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ありのままの自分を愛するということ

「ありのままの自分を受け入れてほしい。」ーーこんな感情はいつ沸き起こるのだろう。

場合によるが、多くは相手の気持ちがわかってきて、最後の90%を100%にするときに行われる印象だ。
最後のちょっとを頑張れない。そんな声を聞いた。これはファストアンドスローの理論を考えれば、客観的に見れば「あとちょっと」な気もするが、当人としては最も大きい10%となる。
この最後をどのように測るかという時に、「ありのままの自分を受け入れられるのであれば100%の関係になるのではないか」ということとなる気がする。

しかし、私たちは恋をするとき、誰かと関係を構築するとき、はじめの一歩はデータに恋をしている。


ドキドキした、その分泌された物質を感知した。

こんな言葉をかけてくれた、その文字列を認識した。

こんな表情を見せてくれた、その画像と音声を感知した。

これらが最初であり、その後もこの積み重ねにより、関係が構築されてきた。

その構築は80%まで積み上がって行く。私たちがその営みを諦めない限り、積み上がって行く。



しかし最後を積み上げるとき、私たちは今までと違う積み上げ方をしなければいけない。

なぜだろう、不思議だけれども、説明すればするほど伝わらなくなる時が来る。

今までは環境や行動、能力、価値観で積み上げられたものが、自己と先方のアイデンティティの重ね合わせをしないと積み上がらなくなる。

これを埋めるために、私たちはノンバーバルコミュニケーションや、余韻のある贈り物、表現で私たちの関係を紡いで行く。

それは星と星が点と点で結ばれた最後に、一つの星座を包み込む、ナラティブな物語のように、私たちの中に入って来る。

その刹那に、わたしたちはそれらが織りなす世界に入り込んで行く。

私たちが作って行く世界はそんな世界だ。


それらのストーリーは私たちにとっては想像を超える、もしかしたら怖いものかもしれない。

ありのままの自分を愛するということ、それを受け入れてもらいたいと願う時、私たちはそれを信じ合うということに挑んでいく。

それは挑戦であり、関係をつづけたいという意思であり、その時間・空間をすごしていくという覚悟かもしれない。

そんな出会えたこの世界に、夜空に、想いを馳せながら今日も1日を終えたい。 

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