山内寺跡熊野神社

画像1 天台宗比叡山末寺で南九州における本山と野田町教育委員会野田町の文化財20頁にあります。性空上人という人が954年開山と想定される。境内3㌶あった。豊臣秀吉進出と元禄期の火災にみまわれたが、島津久光の廃仏毀釈寺で廃寺。
画像2 境内であった区域内。画面左奥に熊野神社。
画像3 熊野神社参道。この熊野神社も1186年建立とされ、山内寺の境内にはこの熊野神社や1194年の感応寺など、島津忠久は次々と建設した。ただし忠久は鹿児島へは来たことはない。
画像4 公園になっている区画、奥に連なるのは土塁と曲輪と思われる。山内寺の基幹部分ではないだろうか。
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画像6 80年ほど前は魚🐟や亀𓆉など生き物が豊富な池であったそう。
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画像11 本殿は銅葺き。鹿児島県の神社で奇異なのは、神社であるに拘らす、菊紋ではなく島津氏の紋を掲示していること。私にはマトモな神社とは考えにくい。島津の私的な祠に過ぎないのではないか。

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