書道の話

やめたものの話。
小1から中1まで書道教室に通っていた。

日曜日の午前中がそれに費やされるのはちょっと不満だったけど、小高い山の上のお寺の本堂に長机を並べて子どもたちが習っていたその空間は嫌いではなかった。

帰りの時間になると、たこ焼きの移動販売車の音楽が聞こえてきて、お小遣いでたこ焼きを買うのが楽しみだった。初老の夫婦がやっている移動販売。その車から流れていた音楽は30年経った今でも覚えている。あのご夫婦は今頃何をしているだろう。

書道を教えてくれた先生は、当たり前なのだがとてもとても字が上手い。まずお手本を書いてもらってからその日のお稽古が始まるのだが、さらっと美しい字を書くものだからいつも感動していた。先生ってすごいな。

中学に入って、日曜に部活の試合が入るようになり、徐々に書道教室に行く回数が減っていった。
そして私は教室をやめた。

今思えば、やめたのは部活のせいじゃない。
中学に入って、行書を習い始めたのだが、私はどうしても行書が好きになれなかった。

なぜ崩した字を習わなければいけないのか。
自由なようで自由じゃない。
その曖昧さが納得できなくて、急激にやる気が失われていった。

私は楷書が好きだった。美しい楷書。先生のような楷書が書きたい。

その後の人生を振り返って見てみれば、私は字を書くのが大好きだということが分かる。16歳から日記を書き始め、20年以上経った今でも書いている。手帳に何でも書く。スマホでメモなんてしない。ふとした時間にひらがなを書く練習をする。これからもずっと書く。

あの時もし書道を続けていれば、今頃どうしていただろう。先生とかになっていたかな?わからないけど。
あの時書道をやめたのは、正解だったと思う。きっと苦しくなっていたから。もしかしたら苦しさの先に新たな世界が広がっていたのかもしれないけど、それは仮定の話である。
字を書くことを好きでいられてよかった。小学生の6年間、ひたすら文字を書いていてよかった。

字を書くのが苦手な人もいるだろう。
苦手でもいいんじゃないかな。それでも人は字を書くことから逃げられなくて、自分の字と向き合わなくてはいけなくなる。その人の個性が字には出る。

なるべくたくさんの人に字を書き続けてほしい。画一的な打った文字でなく、温かい手書きの文字で想いを伝えよう。たとえこの世から文字を書く文化が無くなってしまったとしても、私は最後の1人として文字を手で書き続ける。



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