくださると嬉しいです✨

繋がりが欲しい


私はなぜ生きているのか?という問いかけをしながらも、ありがたいことに私は漫画オタクだったため、あらゆる漫画世界の洗礼を受けながら生き抜きました。

「人には優しく」「この世界は人と人との繋がりで成り立っている」「生きることは辛いこと。でも頑張りは報われる」

当時の漫画は、努力、根性、健気、などを掲げていることが多く、私も自分なりにその路線を歩き始めました。

そして出会ったのがSM世界でした。

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主従関係という繋がり

30前半のころ、処女のまま風俗世界に入り、それから二年ほどして初めての彼氏ができて別れ、そこから本格的な男性へのチャレンジが始まりました(この辺りは別記事で改めて)

その時の私はSMクラブに勤めていて、多種多様な性癖に応えながらもしっくりこず、どうしたらいいか悩んでいました。その答えが出たのは、プライベートでのSMでした。

そう、私は私を仕えさせてくれるご主人様を見つけたのです。

プライベートで触れるSM世界は、互いの心を見つめ、プレイを通じて繋がりを感じる、奥の深いコミュニケーションの世界でした。仕事でやるSMとは違い、金銭が関与しなくても互いが喜びあい、存在を愛し合う。私は自分がM奴隷として仕えさせて頂くことで、お客様として出会うM男性の喜びを理解したのです。

「そういうことかーー!!!」

と、M側の気持ち、S側の気持ちがわかったときの開眼した感じは忘れられません(笑)そうしてSM関係により、「絆や繋がり」を感じあうことを覚えたのです。

しかしながら欲と欲を満たしあう関係性ですから、数年で限界が来てしまいました。


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パートナーと向き合うこと、パートナーが変わることで死と再生を繰り返す私

父が亡くなり男性という存在が家庭から姿を消す。それは、社会的にも現実的にもエネルギー的にも「守られていない」という体験をさせられます。

ある日見かけた光景を私は忘れられません。制服を着た女の子が、楽しげに自分のお父さんに甘え、買い物をねだる姿。日常にある何気ない当たり前の光景をみて、私は号泣しました。

「私にはなぜあれがないんだろう??」

甘える女の子の声や態度、表情からは、「この世に対する安心感」が駄々漏れていました。

私はあの無条件の「安心感」が欲しかったのです。だからSMの主従関係による「絆」を欲し、自分だけの独自の複数パートナーを作り上げることで擬似的な家族を作り上げていきました。

ある日、「父がいなくなった」

ただそれだけの事実が今日までの私を作り上げたのです。「死」をきっかけに「生」を見つめ続けたのです。

パートナーシップの関係性は親子関係を見事にみせられ、やり直しをさせられます。私はパートナーが変わるたびに自分が足りないもの、欲しているものがわかってきました。もちろんそれは一朝一夕ではなく、トラブルも起こるしメンタルも不安定になりました。そんな私についていけず、または私が相手との関係性に限界を感じ離れることもありました。そのたびに私の精神は病み、死に、そしてまた生き返るのです。

しかしながら現在は、セラピストとしてたくさんの方とお会いし、せらぴーをさせてもらうことで自分の認知の歪みを知り、癒され、昨年にはヒマラヤ聖者のリトリートに参加するなどして、自分ではこれ以上どうしようもなかった領域を癒してもらうことで格段に楽になりました。

「生と死」というテーマは生き物全てのテーマだと思います。そしてそれは、物理的にこの世を去ることだけを指すわけではないとも思います。

人は何度でも死ぬし生まれ変われる。

それを私は何回も経験してきました。そのたびに人やこの世界に感謝ができるようになりました。

物理的な死には慣れません。これからもたくさん泣いて死ぬのでしょう。そして私はまた、愛するために生まれ変わるのだと思います。

生と死を繰り返すこと。

それは私にとっての「愛」を見つけることだったのです。生き続ける理由は、愛を感じたかった、繋がりが欲しかった、安心感が欲しかった。それは父と共に無くなった。無くなったから探し始めた。そしたら大きく育ち始めた。やっと父に「ありがとう。愛してる。ずうっと責めててごめんね」

と言えそうです。

長くなりました。皆様読んでくださり、ありがとうございました😭

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