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「仮定法」を難しくしているのは先生じゃね??

今日は久しぶりに英語のお話です。

少し古い話ですが、数年前に中学の指導要領が変わり「仮定法」が中学生の学習範囲になったことが話題になりました。

仮定法と言えば、文法単元の中で最も理解が困難な単元の代名詞のように言われています。

振り返ってみると、自分が中学生、高校生だった頃、確かにほとんど理解していなかったように思います。よく分からないという印象のまま、過ぎていきました。

しかし、アメリカに渡り実際に英語でのコミュニケーションが日常になってくると、使えないと支障をきたすようになります。どうやって理解していったのかは覚えていませんが、まあ普通に自分の引き出しの中に入ってきた感触です。
(以前から英会話は中学英語でOKみたいなことが言われていますが、そんなワケありません。

ドラマでも、アニメでも映画でも良いので、字幕を出してよく見ていてください。中学3年間で見たことも、聞いたこともない単語や表現が出てきますから。)

仮定法に話を戻すと、理解していなかったから特に集中的に学習したというわけでもありませんでした。
ということは、学校の学習や日常の生活の中で吸収していったということなのだと思います。
だとしたら、生活する上で非常にベーシックな表現ということになります。

そう考えると、それをこれまで中学生に教える前提になっていなかったことが驚きでさえあります。

自分も「難しいものだ」と思い込んでいましたが、実際は全然難しくないことがよくわかります。

いまだに難しいと思っている人も多いと思いますが、自分はこれは一種のマンドコントロールみたいなものだと思っています。


難しいという噂を耳にする。
そして、先生自身も、「ここは難しいから頑張って」みたいなことを言っている。
だから、恐らく小難しく教えている。
生徒は、「あ〜やっぱり難しいんだ」


となってるんじゃないかと思えてなりません。
仮定法が指導要領に入ったきた時も「あの仮定法が!」みたいな感じでしたよね。
みんな難しいと思っているんですよ。
これは良くないですよね。バイアスですよ。


仮定法に限らず、重要な単元を教えるときに、指導する側はどういうスタンスで教えるかは、めちゃくちゃ重要かないでしょうか?
生徒のハードルを上げているのは、もしかしたら先生なんじゃないのと、常に意識しておかなければならないと思います。

仮定法は簡単っすよ。