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my papa


父の手術が親子3人を繋ぎ止める
ひとつのきっかけになると思ったわたしは
姉を誘い岡山へ飛んだ

姉もこの事態を重く受け止めていた
自分探しの旅へ明け暮れている間に
思わぬことが起きていたのだから当然だ

病院はコロナの影響で変わらず
閉鎖的な対応を貫いていた
面会禁止
手術後も先生の話を聞くだけで
それも県内の人間に限ると

このご時世で納得の対応ではあるけど
もうこれが通常になってしまうのかな 

自分も病棟看護師をやっていたから
よく分かる
一度面会を許してしまえば
患者の家族で溢れかえる

感染については勿論だけど
看護師は患者対応の他
家族の面会の手続きや病状説明、
相談ごとや世間話などで
グンと仕事量が増える

コロナが始まって
面会が禁止になった時は
仕事が一つ減った気がして
なんか嬉しかったのを覚えている

そんなことを思い出しながら
今回のことを考えていたけれど

いざ自分が患者の身内になってみると
純粋にそばにいてあげたい と思った
全身麻酔下の外科手術って
面会okにするべきよな

だって挿管するんだよ
一時的に自発呼吸を止めて
呼吸器に繋ぐのよ
考えればゾッとするでしょ
そんなことはない、と思いながら
もう一生会えないかもしれない
という考えが頭をよぎる

新幹線を降りて数年ぶりに会う父は
思ったよりも歳を取っていて
田舎のおじさんという印象だった
雰囲気は変わらずとも
白く光る頭髪や肌質の感じが
7年という期間を感じさせた

「綺麗なお姉さんになって…」

と言い目を濡らす父

最後にあったのはたぶん19歳?
とかだったから
社会人になってからの
私を知らない

父さんっ子だったことや
定期的に電話でのやりとりをしていたことで
打ち解けるのに時間は必要なかった

26歳になったわたしの頭をポンポンって
優しく撫でてくれた
これがとても泣きそうだった
全てが詰まっていた

社会人になってから親孝行が
形あるものとしてやっと始まるのに
この数年は電話以外何もしてなかった

「とんちゃん(ご当地牛丼みたいなやつ)
送るからな〜贈り物するからな〜
忙しくて全然何もできなくてごめんな」

って電話の最後にいつも
申し訳なさそうに言っていたのを

いつものやつだ
どうせ口だけだ

とか、そんな冷めた気持ちで
聞いていたなぁと振り返る

自分はいつまでも
やってもらって当たり前の
子供のままだったのだ

酒癖は悪いものの、根はとても真面目な父だ
身体の痛みを我慢してまで働いていたのだ

故郷に1人暮らす父の寂しさや
中年の身体に応える肉体労働に
なんの関心もなかったなぁと
とてもとても反省した

それと同時に

父の周りにいる父を支えてくれる
みんなに感謝したい

父はお騒がせ野郎だけど
どんな時も味方になって
絶対に助けてくれる人がいる
飛んだ才能の持ち主である

駅には父のお姉さんとその旦那さんもいて
お世話になっているお姉さんの家に
空港から車で2時間ほどかけて
向かった

3歳のわたしと一緒に笑っている
写真でしか記憶していないお姉さん
父より10個も年上で 今は孫が13人いる
とても立派なおばあちゃんになっていた

あの当時からわたしはこんなに大きくなって
周りも同じだけ歳を取っている
そんな当たり前の事実に驚いてしまう

久しぶりに対面する叔母さんは
母なる大地のようにとても優しかった
交流は皆無と言ってもいいのに
父と同じくらい涙ぐんで迎えてくれたから

叔母さんの家に行くと
私の従兄弟に当たる人たちが沢山いた

結婚式でわたしから花束をもらった人
いつかのお盆でお小遣いをくれた人

幼少期のわたしを可愛がってくれて
会わない間にも小さい時のエピソードを
覚えてくれている人達

それがとても嬉しかった

自分が考えもしないところに
血の繋がりがあって
その繋がりをいまもう一度
結んでくれた父に感謝したい

父方の従兄弟を自分が認知したのは
初めてだった

長い間会うことすらなかった
私たちを温かく家族として
迎えてくれて、
味わったことのない温かい感覚に包まれた

人生って何があるかわからない
試練だと思ったことが
いいスパイスとなり
唯一無二なオリジナルを形成する

何がトリガーになるかなんて関係ないのだ

自分にとっての家族が増えたことは
何よりにも変え難い財産だと思う

無条件の愛を受けて
7年ぶりの父を感じて

父と叔母、叔父と
従兄弟家族と過ごす
賑やかで優しい2泊3日は
あっという間に過ぎた

もう1週間前の出来事だが
プライスレスなこのひとときは
思い出すと泣いてしまうくらい
心が震えるものだった

家族という血の繋がりの温かさ
大切さ、愛というもの
この気持ちを死ぬまで大事にしていきたい

同じように母にも思うことがある
みんな幸せになって欲しい
そのために私が何ができるか考えて
行動する
だって私を幸せにしてくれてる
たくさんの家族がいるから

何のために日々仕事して生きてるのだろうか
って考えてみたときに
その理由は家族のためでありたい

自分だけ幸せになっても
それを共有できる家族という
温かい存在がなかったら
とても虚しいなって

家族、ファミリーって言葉のパワーは
計り知れない

自分のお腹を痛めて 子供を産んで
誰かと家庭を持つときに
またそれがよくわかるんだろうけど

今はただ漠然と家族っていいなって思う
核家族の極みで育ってきた自分に
その集合体意識見たいなものが
芽生えるときがくるのか

ってずっと疑問に思ってたけど
意図しない出来事からこの感覚は
やって来てくれた

自分という人間を掘り下げて 掘り下げて
この感覚をもっともっと
自分なりの温かいものに
していけたらなんていい人生だろうか




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