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自己表現を大切にしたい

ブログ記事を書いたことがない

自分の考えや感じたことを文章にして吐き出したい。そういう衝動に駆られて、とりあえず紙やテキストエディタに書き出す。それで落ち着くこともあるが、誰かに見てほしいこともある。しかし、ブログなどはまともに書いたことがない。

noteを書いてみる

わからないなりにnoteで記事を書いてみることにした。あまりタイピングや作文に自信はないが、とりあえず書き出してみた。

AIに「簡潔に」してもらった

普段、仕事の中で行う作文では、できるだけ簡潔にして、漏れなく無駄のない文章を書くことを目指している。今回もそうしようと(いや、ほぼ意識もせず)、AIに文章を校正してもらうときに「簡潔に」とお願いした。冗長だと感じる表現を改め、言葉を削っていった。

自分の文じゃない

AIと協力して文章が出来上がった。2,000文字以上あった文章が1,300文字以下になっていた。なんか、自分の文章じゃない。つまらない。違うものになってしまった。自分がやりたかったことではないとわかり、労力をかけただけに虚しさがあった。

自分の言葉で表現していい

削る前の表現でよかったと気づいた。ビジネス文書や論文を書いているわけではないのだから、自分の言葉でのびのび表現していい。

目的を見失っていたことに気づいて、心がどっと疲れてしまった。仕事じゃないのに仕事で失敗したときのような気持ちになった。ただ吐き出したくて趣味でやっていたはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

疲れてしまわないために

自分の言葉で素直に書いて、さっさと公開してしまうのがよさそうだ。

AIには目的と校正してほしいポイントを適切に伝え、全体を整えてもらうくらいにし、自分の表現を大切にする。そうしたほうが、自分の感覚や感情も鮮明に残せると感じた。

時間もかけないのがポイントだと思った。時間がかかるほど心が疲れていく。言葉が何度も修正されて、最初の感覚がなくなっていく。そうなる前に終わらせるのが大事だと思った。一旦思い切って公開してしまって、それでも手を入れたければ修正を加えることにした。

noteは素直に書いていきたい

noteを自分の考えや感じたことの記録の場所にしてみようと思う。うまくいくかわからないが、しばらくやってみる。続けられるように、素直に書いていきたい。

"「簡潔に」というが、短ければいいというわけではない"

これは余談だが、理科系の作文技術の一文を思い出した。

「簡潔に」というが,短ければいいというものではない.いま見たとおり必要な要素はもれなく書かなければならない.必要ギリギリの要素は何々かを洗いだし,それだけを,切りつめた表現で書く.一語一語が欠くべからざる役割を負っていて,一語を削れば必要な情報がそれだけ不足になる──そういうふうに書くのが理科系の仕事の文書の書き方の理想だ.

木下是雄著「理科系の作文技術」より

ここでは、理科系の仕事の文書について述べられているが、目的に対して必要十分な書き方が理想という意味ではどんな文書や文章ついても同じだと思う。自分の感情や感覚を伝えるための文章においては、自分の言葉や表現は、「削れば必要な情報が不足になる」ものではないか。


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