ただ、かなしいとしか言いようのない気持ち。

悲しい、と言うには自らの言葉の重さが伴っていない

それでもこう言わずにはいられない、悲しい出来事が起きてしまった

あえてはっきりとは書かないけれど

自分はその番組を欠かさず観ていたわけでもなく、出演者の顔も名前もうろ覚えではあったが

今日バイト先の店長から、それに出ている子が亡くなったらしいと聞いた瞬間、ものすごく鳥肌がたった


事実確認ができていないが、誹謗中傷によって追い詰められてしまい、自ら命を絶ったのではないかということがネットに上がっていた


なぜその子が叩かれるようになったのか

その経緯も詳しくは知らないし、その子の性格や言動もほぼ知りはしない

共演者にたいして、ひどいことを言ったという話も見かけたが、でもそれはその子を叩いていい理由にはならない


自分はたまたま昨年にその番組のオーディションを受け、そして最終まで残ったらしい。結果出ることはなかったが、可能性として自分が出ていたかもと考えると、なんだか身近に思えてしまった。

そして、自ら命を絶ちたくなるという状況や気持ちがわかるよ、とまでは言わなくとも、経験したことあるがゆえ、どうにも発信したくて、こうしてnoteに書いています。

誰かの言葉で傷ついた、不快な気持ちになった、価値観が合わない、怒りや悲しみを覚えることなんて日常茶飯事で。

でもそんなときに怒りを怒りで返したり、相手を傷つけるようなやり方しかできないのは、はっきり言って子どもだと思う。

もちろん、人は100%善人ではないし、過ちだっておかす。大切なものを守ろうとするとき、どうにも我慢できないことだってあると思う。

でも、なにか言葉を発するとき、それが一般人でも著名人でも、言葉の重さに差はないと思う。



では

批判した人が悪いのか?

傷つけるようなことを言った人が悪いのか?

その番組が悪いのか?

叩かれるようなことをした人が悪いのか?

答えはすべてNOだと思う。

人が死にたいとき、それはどんなに恵まれている環境だろうが、なんでも話せる友人がいようが、そんなのおかまいなしに、死を選んでしまうものだと思う。

だからこれは、誰かが悪い、悪だとはっきり言えない、だからこそ怒りや悲しみをどこに向けるべきなのかわからない、かなしいとしか言いようのない出来事だと


そして死ぬということ以外の選択肢がなかったことが、非常に残念でならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?