心と肉眼ー竹山広『空の空』(3):歌集を読む
言葉はさまざまな物理的制約を無視することさえできるが、仮想を扱うときでさえ現実に重心を置いて詠んでいることにも肉眼をはじめとする身体による方法意識の徹底を見ることができる。
原爆にもし遭わなかったならば、と仮定して空想のなかに慰藉を得ようとした。しかしこの仮定は〈原爆に遭った〉現実の裏返しであるがゆえに、「せば」に続き得る話者の願いははじめから書かれることなく手折られている。
仮想の向こう側に心を遊ばせないのは、死者との絶対的な隔たりが根にあるのだろう。
この歌では、息が絶えた兄のそばで(神より)賜ったあのまどろみは尊いものだったろうか、と原爆に遭いながら生かされた側にあった自らの生を問うている。
対照的な構造をより明確にいえば、神から兄は死を賜り、話者はまどろみを賜ったということだ。死の際に失われていく意識はまどろみと近しいのではないかと思われるが、まどろみは生者にのみ訪れる安らぎである。
「尊かったのだろうか、いや……」こうした反語のニュアンスを伴う問いかけには、目を覚ましたその先に続いた、死者の知ることのない長い人生の曲折を経て、生かされたことを感謝するばかりではない心情を読み取ることができる。
神からの賜物は地上の人間にとってかならずしも喜ばしいものばかりではない、容赦のないものでもある。
被爆体験があるために歌にせずにはいられないが、歌い続けるうちに、実体験を持っているから問題を正しく語り得るのだといった一種の選良意識へ陥らないように自らを戒めてきたのだろう。前回見たように、自らに語り得ぬ声を文字通り身をもって承知しているのである。現実に重心を置きながらも、それが全てであるようには語らない姿勢がある。
では、現実の内側からの記述は、何を残したのか。
一首目、殺人事件が起こるたび報道される動機におどろく心。二首目、原爆を落とした兵の死を報じていたために関心を持って読んだ短い新聞記事。三首目、眼科に行きなさいと言っていた妻が肉を焼いている姿に目が留まる。四首目、反核の座り込みが参加者が減りながらも今も続いていること。五首目、昔は井戸があった場所が、時代とともに次第に忘れられていると気が付く。六首目、目薬が目から耳へと流れると知りながら目薬を点したこと。
どれも生活に沿った小さな歌であるが、歌集をつらぬく固有の視点によってこれらの事象が語られることにより、〈われ〉が成り代わることのできない他者ーーたとえば原爆を落とした側にあった人と等価に並ぶ。この一首一首の集積により、〈われ〉の境界を越えて被爆という理不尽な暴力を個人にもたらし、現在も核を許容している(そしてやがては忘れてしまうかもしれない)世の構造にじりよっていく気配がある。
そして、生の不条理に直面するたび竹山の思考が立ち返るのは自らの信仰だ。
下の句はキリスト教の「主の祈り」のはじめのフレーズである。「われらの父」、すなわち神に対して呼びかけているのだが、神をこの世に生きるすべてのものを死によって無力にするものとして意識している。
この大いなる力に対して、畏怖を抱きつつ救いとしてすがる。この世で権勢を持つものたちも、老いのさなかにある自分自身もやがて死によって本当の無力になってしまういつかを思いながら。
祈りとして異質なのは、正当化できる暴力(もっとも、人為を超越しているために暴力とは呼ばれないが)をどこか密かに望んでいる自己自身をさらけ出している点である。
いたずらに登る必要のない階段を登る。のぼったからには元の場所に戻るために降りる。自分の意志で階段をのぼり降りしてるようであるが、このことは人智を超えたものによって運命付けられていたことであり、〈われ〉はその意志を実行するものに過ぎないのだ、と述べる。
結句〈われは〉は近代短歌の文体でよくられ、ミニマルな感慨や実直な印象と結びつきやすい傾向にあると思うが、〈用のなき〉の素っ気なさに結句〈われは〉がどことなくふてぶてしさを帯びてくる。そこには、自らの行為の責任を神や大きなものに仮託して免責する人間というものの内面を凝視する〈われ〉がいるように思われる。
この歌を単独で知ったのであれば、自らの知り得ぬものに対する敬虔な心持ちや、人間存在が小さなものであること、など素朴な生活の感慨に読解の焦点をあてて読んでいたかもしれない。歌集の与える思考を経て、無知のまま(あるいは無知を装って)構造に取り込まれる人間の在り方に気付かされたのだろう。
読者としては、大して意味もないような日常の些事をこなしている〈われ〉の姿を読みながら、あの日原爆投下した兵士は自らが加担することにどこまで自覚的だったのだろうか、そして私も今何に加担し何に目をつぶっているのだろうか、と考えずにはいられない。
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