綾瀬市城山公園~浜田歴史公園

私のサイクリング動画は、鎌倉幕府御家人渋谷氏の拠点を巡るものが増やしています。しかし昨2022年のNHK大河ドラマに拘わらず、一般になかなか知られていないのが渋谷氏。NHK大河ドラマの織豊時代と幕末だけが日本史!!的傾向がいけない。

 さてその渋谷氏とは桓武平氏流秩父平氏。889年桓武天皇①の玄孫 平高望④の子 平良文⑤が藤沢市村岡の村岡城を本拠としたのが源流。平良文の孫 平将常⑦が秩父市中村~吉田町を本拠とし、秩父武綱⑨が前九年/後三年の役(1051~87年)で武蔵国渋谷庄と相模国渋谷庄を得た。子の基家⑩が川崎市川崎区を開発し城内町や稲毛神社を河崎城と本貫し河崎基家となるのです。河崎基家⑩は本牧や小机を開発し、武蔵国渋谷へ転居します。
 ここで漸く、あゝ~~~!、旧・東横線渋谷駅の横の246の歩道橋んとこにある金王八幡宮こと渋谷城。渋谷氏って渋谷だったのね!と思って頂けるはず😃
 1161年河崎重国⑫は渋谷から藤沢の長後八幡宮~綾瀬市の相模の国渋谷庄へ移転し、渋谷重国となります。

 これで漸く私のサイクリング映像の場所になるわけです。1247年宝治合戦によって渋谷氏は版図が拡大。渋谷光重⑬の子たちから次男以下が、鹿児島県へ下向するのです。このサイクリングルートはその渋谷光重の子たちの拠点を巡るものなのです。
 んなことしてナニ?、鹿児島県の領地に比べて、綾瀬市/海老名市/藤沢市の所領がじつに近接しており、拠点間1時間超が当たり前の領地のとの差がまず実感しました。ラグビーフィールド1面が兵員1名を出せる経済力。この実感は意義があると思います。

 この前や続きの映像も、この渋谷氏に関連しています。平塚も渋谷重経の領地でしたし、渋谷重経は美作河井や鹿児島県樋脇城塔之原の領主だったり。そうのうような関連があるのであります^^

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